4年間
4年間の大学生活が終わろうとしている。
生まれ育った沼津の田舎を遠く離れた
福岡の街で4年間。
ミクロで見たら長くて、マクロで見たらあっという間な大学生活だった。
いつかの自分がこの大切な4年間を忘れてしまわぬように、ここに4年間の回顧録を書き残す。
1年目
心躍らせた、始めての一人暮らし。
受かるわけないと思っていた九州大学。
嬉しくてたまらなかった。
それでも、空港で見送ってくれた家族の姿には涙が出た。寂しさと覚悟の味がした。
勉強ももちろん楽しみだったけれど、何よりサークルを楽しもうと思った。
軽音とジャズに入って、中3からコソコソ練習していたギターをバンドで演奏しようと思った。
そして、芸術工学部特有の学祭サークルは、Zenyaと2研に入った。音響の皆入っているし、演奏したりモノを作ったりしてみたかった。
サークルでギターを弾くにあたって自分のギターが必要になった。今まで使っていたギターは兄のお下がりで実家においてきたから。
その時に出会ったのがPRS。今やサブ機になってしまったが、思い入れは一段とある。
ONE OK ROCKのToruに憧れてギターを始めた自分にとってPRSは憧れのメーカーで、廉価版でもバードインレイのギターを眺めるだけでウットリする。
このギターとともに大学生活を駆け抜けようと思った。
そして学祭が終わる。与えられた最低限の仕事だけして、学祭サークルを抜けた。
理由は単純に、合わなかったから。
あんなところにいてメンタルをすり減らしながら同期の友達との仲が悪くなるくらいならやめよう。
ただそれだけのことだった。
そして、19歳の誕生日に運命の出会いをする。
7弦ギターだ。
現在のメイン機。作曲には基本的にコイツを使う。
買った当初はGuilty KissのDeep Sea Cocoonを弾いてみたくて買ったけれど、後々オリジナルは6弦ギターのドロップで弾いていると知ってコケた。
買った当初こそ出番は少なかったが、ローチューニングの気持ちよさを知ってしまった今は手放せない愛機。
ノブはボリュームだけ、コイルタップ、ロックペグ、固定ブリッジと好きな要素しかない。あと何年もコイツと音楽をやっていたい。
そんな素敵なギターとの出会い、学祭サークルにコンプレックスを抱えながら大橋に引っ越した。
2年目
特にこの年は思い出に残っていない。特に大きなイベントもなかった。
ただ、この年が一番学祭コンプレックスにやられていた。
Zenya決起ライブで友人がステージに立ち、Twitterで嫌でも目に入るやった事リスト。
今となっては何とも思わないし、むしろ友達が頑張っているのを純粋に応援したい気持ちがある。
でもその時の私には学祭で努力して輝く友人たちを見て自己嫌悪に陥っていた。
自分には何も成し遂げることができない。
大げさにそんな事を考えていた。
自然に学祭サークルのTwitterアカウントをブロックし、無意識に学祭の話をする人たちと距離をとった。
自分には成し遂げられなかったことを友人たちはいとも容易く成し遂げる。彼らと自分との差にコンプレックスを抱えて3年目を迎える。
3年目
ここで彼女ができる。
人間というのは単純なもので、少しでも心の拠り所ができると精神的に安定する。
この年初めてZenya決起を見た。
知らない曲が多かったし、先輩たちがうるさくて居心地は悪かったけれど、ステージ上や裏方で輝く友人たちを見て悔しくも、誇らしく思った。
その悔しさをどうにか形にしたくて計画したのが「メタルフェス2024」だった。
このライブの企画が4年間の大学生活の一番のハイライトだ。
軽音部長をしていた友人に相談して、協力をTwitterで募ったら何人もの人が声をかけてくれた。
その時点で嬉しかった。そして、なにより原動力になった。
芸工軽音ではメタルが不人気すぎる。そもそも芸工とかじゃなくてメタルがマイナー過ぎる。
それならメタルに焦点を当てたライブをしてみよう。それが自分にしかできない企画だと思った。
(一応5バンド集めたけどメタルフェスと呼んでいいかギリギリのラインナップになった)
バンドで集まった演者も、来客も少なかったけれど、幸せな時間だった。普通に知らない人も来ていてビックリしたのを覚えている。
トリのあたっく!あたっく!では全員で馬鹿になって頭振って手を上げてくれて、ステージから観る景色は幸せで、最高の仲間たちに出会えたんだと思えた。
無茶なスケジュールと企画と弱すぎる宣伝で完璧な企画ライブとは言えないけれど、完璧な時間を作ることができた。
自分にも何かを成し遂げることができた。
その全ての思い出を胸に、就職を選んだ。
学祭サークルにコンプレックスを抱いていたこともあり、大学生活を伸ばす気持ちはあまりなかったし、メタルフェスに力を注いだ私は燃え尽きていて、次のステージを探していた。
4年目
就職活動は比較的早く終わった。3年の夏からインターンや説明会にちょくちょく参加していたため、早期選考をもらえた。
しかし、すべてがうまくいったわけではない。
第一志望は書類選考落ち、第二志望は一次面接落ち。第三志望の会社に縁あって内定をいただいた。
キツかったのは第二志望の会社。
一緒に就活をしていた同期と同じ選考を受けていた。彼に通過の連絡が来て、自分には来なかった。
友人が通過したことは嬉しいけれど、純粋な気持ちでおめでとうと言えなかったことが辛いし、変に気を遣わせてしまって申し訳なかった。
来年の4月からは東北の地で働くことになった。
実家には比較的近づくが、福岡からは遠く離れてしまう。
福岡で働いている彼女とはしばらく遠距離になる予定だ。将来がどうなるかは分からないけれど、ゆっくり話し合いながら未来を見つけていこうと思う。
4年目。現在。卒論に追われている。
本当に書き終わらないかもしれない。計算結果が訳わからんことになっている。
とりあえず卒論を書こう。
学生でいられる時間も、福岡で生活できる時間も、残り僅かになってしまった。
社会人になるのは、正直死ぬほど怖い。ちょっと前まで鬱になっていた。
それでも先ばかり見ていて、足元を見なければ躓いてしまうのも当たり前なので、まずは今日1日をいい日にすることにした。
それを毎日続ければ、良い未来がきっと来る。
あと少し、頑張ります。