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【研究】【文献記録】Heath (1983) Ways with Words

研究のために読んだ本の記録をnoteにつけてみようと思い、気まぐれに始めてみる。第一弾はこちらの本。

タイトル:Ways with Words:  Language, Life and Work in Communities and Classrooms.
著者:Shirley Brice Heath
出版年:1983
出版社:Cambridge University Press


だいたいこんな話

アメリカ南東部のある地域で、子どもたちが家庭や学校でどのようにことばを使うようになっていくかを実地調査し、コミュニティによってその過程が違うことを詳細に描き出した研究。

特に、学校や社会は地域の主流層のことばの使い方を「普通」として進んでいくため、それとは違う「普通」を持つコミュニティの子どもたちは馴染みにくく、学業不振に陥りやすいことが指摘されている。

さらに、先生が自分たち、そして生徒たちそれぞれの「普通」を理解し、その違いを意識して授業をすることで、生徒たちの学習態度や成績がよくなったという具体的な事例がのっている。

読んだきっかけ

わたしは今、ざっくり言うとマイノリティの子どものリテラシーについて研究をしているのだが、その手の分野の研究で必ずと言っていいほど引き合いに出されるのがこの本。

リテラシー研究の世界ではかなり有名ということで、一回読んでおかねばと思って挑むことに(なかなかの大著でめっちゃ時間かかった…)。あとは、自分の研究でも同じような実地調査の手法を使おうとしているのでその参考にもなるかなと。

内容(ちょっとだけ詳しめに)

背景

この研究が行われたのは1970年代前後で、その時期のアメリカは人種差別の撤廃でいろいろなバックグラウンドを持つ人たちが学校や職場で一同に会するようになっていた頃。異なるバックグラウンドを持つ者どうし、どうもコミュニケーションがうまくいかないことがある…という問題に関心が集まっていた。

当時はコミュニケーションについて、ことばの使い方が人種や社会経済的階級によって違うのだ(白人の話し方と黒人の話し方、金持ちの話し方と庶民の話し方みたいなこと)と言われがちだったが、Heathは自分の身のまわりの状況がそれでは説明できないと感じていた。

そこで、人種や階級ではなく「コミュニティ」の違いに目をつけて、異なるコミュニティでのことばの使い方を明らかにしようとしたのがこの研究。

どんな人たちが出てくるか

Heathが実際に調査をしたのが、この人たち。
・黒人労働者のコミュニティ(Trackton)
・白人労働者のコミュニティ(Rodaville)
・都市部に住んでいる主流層(mainstreamとかtownspeopleと呼ばれる)

場所はアメリカ南東部、南北カロライナ州にまたがるPiedmontと呼ばれる地域だ。ここは繊維工業が発展してきた地域で、TracktonとRoadvilleの人たちは主にその工場で働いている。

主流層の人たちは一つのエリアに住んでいるわけではなく、いろいろなところに散住していて、参加している活動や組織ベースでつながっている。学校志向で、子どもは学校も習い事も頑張ろう!という感じ。エリートを想像してもらうと分かりやすいと思う。

ちなみに、「白人」「黒人」とか「労働者」とか、めっちゃ人種や階級やん?とも思えるのだが、それぞれのコミュニティの特徴は「白人だから」「黒人だから」「労働者だから」と説明できるものではなく、「あそこの人たちだから」というものらしい。(実際、主流層には白人も黒人も含まれているし、RoadvilleとTracktonは同じ労働者階級でも全然ちがう。)

それぞれの人たちの特徴

上で紹介した3つのグループの特徴について、本にはかなり詳細に描かれているが、ここではざっくりと項目別にまとめてみる。

幼い子どもをとりまくことば
学校に入る前の子どもが、どんな風にコミュニケーションに引き入れられるか。

Trackton:
とにかくいろいろな人たちの会話の中に放り込まれ、その場その場でどんな言動をすればいいのか、教えてもらうのではなく場数を踏んで自ら学んでいくスタイル。アドリブ力が大事。

Roadville:
親が「いつどこで何をする」など統制しながら、子どもに積極的に話しかけ、「正しい話し方」「正しい行動の仕方」を教えていく。規範的。

主流層:
赤ちゃんの頃から一人の立派な会話相手として積極的に話しかけられ、子どもは自分からもいろいろな話をするようになる。それと同時に、他の人の話をしっかり聞くことも家庭内外で習慣づけられる。学校で求められることに近い。

