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方法論

A-B-C。世の中の殆どはこの法則の中にあるといわれている。


■法則の説明■

【A (活用物)】-【B (自分)】-【C (欲、目的)】

この法則は、基本的に「考え方」についての法則であり、シンプルに
【C:目的】を得るために【B:自分】が【A:それを取れる人やモノ】を活用する、というものである。

例えば人が何か欲を持った際、自分自身で入手できる対象であれば、大抵は自ら【A】としてそれらを手に入れていると思われる。しかし、知識、経験、能力の範囲で手に入らない(もしくは入りにくい)モノを欲した場合はどうだろう?もしも今それを手にしているのなら、おそらく無意識に【A】を活用していたはずだ。

具体例を挙げてみる。

ある平凡な若者が一人の魅力的な女性に恋をした。若者は彼女を振り向かせるため、オシャレにお金を使い、デートプランを練り、プレゼントを送り、おいしい食事をごちそうし、夜景の奇麗なバーに誘う計画を立て、それを実行し、彼女の心を掴むことに成功した。

このケースをA-B-Cで解説すると

A:オシャレな服、綿密なプラン、プレゼント、料理、夜景、酒・・
B:自分
C:ステキな女性

となる。このレベルのA-B-Cであれば日常、無意識に活用していることだろう。

別のケースをもう一つ。
今アナタには既に大切にしている女性がいると仮定する。その女性が突然何者かに誘拐され、夜中に1通の脅迫状が届き、そしてその手紙にはこう記されていた。

「アナタの大切な○○は誘拐した。彼女を助けて欲しかったら24時間以内に新鮮な鯛10匹を、自分の手で釣って来い。ズルをしたら殺す。  
ヤミヤミ団 ミスターX」

そして窓のカーテンを開けると、向かいのビルから狙撃手らしき人影がこちらを狙っている。あの男、どこかで見た事がある。

そうだ!ゴルゴだ!

・・といった具合でプロ中のプロに監視されて逃げ場はない。恐らく鯛を魚屋で買うなどしたら恐らくお釣りを受け取る前に狙撃される。何がなんでも自分の手で鯛を釣るしかない、というケース。

参考までに鯛という魚はちょっとした釣り人でも非常に釣り上げるのが難しいと言われており、ろくに竿を振った事のない人間がインターネットでちょっと釣り方を調べたところでどうにかなるものではない。

「あっ!」

ここでアナタ、それこそ殺したいくらいに毛嫌いしている同僚のKが、先日、日本鯛釣り選手権で優勝していたことを思い出す。

釣り超上手い同僚(※イメージ)

普段なら頭を下げるどころか顔も見たくないKの力を借りるなど決して考えられない。まして自分が今から突然押し掛けて頭を下げたところで素直に力を貸してもらえるとは到底思えない。

だがこの状況、A-B-Cの方法論に従えばKの知識経験を活用することがほぼ正解。しかしそうまでするくらいなら自分でどうにか・・・という判断をするのであれば、アナタは【A(活用物)】が存在するにもかかわらず【C(彼女)】よりも【(自分)のプライド】を優先して彼女を見殺しにする、という「選択をした」事になる。

しかし、あくまで自らをA-B-Cの【B】と置き、Kが欲しがっていたゲームソフトを持参(これも一つの【A】)で、深夜の玄関先、命懸けの土下座と懇願で見事Kの心を動かせたのであれば、彼女が助かる可能性は飛躍的に上がるはずだ。

あとは朝一でKに釣り具屋へ同行してもらい、一緒に道具を選んでもらい、釣りの穴場を教えてもらい、仕掛けの作り方を教えてもらい、潮の読み方を教わり、Kに一切逆らわず言われた通りに竿を振り、Kがヨシと言ったら竿を引いて・・・とすればよい。


■法則のポイント■

① プライドを横に置け
A-B-Cのポイントは、このように日常無意識に使っているこの法則を
『目的のため』に、どこまで『徹底的に意識して使うか』という点にある。

その際、最も邪魔になるものが「プライド」である。
※但しここでいう「プライド」の定義は、良いプライド(自尊心)ではなく、悪いプライド(他者比較を前提とした虚栄心)の方を指す。

