日常ブログ #5自己紹介・前編
4月も終わります。
そう、多くの人にとって始まりの合図であった4月が、
もう終わってしまいます。
何かを卒業した人もいれば、
新しく何かを始めた人もいたでしょう。
自分の立場が変わったわけではなくとも、
誰かを受け入れたり、反対に誰かを見送ったり。
身の周りの環境が変わるという経験をされた方が多いのではないでしょうか。
春は出会いと別れの季節と言います。
そんな春を象徴するかのような4月が、もうすぐ、終わります。
それは、新生活の「新」が取れて
ただの生活になること、
つまり、クソ新生活、クソ新環境から開放を意味します。
私がこの世で最も嫌いなものトップ3は
①カラス
②電話
③自己紹介
である。
自己紹介、最悪。
誰のための何?
誰が生み出したんだあのシステム。
いや待て、理解はできる。
確かに教室という密空間で名前も何も知らない得体の知れない奴が隣に座っていたら、
落ち着いて学校生活なんて送れたものではない。
早く学校生活に慣れましょう?うるせぇ。
仲良く過ごしましょう?黙れ。
自己紹介がなければ、こうやって荒くれた生徒をいたずらに増やすばかりである。
だとしても自己紹介は嫌だ。本当に勘弁して欲しい。
「簡単に自己紹介をお願いします。」とか言われると泣きたくなる。
簡単にとは?私にとっては自己紹介という行為そのものがベリーベリーハードモードオーケー?アンダスタン?
と、カタコトで凄みたい気持ちになる。
自己紹介に簡単も簡潔もへったくれもない。
そもそも、未だ人生という自分自身を探し求める旅の道半ばにも関わらず、
自己を紹介なんて要求がどれほど馬鹿げているか、一度考えてみて欲しい。むしろこっちが紹介して欲しいくらいなのだ。
自分が何者であるかも分からないのに人様に紹介できる己など皆目検討もつかないのだ。
何言ったらいいのかさっぱり分からないのだ。
何かよく分からないけど焦るし、緊張するし、不安だし、
心拍数の増加=命の危機と認識して成人したので、
自己紹介=命の危機と身体が捉えてしまっている。
それくらい自己紹介の場に晒された瞬間の拒否反応がすごい。
全身の震えが止まらない。
手汗が止まらない。
日本語が思い出せない。
紛うことなきプチパニックである。
混乱したくない、平静を保っていたいと思うのは当然の主張だと思う。
故に、自然と自己紹介を嫌厭することになってしまうのである。
自己紹介への不満はまだまだある。腐るほどある。
大学生活で一番嫌なことといえば、
4月の初回の授業で必ず自己紹介をしなければならないが、
各講義で毎回自己紹介をするので、初めの一週間はひたすら自己紹介しかしないということである。
リモート授業の時はこんなことなかったのに。
自己紹介不要・リモート授業からの、卒業。
自己紹介を恨んでいる人間は、何もこの世に私だけではないと思う。
逆に好きな人っているのだろうか。
嫌いとまではいかないが苦手、という距離感の人が大半を占めているのではなかろうか。
私はどちらかといえば、無理よりの無理、めっちゃ嫌いである。
たまにいる、自己紹介の時や前に出て発言する時こそ活き活きとしている人。
ああいう類の方が普段何を食べ何を考えて生きているのかを知りたい。
何をどうしたらああなるのか、私にはちょっと理解が難しい。
と同時に、あちらからもどうして私がこうしてダラダラ文句を書き殴っているのか、
全くもって理解できないのであろう。
どうもすみません。
正直、自分でも、自己紹介がなくてどうやって人を覚えるんだ、と抗議する内なる自分がいる。
でも、他人の自己紹介を真剣に聞いている人、いないと思う。
皆ぼーっとしてる。
ちゃんと覚えていてもかろうじて苗字だけとか、良くて前半の人だけとかである。
実は意味ないのである。
だから自己紹介なんて無くていい。
それから、一言自己紹介とかいうゲームのようなノリで行われるアレ。
狙ってもスベるし、ノらなくてもつまらない奴と思われる地獄。
それに、私の場合ほとんどの紹介要素が他の人と被ってしまう。
趣味は散歩です。
被る。
あと漫画も好きです。
被る。
好きな食べ物はミカンとサツマイモで、
被る被る。
好きな映画は「千と千尋の神隠し」です。
めっちゃ被る。
よろしくお願いします。
君は個性ない子、略して「きなこ」だ。
どういうわけだか、本当に被るのだ。
別に被っちゃいけないわけではない。誰もそんなことは言ってない。
散歩も漫画もミカンもサツマイモも、「千と千尋の神隠し」だって、
誰からも愛される素晴らしいものたちである。
だとしても、他の人と被ると何とも言えない気まずさが発生してしまう。
私が先に言う立場でも気まずいし、後に言う立場なら尚更気まずい。
直前で言おうと思っていた内容を即興で変更なんて高等テクニック、
とてもじゃないが、私には不可能である。
この場合だと、一言の内容やテーマをあらかじめ設定してもフリーにしても、
確実に怪我人が出る。
やっぱり自己紹介なんてやらないほうがいいのだ。
私の駄々のためではなく、世界平和のためなのだ。
一旦冷静になって考えてみよう。
そもそも、私は他人から認識されたいなど思っていない。
これは自己紹介というより、
私個人の人格という根本的かつ元も子もない問題の指摘になってしまう恐れがあるので、
もう少し違った視点で考えてみよう。
今はまだ学生の身なので、自己紹介というある種一つのイベントじみた感じが嫌なのではないか、と思う。
単純に紹介する相手も多いし、注目される人数も多い。
一対一などの自己紹介だったら、ここまで拒否反応を起こすこともない。
もし大人数の前で自己紹介をしなければいけないのであれば、
顔写真つきの名簿でも何でも配ってくれればいい。
名簿を片手に、全員が教室中の人をキョロキョロ、ジロジロ眺める形式である。
これなら前に出て一斉に注目される必要もない。
もしくは、名前の書かれたプラカードの下に立って、
品評会のようにクラスメートが前を通り過ぎるのを待つ、
あるいは、ラウンドガールのようにプラカードを持って教室内を練り歩けばいい。
人前に出ることにはなるものの、私が何かを発言する必要はない。
こういった形式であれば、私だってここまで自己紹介を嫌悪することもない。
是非、あらゆる場面において検討して欲しい。
とはいえ、こうやって精神をギャンギャン乱しながら
心の中で文句を垂れ流していたところで、
生きている限り自己紹介という呪いから逃れられない。
私の懸命な祈りは決して叶わないのだ。
怒涛の自己紹介ウィークを超え4月を超えても、
後期になったらまた自己紹介はやってくる。悪夢のようだ。
嫌がっても唾吐いても仕方がない。
対策と対応、これが大人になるということである。
せめてどうにかこうにかして、自己紹介に慣れるとか、
テンプレートを作るとかして、精神的負担を軽減したい。
というわけで、古のプロフィール帳を作っていきたいと思います。
後編に続く