どんな「お話」を語るか
これは、エピソードトークをする時にどんなことを話すかを想像してもらったらいい。

Trackton:
自分がいかにすごいかを示すために、大げさに言ったり話を脚色したり、相手を惹き込むようにドラマチックに話す。

Roadville:
話が事実に即している(脚色しない)ことが大事で、何かしらの教訓があることが求められる。

主流層:
事実にもとづいた話も架空の話もどちらもOK。学校も同じ。

読み書きの習慣
文字で書かれたものが日常でどのように使われるか。

Trackton:
文字で書かれたものは、読み上げられたり内容が話し合われたり、なにかしら口頭でのコミュニケーションを伴い、文字情報だけで完結しない。ひとり黙々と文字を扱うのではなく、みんなでする社交的な活動として読み書きをする。

Roadville:
書くことはあまり重視されないが、読むことは教育につながるとして、子どもへの読み聞かせなどには積極的。ただし、まわりの大人が実際に文章を読んだり書いたりすることは少なく、学校が始まると学校に任せる。

主流層:
いろいろな目的のために読み書きが行われ、子どももそれを目にする中で、文章の多様な役割や、その目的に応じた決まりを学んでいく。書いてあることについて話す、あるいは書いてあることをもとに話すことが、家庭、学校、仕事を通して一貫して習慣づけられている。

まとめると…
TracktonとRoadvilleでは、ことばの使い方の「これが普通」がかなり対照的だし、そのどちらも主流層の「普通」とも違う。

なんとなく想像がつくかもしれないが、Tracktonのカオスにことばが飛び交っているような様子は、学校とはずいぶん違う。家庭など身近な環境と学校との間に大きなギャップがあるため、Tracktonの子どもは早い内から学校の勉強についていけなくなりやすい。

一方、Roadvilleは規範的で教育的なところがあるので学校とのギャップはあまり大きくない。ただ、家庭が学校の勉強に関わろうとすることが少なく両者のつながりが薄いため、だんだん遅れをとるようになる。

主流層の子どもたちは、幼いころから家でやっていることが学校と近いうえに、家庭でも学校で勉強することが取り上げられ、身近なことや将来と結びつけられることが多い。なので、学校やその先で成功しやすい。

このような違いが出てくるわけだ。

どんな授業をしたか

そうした中で、著者や先生が学校でどのような取り組みをしたのかというと…

先生がエスノグラファーになる
まずは先生が、自分たち、そして自分の教えているさまざまなコミュニティの生徒たちのことばの使い方、物事の学び方を観察してその違いに気が付く。そして、その違いを踏まえて教え方や教材を工夫したり、生徒の生活にとって意味のある活動を取り入れたりしていった。

生徒がエスノグラファーになる
習っている単元について、生徒たちは自分の住む地域で調査をしたりいろいろな人に話を聞いたりして調べ、分かったことをまとめて発表する。いわゆる「調べ学習」のようなもの。

子ども達は身近によく知っていることが学校で学ぶこととどう関係しているのか、その結びつけができるようになり、身近なことを学校という場で伝える時にはどんなことばを使えばいいのかを学んでいく。

こうした取り組みで、実際に授業態度や成績もよくなったようだ。

要するに、先生は自分にとっての「当たり前」を前提に進めない。そして、生徒が身近によく知っていることと学校的な知識との間をつなぐ。それを意識した教育が必要だということ。

まとめ

というわけで、ここまでの話をまとめると…

アメリカ南東部のPiedmontという地域で調査をしたところ、黒人労働者階級のコミュニティTrackton、白人労働者階級のコミュニティRoadville、そして都市部に暮らす主流層では、子ども達がどんな風にことばを使うようになっていくかが全然違う。そして、学校は主流層の基準で進むため、TracktonとRoadvilleの子ども達はその違いから不利な状況に置かれやすい。

そうした中で、主流層の基準を絶対的なものとするのではなく、異なるコミュニティの価値観や文化をいかに生かすか。そうして学校とコミュニティの間にある壁をとっぱらっていくことが大事になってくるということ。

おもしろかったところ、考えたことなど雑記

こんな研究できませんけど…?

