日常ブログ #7気付いたこと
最近気付いたことがある。
それは、
夜中にテレビをつけていると実家感が増す、ということだ。
特に夜のニュース番組だとその効果は著しい。
ある日、リアルタイムで見たい番組があり、
滅多につけないテレビをつけた。
その番組が終わったあと、何となくテレビをつけっぱなしにしていた。
すると、どういうわけだか何にもやる気がしない。
目の前に洗濯物が山のように積まれているのに、
全く手をつける気にならない。
洗い物も溜まっていてゴミ箱もぎゅうぎゅうでパンパンなのに、
不思議なまでに何をする気にもならない。
しなきゃいけないという気持ちにすらならない。
普段ならシャワーを浴びないととてもじゃないが寝付けないのだが、
今日はこのまま横になってすぐ眠れそうな気がする。
何なら布団を敷かなくても寝れる。床で全然いける気がする。
身体が溶けていくような感覚。
何かにどんどん気力を吸われているような感覚だ。
シュルレアリスムの巨匠、ダリの描いた『記憶の固執』、
そのモチーフの一つであるとろけた時計。
喩えるなら、そんな感じである。
とても落ち着いて、リラックスしている。
落ち着きすぎているくらいだ。
しかし決して無気力ではない。
あくまで、ポジティブに、肯定的に、一切のやる気が失われている。
根拠なく他人任せになる。
心の底から安心しきって、そこにいるだけで緊張感や責任感が消滅する。
何だこの感覚は。確かに身に覚えがある。以前にも感じたことがある。
そして私は気付いた。
実家だ。
何か今すごい、実家に帰省した気分だ。
そしてすぐに、その感覚を生み出す原因にも気がついた。
テレビだ。
全然見てないし集中していないけど、
見覚えのある夜中のニュース番組がついている。
これは完全に実家だ。
なぜ夜中にテレビがついていると実家なのか。
それは私の父のある習慣に起因する。
私の父は夜中、特別スポーツ特番やスポーツの生中継がやっていない限り、
例のニュース番組をつける。
そしてその後、なぜかパソコンを開いて調べ物を始める。
または、タブレットで漫画を読む。
もしくは、タブレットで調べ物をする。
あるいは、ソファで居眠りをする。
はっきり言って、テレビをつけた張本人である父もそんなにテレビに集中していない。
もちろん私だって集中していない。
誰にも真剣に見てもらえないニュース番組が、
BGMのようにひたすら垂れ流されている。
それが、私の実家のいつもの情景だった。
上京したての頃は新居がどうにも落ち着かず、
実家の感覚に少しでも近づけようと、実家にある日用品に似た物を一生懸命集めて、実家感を出そうと頑張っていた。
しかし、こんな簡単な方法があったのだ。
夜中にテレビをつけるだけ。
実家では誰が見ているわけでもないのにいつもテレビがついていたことも、
それが実は安心材料になっていたことも、
実家を離れ、テレビをつけなくなったことで気がついた。
そして、何だかんだ言って、
私もここ最近の生活の変化に疲れ、久しく完全に脱力してリラックスすることができていなかったのだと、
自分の状態にも気がつくことができた。
今、私の部屋が比較的整然としていて、
洗い物がストックされておらず、ゴミ箱の中身も正常なのは、
実家に帰らずとも実家感を感じて、
一度心身の疲れををリセットすることができたからなのかもしれない。
ありがとう、テレビ。
ありがとう、実家。
私は家事とその他諸々を引き続き頑張ります。
せめて、感謝の印として垂れ流しじゃなくちゃんとテレビを見よう。
いつも聞き流してばかりだから、真剣に見よう。
そして明日からの活力にしよう。
と、思ってニュースをつけたら、案の定気が滅入った。
疲れた時にはたまにテレビをつけて実家を感じ、
より疲れないためには流し見するのがちょうど良い、
ということに気がついた。