とはいえ、A-B-Cを活用する局面に於いて、長く積み重ねた「悪いプライド」を瞬時に消すことは非常に困難であるため、先ずは「一旦横に置く」ことから始めるとよい。具体的にはプライドのターゲットを「悪いプライド(虚栄心)」から「良いプライド(目的達成への信念)」に置き変えるのである。A-B-Cにおいて、「悪いプライド」は最大の障壁となる。

例えば先の例、どれだけKにマウントを取られバカにされようと、無事彼女を救うまでは決して自分のプライドを優先させてはならない。

(例)頭を下げたら負けの人

コレ、文章で書くと簡単だが、実際にA-B-Cを実践していくと、いかに「悪いプライド」に自身が縛られているかに気づく。実はこの「プライドを横に置く」というテクニック、何年も意識、実践を重ねてようやく身につけるほどの奥深いものである。(しかしこの技術、それなりの域に達すれば、先の人間関係でほぼ困らなくなるほどの価値がある。)

掘り下げて例を挙げる。
以下は【C(目的)】を手に入れるためのフローである。

夢→目標→計画→行動→結果(○、×)→反省→調整→計画に戻る

一部PDCAとも呼ばれる手法だが、A-B-Cに関してもこの当たり前を無視して日夜ストレスを溜めている自称努力家の方は少なくない。その方々、行動の結果で×が出ても「反省→調整」を怠ってやみくもに行動を繰り返し、無駄に傷を増やし、大抵「今の方法でいくら続けてもムリ」ということを決して認めない。この様なケース、皮肉なことに往々として価値観の違う、認めたくない人間の方がうまくいっているものであるため、当然、素直に教えを請うどころか耳を傾けることもない。

何となく分かってるのにやっちゃう

これらのこと、全て無意識の「悪いプライド」が邪魔している。

【B(自分)】でできないこと、取れないものを、頑なに【B(自分)】のやり方でどうにかしようとしているのである。

では、一歩進んで耳を傾けるところまではできたとしよう。
しかし誤る人は、そこでも素直に【A】を踏襲できず、【A】にわざわざ自分の価値観、考え方を織り交ぜる。そして最後は口を揃えて「ワタシはワタシのやり方がある」「ワタシには向いてない」と、○がでない理由を「悪いプライド」で正当化する。本人的には「やったつもり」になっているが、実際は「何もやっていない」のであるからムリな話である。A-B-Cにおいて【B】であるべき自分が、いつのまにか【A】にすり替わっているのだ。

この例はちょっと違うけど何か上手くいってない

このように目標に対する行動の中で、プライドが邪魔して自分が【A】になりそうなときは「ワタシが【B】、ワタシが【B】・・・」と呪文のように心の中で唱え続けることだ。自身で取れない【C】を欲するのならば、ひたすら【B】を自覚するのみである。

② 【A】は「利用」するのではなく【B】が「活用」するもの
A-B-Cの法則でいう所の【A】は「利用物」ではなく、あくまで「活用物」である。そのため【A】を生かすも殺すも【B(自分)】次第だという点を間違えてはいけない。

最初の例で言えば服やプレゼントに彼女が惚れてくれるわけではないし、同僚が代わりに魚を釣ってくれるわけでもない。【A(活用物)】の価値を高めるのは【B(自分)】次第なのである。

切れ味の良い包丁も腕のいい料理人が使えば美味しい料理を作る道具になるが、壊れた人に持たせたら大変迷惑なシロモノとなる。つまり包丁【A】は勝手に料理を作ってくれないし、手入れをしなければ錆びる。一流の職人が道具を大切にするのはそういうことだ。

