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言葉になる前の音
先週、神戸の太陽と虎へ下津光史さんの弾き語りLIVEへ行ってきた。
LIVEハウスまでの道中「次なに聴きたい?」とLIVE中に言われたらというようなことを妄想し、今日は迷いなく「美しい春」って言うなぁ。などと考えていたものだから、その曲のイントロが弾かれはじめた瞬間、細胞がぶわあと湧き立ち、たまらず涙があふれていた。
たぶんその瞬間、武庫川の水面はきらめき、魚は踊り、鳥は歌っていたはずだし、自分も鳥にでもなって広いところに飛び出したような開放感を全身で味わっていた。
ピンクの春が通り抜けたらペンを走らす
僅かでも離れても 春の道に寂しさ込めながら
笑顔に笑顔で応える
どこにでもありそうなやりとりを
想います いつの日にも
光射す 散歩の列
どの曲もさいこうだったけど、アンコールでブルーハーツの「青空」を歌ってくれたのもほんっとにさいこうだったな………
ピカピカに光った銃で
できれば僕の憂うつを
撃ち倒してくれればよかったのに
いつもそうなのだけど、LIVE中は音楽に全集中しながらも、そのときの音やにおい、温度などによって想起される記憶や感情にあたまのなかはゆらゆらしている。
数年前から、きらいじゃないのになんでか癇に障っていつもやさしくできない相手がいて、その人への態度を思い返すたびに嫌気がさして落ち込むのだけど、今日もその人からかかってきた電話にすこし強く言ってしまったことを思い出し、ああつぎに話したときにはもうすこしやさしくなりたい。と反省し、いつだって怒りのさいごの矛先は自分なのだから、自分にこれ以上失望しないためにできることをやるしかないのだ。まだ変われるのだ。という決意のようなものがLIVE中もめぐっていた。
「このLIVEハウスの壁に染み込んだ音楽へ愛を込めて」という下津さんの言葉を想いながら、LIVEおわり、わたしもここへきましたよという敬意を込めて、誰にも見られないくらい微かに壁をひとなでした。
わたしは今日もやさしくなれなかったけど、音は言葉になる前の無意識下のいろんな感情をつれてきてくれるから、いつもなぐさめになってくれる。
いい夜だった。
昼間は神戸でたくさん本を買ったり、すてきな器を買ったり、ジャズ喫茶へ行ったりしたけど、その話はまた今度。