読んだきっかけに研究手法の参考になれば…と書いたものの、
大がかりすぎて参考にならねえよ!
というのが正直な感想です。はい。

この研究で使われている手法はエスノグラフィー。これは、対象となる人たちの生活や活動の場に入り込んで観察したりお話ししたりして記録をつけながら、その人たちの文化や行動様式を調べるというものだ。

なにせ著者は10年ぐらい2つのコミュニティに入ってこの手法で調査をして詳細な記録をつけていらっしゃるわけで…。壮大すぎるんよ。

まあ、どうやら著者が全部のデータをとったわけではなく、自分の大学の生徒に自分の家でどんな風にことばを使っているかを観察してもらったりしたみたいだけど。それでも大作であることに変わりはない。

ちなみに、エピローグの部分で、著者自身も「コミュニティの様子が研究後にずいぶん変わっているから、もうわたしと同じような研究はできねぇぞ」と言っている(ですよね~。ちょっと安心)。

結局、エスノグラフィーというのは決まったやり方があるというよりは、入っていく現場とそこでの自分の立ち位置に合わせて柔軟に、一番いいやり方を探していくというのが大事なんだろう。それはそれで大変だけど。

エスノグラフィーの意義

壮大すぎて参考にならんと書いたものの、この本を読んでいて、エスノグラフィ―の手法を使うこと自体には意味があると改めて思えた。

というのも、この本の中では学校の先生も自分や生徒のエスノグラフィーをしているが、先生はそれを通して、自分にとっての当たり前が一部の生徒にとっては当たり前でないことに気が付き、自分の教え方を変えることができた。

エスノグラフィーでは、自分が既に持っている価値基準・判断基準はいったん捨てて、自分が入っていく現場の人たちの視点に立ち、その人たちにとって大事なこと、意味のあることはなんなのかを追究していくことが大事になる。

なので、この本の先生がそうだったように、エスノグラフィーから得られる気づきはマジョリティの「これが普通だ」という考え方を見直すことにつながるといえる。

それは、必ずしも多数派の「普通」を共有しない子どもたちが力を発揮できる教育の場をつくっていくうえで大切なことじゃないかと思う。

"Ways with Words"って結局なに

読みながら裏で(?)ずっと考えていたのが、タイトルの"Ways with Words"って日本語に訳すとしたらなに?ということ。

wayは「方法」という意味があるし、内容的にも「ことばの使い方」「どのようにことばを使うか」といったところだろか。

ただ、単に道具のようなものとしての使い方というより、この本には、ことばの使い方はそのほかの価値観や生活様式とも深く絡み合っているとある。なので、「ことばと共にどうあるか」みたいな、人のあり方と関わるようなニュアンスも含まれているのかなぁとも思う。

ちなみに、調べてみると"have a way with words"という決まり文句があるようで、それは「話がうまい」「弁が立つ」みたいな意味らしい。だとすると、ways with wordsは「話の才」ということになる。

このタイトルにもそういう意味が含まれているのかは分からないが、何にせよwayが複数形なのがポイントだと思う。

ことばの使い方にしろ、そのうまさにしろ、そういうのは一つの決まった正解や基準があるわけじゃなく、集団とかコミュニティによって色々あるんだということ。複数形にはそんな意味が込められているはず。

人種や階級ではなくコミュニティ

最初の背景のところにも書いたように、この研究はそれまでよく使われていた人種や階級というカテゴリではなく、コミュニティという単位に着目している。これは大事なポイントだと思う。

マイノリティについて研究をしていると、どうしてもその人たちの属性(たとえばわたしの場合、外国人であるとか)に囚われがちになる。でも、そもそもそのカテゴリをベースに研究することが本当に妥当なのか、一つの属性に囚われすぎていないかどうかは常に自分に問いかけていかねばと思わされた。

コミュニティとは…

ただ、世界的に人の移動が激しく、インターネットなどで簡単に場所をこえてつながることができるようになった今、「コミュニティ」というのもどこまではっきりした形を持つものなのか微妙なところ。

ここに出てくるTracktonやRoadvilleは地理的に境界がはっきりしていて、長年にわたって築いてきた独自の文化を持っているコミュニティとして描かれている。けれど、人の移動や場所を超えたやりとりが活発になると、ひとつの場所にいても色々な考え方や習慣に触れることができるし、一つの場所にずっととどまっていること自体が珍しくなってくる。

だから、単純に「この地域で育ったから」だけでは説明しきれないことも出てくるように思う。

人もモノも情報もあちこち飛び交って色々な境界があいまいになって。これだけ複雑になってくると、属性とかコミュニティとかの単位で区切るよりも、ひとりひとりがどんなネットワークを持っているかが大事になっていくのかな…思ったりもする。


というわけで、初回はこんな感じ。
大著なだけに、えらく長くなってしまった…。

もしこんなところまで読んでくださった奇特な方がいたら、なんとお礼を申し上げてよいやら。

すっきり分かりやすく伝えられるようになりたい。そのトレーニングだと思って続けたい。続け第二弾…!

それでは今回はこの辺で…。

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