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③緊張の毎日…母に言われた言葉

ずっと父が嫌いだった。
母と兄と私の3人で暮らしたいと願っていた。
私は。少なくとも私だけは…。

小学校にあがっても、そうそう性格は変わることはなく、人見知りで引っ込み思案で恥ずかしがり屋のままだった。毎日緊張の連続で、嫌々通学していた。

1つだけ変わったことがあった。母との関係だった。ここだけの話だが、母は頭が悪い。まるで考えることを拒否しているかのように見えるほどだ。母は小さい頃から兄に「バカ」と文字通りバカにされていたそうだ。私が産まれたとき、母は自分の義姉にこう言ったそうだ。「私がしてきた辛い思いをこの子にだけはさせたくない。私が守らなきゃ」と。こうして育った私だが、皮肉なことに成績は悪くはなかった。学年でもトップクラスだったように思う。しかし兄が…兄は母に似てしまったようで、勉強はからっきしダメであった。どれほどダメかというと、九九を覚えられないくらい。

そして事件は起こった。あろうことか、妹の私のほうが先に覚えてしまったのだ。今でも忘れられない。九九を覚えられない兄のために、両親が問題を出していたときのこと。父「7×6は?」兄『んー』私『42!』まさに場が凍りつくとはこのことである。今思えばこれが母の「守らなきゃならない」対象が、兄に移った瞬間だった。

私が小学校高学年になったあるとき、母は私にこう言った。「あんたは誰の子だろうね?私はあなたのとこを知り合いから預かってるような気持ちで育ててるから」

ショックを受けて泣くというのが、いわゆる普通のリアクションだろうか。しかし私は泣けなかった。そうだと思ってたんだ。わかってたから。やっぱり私とお兄ちゃんは違うんだね。

これは私の想像でしかないのだけれど、母は兄に感情移入しすぎていたのかなと。兄がバカにされたり、勉強ができなくて怒られたりするのを、自分がバカにされている、怒られていると錯覚してたんだと思う。そしてずっと恐れていたのであろう。頭の悪い兄は母親似であり、頭の良いたまひよは父親似であると気づかれることを。

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