色々良く切れそう

さらにもう一つ。
計画のあとに「でも、しかし、そんな事言っても・・・」等、言い訳を並べて行動できないなら、方法云々の前に、自分自身の壁を越えることが必須。自分自身、ましてや物理的な理由ではなく「悪いプライド」が原因で行動に移れないのであれば「何も変わらない今(むしろ衰退)」を自身で選択した結果なので、一切周囲のせいにしてはならない。目的を達成するための方程式はあくまで「気持ち×行動×方法論(A-B-C)」であり、どれか一つが欠けたら答えは「ゼロ」だ。一生待ったところで、突然都合よく【A】が【C】をプレゼントしてくれるなんてことはない。

③ 「接する人間」と「身を置く環境」の【A】を考える
A-B-Cの法則を考える際、目標に対しての現状確認が誤っていると、不屈の精神を持った世界一の頑張り屋さんでもその目標を達成することはできない。

例えば、一文無しのFさんが貯金100億円を目標として「コンビニ」という「環境」を活用し、24時間営業をいいことに365日不眠不休で時給1,000円のアルバイトをしたとしたらどうだろう。1日で24,000円、1カ月で720,000円、1年で8,640,000円、10年で86,400,000円・・と、仮に機械の身体で10年頑張ってもようやく世田谷に小さな戸建を持てる程度、時点まだ1億にも満たない。不老不死なら果てしない未来に目標達成も可能だが現実にはあり得ない。

機械の身体(※イメージ)

そのため【A】である「環境」を選択するにあたり「いつまでに」という要素を考慮する必要がある。

環境についてもう一段掘り下げる。
法律分野に対して知識経験能力のないHさんが突然弁護士を目指したとする。今Hさんは35歳、コンピューター関連の会社でシステム開発の仕事に就いている。ここで目標の達成年齢を40歳と設定する。このときHさんはどういう行動を取るべきか。

現在の環境のままでは、とてもではないが5年もの間、司法試験合格レベルの学習にモチベーションと体力を投入し続ける事は容易ではない。

横道に逸れるが、人は接する人間と身を置く環境でその人間の8割が決まると言われている。例えば人口100人の村が2つ存在したとする。一つは全員盗賊、もう一つは全員警察官といった村。そこに生まれたばかりの双子の赤ちゃんを一人ずつ送り込んだとする。さて、この赤ちゃん達が成人したとき、それぞれどんな大人になっているか想像してみてほしい。

盗賊の村(※イメージ)

本題に戻る。
Hさんはすぐにでも今のIT業界から法律関連の業界に転職すべきと考える。時給1,000円のコピー取りでもよい。とにかく環境に身を置くことが大切。人にとって、環境によるモチベーション効果は計り知れない。何より目標を「身近にイメージできる」ことが最大のモチベーションとなる。


④人間関係は最高の【A】
もう一つ大切な要因として「接する人」について考える。
対人関係は人間が最も影響を及ぼされ易い要因である。目標を持つと、単純に自分にとって居心地のよい友人関係から、自然に目的のために少しでもプラスになる対人関係へと変化する。普段から常に「見られている」意識が芽生え、一挙手一頭足に気を遣うようになる。毎朝靴を磨くようになり、スーツの皺も気になりだす。他人に不快感を与える様な癖や言動には特に注意を払うようになる。ため息や眉間に皺を寄せた表情は他人を不快にするだけだと気づくと次第に笑顔が増える。悪口や陰口が大きなマイナスにしかならないことに気づくと何気ない会話も生産的のあるものに変化する。

自分がそのように変わると自然と似たような人間が集まってくる。これこそが最高の【A(環境)】である。

ここでもしも、今後本気で何かを成そうと思ったのなら、人間関係を【A】とすることが最もてっとり早い。誰かとお友達になるのに、大金や知識、経験、能力は(基本的に)必要がないからだ。

