さむいさむい パンプス✖️ストッキングで外出たことを後悔。 耐えきれずリサイクルショップで靴を物色 かわいいのあった♡ 二つも笑 さてどうする? オシャレ見た目重視、長くは歩けなそうなショートブーツか もこもこ平らな足底でどこまでも歩いていけそうな紺色寸胴ブーツ・・
そしたら・・ 精神障害者保険福祉手帳ってやつがあちこちで割引受けられてほんと神✨ 今日アイチョイス(生協宅配)の宅配料も無料になると知ってすぐさま申し込んだ 地下鉄やバスの乗車券もくれるし 日本は弱者に優しい国だなと私個人的には感謝しています
ところでところで。双極性障害になってから定期的な通院、薬物治療、カウンセリングが必要になって、名古屋でも通い続けてるんだけど 医療費の負担が大きくなるから色々手帳とか自立支援手帳(?該当の病気の治療にかかる自己負担が1割になるようなやつ)とか申し込んだら頂けた。
未来はどうなるかわからない。 それでも、目標を見つめながら頑張る今は楽しい。 自分で選択し、うまくいかなくても状況に応じてまた自分で考えて調整する。 そうすれば不測の事態さえ楽しめる。 自分で決めたことは誰のせいでもないから、受け入れて乗り越えるしかないと納得もいく。 人生の前半をすべてクリスチャンとして生きたことを後悔してはいない。 時間を無駄にしたように思えなくもないが、間違いなくその経験が今の私を形作ったのだから。 正しかったか間違っていたかなんてこともどちらでも
そんなふうに風まかせに生きていたら、思いがけず、パートナーができた。 彼氏というより、パートナーがしっくりくる。 少女漫画のような始まりの恋ではないかもしれないが、一緒にいることが自然に感じるような不思議な人だ。 だが、私にはもう結婚願望はない。 この手に入れた自由を手放す気になれないのだ。 一緒に住んだりすることは構わないが、「結婚」という形にする必要性を感じられない。 子供を育てるという願いがあるなら、「結婚」という形は保護にもなるし、メリットもたくさんあると思う。
離婚届を出してから、私は考えるようになった。 だいぶ薬の効果が現れてきて、考えることができるようになってきたというのもあるかもしれない。 これから私はきっと一人で生きていくんだろう、と。 意外にも寂しくはなかった。 うまれてはじめてのようなこの、一人で、自分で決定できるという自由が、とても心地よかったのだ。 それは結婚してから制限されていたものではなく、生まれたときから神様を悲しませないようにと自然に自分で制限していたものだったのだろう。 それでも、これから老いていく中、
少し時を戻して2020年。 自殺未遂騒動のあと親に連れられ北海道に戻った私は、札幌で暮らす独身の末の弟の家に居候していた。 実家は田舎すぎてすぐに噂が駆け回ってしまうからだ。 そこで2ヶ月ほど静養させてもらった。 弟は何も聞かず、いつも通りで、ほんとうにのびのびさせてもらった。 夫とはまだ別居状態であり、夫はタイの住まいや仕事を引き払ってそのまま沖縄に住んでいた。 時々連絡を取っていて関係は悪くなかったが、元の状態に戻れるようにも思えなかった。 どこかで離婚することになる
本当にスーツケース1つ、お金も少ししか持たずに帰国したので、すぐに寮付きの仕事を始めた。 が、体調、精神不良で2週間と持たなかった。 しかたなしに再び連絡を取った夫が、慌ててタイから迎えに来てくれて一旦沖縄のかかりつけ病院へ。 双極性障害の診断を受けたのはその時、37才だった。 病気になった確かな原因はわからない。 ただ振り返って思うのは、自ら選んだ(自分で選んだと言っているが、洗脳されていたんだろうというご意見もあるかもしれない。まあ、、どっちでもいい😂)そのクリスチ
ちょっとだけいろいろあった私の人生の記録。 3時のおやつのお供にどうぞ。 【生まれ】 1981年12月 【出身】 北海道の田舎町 【家族構成】 父は銀行員。大きくなったら蕎麦屋やりたいが口ぐせ。頭が切れてユーモアがあり、多趣味の自由人。 母は天然の万年乙女でおっちょこちょいな人。兄、私、弟、弟の4人兄弟。 【幼少期のエピソード】 子供時代の家庭の印象は明るく、ユーモアのある父とおっちょこちょいな母は忙しそうながらいつも楽しかった思い出がある。 4人も子供がいたので、父