⑤アイデンティティーの崩壊
中学時代のいじめとでもいうべき状態は卒業まで続いていた。しかし幸いなことに、一部の人間に嫌われているだけで、仲良くしてくれる友達は少ないながらもゼロではなかったので、心に傷を負いながらも、それなりに楽しく過ごしていた。
高校に入ると、次第に中学での出来事は忘れるようになった。私の知る限りくだらないいじめをする生徒はいなかった。校風も私に合っていたのだと思う。穏やかに、そしてのびのびと過ごしていた。少しずつ自分を出せるようになり、腹を割って話せる仲の良い友達もできた。小・中学校で感じていた独特の緊張感は薄れていたように思う。成績も良かった。しかし相変わらず自分のことには無関心で、やりたいことがなくて、進路について悩むようになっていた。
まず1年の段階で、文系か理系かを決められなかった。基本的に、自分どうしたいかを自分でもよくわかっていないのだ。それに好きな科目は化学と古典だし、苦手な科目は数学と歴史である。選べるわけもない。仕方がないので、担任のS先生とじゃんけんをして決めた。私が勝ったら理系、先生が勝ったら文系ね!という感じで。結果、私は理系に進むことになった。
2年生になると、なぜか学力がどんどん伸びて、学年トップになっていた。しかし相変わらず向上心はなく、授業以外では勉強もせずに、まったりと過ごしており、担任のM先生には「たまひよは欲が無さすぎる」と怒られることもあった。この頃になると、いよいよ将来どうするかを決定しなければいけない。でもやりたいことがないのだ。何もできる気がしないし、何にも興味がない。見かねた担任たちが「じゃあ医学部に行きなよ。たまひよは上を目指した方がいい」と助け船を出してくれた。私は元々血や病院苦手なので、とても無理だと思ったのだが、進路が決まらないと困ってしまうので、医学部を目指すことにした。
3年生では医学部クラスに進学したものの、相変わらずやる気のない脱力系だった。この頃、私は10日ほど言葉を話せなくなったことがある。担任のI先生と母と私で三者面談をした直後の出来事だった。I先生は母に「娘さんの学力であれば国公立の医学部も目指せます」と言った。すると母はなんのためらいもなく「女の子の教育にお金をかけるつもりはありません」と答えた。先生と私は顔を見合わせ、呆然とした。一体いつの時代の話をしているのだろうと。面談のあと、私は膝から崩れ落ちるような感覚に陥った。そして思ったのだ。「もう2度と立ち上がれない」と。
きっと小さい頃から私を私たらしめていていたものは、勉強だったのだろう。それを失ってしまったのだと思う。どうしたらいいのか、何もわからなくなり、考えられなくなり、そして声が出なくなった。
私は手首を切った。何故切ったかはわからないが、たまたま持っていたカッターを手首に押し当てたのだ。すると血と共にモヤモヤした感情が流れていき、、胸がスッとした。全く痛みはなかった。不思議なことに、手首を切ったすぐ後に、声が出るようになった。
その後、私のことを不憫に思った学校の先生たちがこう提案してくれた。「医学部を受験しよう。そして合格した上で、自分の意思で行かないという選択をしよう」と。
私は悩んだ。もしかしたら、うちにはあまりお金がないのかもしれない。母はプライドが高いから、お金がないと言えなかった可能性は高い。でも、もしかしたら違う可能性も残されているとも思っていた。それは母のコンプレックスを刺激してしまったのではないかということ。だとしたら、私はその現実を受け入れられるのだろうか。
そんなことを悩みながら、いよいよ受験の日を迎えることとなった。
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