例えば東京の人口は1000万人を超えているが、最長でも友達の友達を10人跨げば目的の人物に辿り着くと言われている。目的【C】のために、【A(ある業界で成功している人物Uさん)】に近づきたいとする。手順はこうだ。まず手持ちの人脈でそっち方面に少しでも関係のある知人を巻き込む。知人の心一つ動かせなければ話にならないが、そこはA-B-Cを使って何とかしよう。そして知人からさらにUさんに近い人物を紹介してもらう。そしてまた巻き込む。それをしたたかに繰り返す。もちろんUさんに近づけば近づく程、気持ちや根性でカバーできない要素(お金やら訳のわからない条件やら・・)も含まれてくるが、それもA-B-Cを駆使し、【B】の心得で何とか切り抜けて欲しい。簡単ではないがこれが最も近道。

プライドを横に置く(※イメージ)

実績も何も無い所から業界に飛び込んでサラリーマン経験を積み、会社人として何十年も真面目に勤め上げてそれなりに昇進したところで、Uさんに力を貸してもらえる術など無い。現実はそんなものだ。

要は、自分を取り巻く人や物は全て【A】であり、上司も部下も嫌いなアイツもぜんぶ【A】なのである。

【A】は最大の武器である。わざわざ自分で武器の価値を下げる必要はどこにもない。全てが【C】を手に入れるために活かせる「活用物」である。人としての【A】は最高の活用物である。(※利用ではない!)もっというと、目標達成のためには「何をやるか」よりも「誰と組むか」を判断基準にするとよい。

こういう考え方になると面白いもので、イキッて肩で風を切っていた奴でも次第に腰が低くなっていく。【A】は殺す(!)よりも活かした方がメリットがある事に気がつくからだ。目つきが悪く排他的な対人関係だった人間が急にニコニコし始めたら注意していただきたい。突然更正した、という可能性は限りなく低く、おそらく何か企み始めたか、怪しげな宗教にハマったか、のどちらかだ。

多分更正してないほうの例

■ポイントまとめ■

・悪いプライドは横に置け
・【A】は「利用」するのではなく【B】が「活用」するもの
・「接する人間」と「身を置く環境」が大事
・人間関係は最高の【A】


■最後に■

この様に、全ての判断の基準が「ワタシの気分、ワタシの都合」から「目的」に置き換わって行くと、物事を人のせい、物のせいにしなくなる。何かを欲する時の判断基準が「出来るか出来ないか」ではなく「欲しいか欲しくないか」に変わってくる。とにかく、何かうまく行かない事に対して言い訳をしなくなる。おおよそ、諸々の原因が自分にある事に気づき始める。そういう人間はそれだけで結構カッコイイ。目的のために面倒くさい事を面倒くさがらずにやる、やるべき時にやるべき事をやる、そんな小さな事の積み重ねで周囲の見る目はもちろん、何よりアナタ自身の目に映る世界が大きく変わるはずだ。

しかし、そうは言ってもなかなか思うようにはならないのが世の常である。極端な話、時には生命の危機に晒される事もあるかもしれないからこそ、生きる面白味もある。もし仮にアナタが、人生を賭けて目標を持って行動した結果それを手にできなかったとしても、自分自身の中で本当に完全燃焼できたのであれば、死ぬ間際の病床で「オレの人生は一体何だったのだろう・・」と、生涯を振り返って途方に暮れることはないはずだ。なぜならそれはきっと「やらなかった」でなく「やれなかった」だけなのだから。

やり切った(※イメージ)

もし身近な誰かが、何かで上手くいっていたり、成功していたりしたとしよう。それによってアナタは別に何かを摂取されるわけでもなんでもない。競争している相手でも無い限り、周りは全て【A】だ。自分にできていないのなら何かが活用できる筈だ。

他者と争って殺し合いや凌ぎ合いのために眉間に皺を寄せるのは、逃げられないオリの中で残った飯を奪い合う時だけで良い。あとは自分の目的のために笑っていよう。その方が健康にも良い。今後、限りのある人生をより楽しく生きようと欲するのであれば、A-B-Cをぜひその道標として役立ていただきたい。

どんなに科学が発達しても、世の中、人を動かす事が最大のマネージメントとなる。使う人間がいなければ電卓でさえも勝手に計算してはくれない。
とにかく本当の自由とは自分自身に拠る所に在る。

全ては意志が道を開く。健闘を祈る。


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