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【小説】夢の話

妻は毎朝、朝食を食べる僕に、その日見た夢の話をする。
正直なところ、それを聞くのは1日の中で最も退屈な時間だ。
専業主婦である妻は、会社員である吉村と違って起きる出来事は少なく、日中会話をする相手もいない。だから、夢の話でもいいから僕と会話したいというのはわかる。
ただ、妻の夢は毎日似たような内容なので、再放送のドラマを繰り返し見させられているような気持ちになる。
憂鬱な気持ちを抱えながら、僕は布団から起き上がり、妻の待つリビングへ向かった。

「おはよう」
台所にいる妻に挨拶し、ダイニングテーブルに座る。
「あっ、おはよー。ちょうど朝ごはんできたんだ」
バターの塗られた食パンと、目玉焼きソーセージが乗ったプレートを僕の目の前に置く。
「ありがとう」
一緒に朝食を食べられるのも新婚の今だけかもしれない。
そう考えると恵まれた悩みかもしれないかもしれないが、僕の目の前の席に座る妻を見ると、「ああ、また夢の話がくるぞ」と憂鬱な気持ちになる。
「今日さ、クイズ番組に出る夢見て」
「へー」
妻は週に3回ほど、夢の中でクイズに挑戦する。
「……あっ、なんだっけあのクイズ番組。失敗するとぐるぐる回るやつ」
このように、時折質問をされるので適当に聞き流すこともできない。
「タイムショック?」
「ああそうそう。それに挑戦してね」
「そうなんだ」
「で、なんか結構答えられちゃってさ、パーフェクト目前まできてね」
「えっ、凄いじゃん」
僕は驚いた表情をするが、夢の中の話だ。自分の出すクイズに、自分で答えられるのは別に凄くない。
そして、全問正解直前までくるのも、いつもと同じ展開だ。
「でね、最後の問題で、今何問目?ってクイズが出てさ」
「へー」
「それで、12問目って答えたらさ『150問目でした。残念』なんて言われてさ、もうほんとおかしかった」
そう言って妻は笑顔になり、僕は何が面白いかもわからず愛想笑いをした。
最終問題で間違えるのも、いつもと同じ展開だ。

数ヶ月営業をかけ、ようやく取れた大口契約に、僕は口元を綻ばせて帰路についていた。
ケーキでも買って帰ろうかと駅前を歩いていると、コンビニの前でドミノ崩しのように倒れている自転車が目に入った。
「人にした親切は、必ず返ってくる」と、口癖のように言う上司の姿を思い出す。
僕は、「明日のプレゼンも上手くいってくれよ」と願いながら、1つ1つ自転車を起こしていった。
全ての自転車の下敷きになっていた、最後の自転車を起こしたところ、コンビニから白髪頭の老人が出てきた。
「ここに倒れていた自転車を、お主が全部起こしたのか?」
「まあ、はい」
自分の欲のためにした行いを見られ、なんとなく恥ずかしい気持ちになる。
「そうか。ではそんな親切なお主に、願いを1つ叶えてやろう。お主の願いはなんだ?」
「え?」
老人の顔を改めて見ると、真剣な面持ちだったので、「ヤバいやつだ」と思い立ち去ろうとする。
「待て。後悔するぞ」
そう背中越しに聞こえたが、早歩きで駅と反対側の道を歩いた。

2分ほど歩き、流石にもういないだろうと振り返ると、老人はおろか通行人が1人もいなかったので、胸を撫で下ろす。
進行方向に顔を戻すと、あの老人が立っていた。驚いた僕は、体をのけぞった姿勢になる。
「私は神だ」
自転車か何かで追いかけてきたのだろうか。
またもや真剣な面持ちな老人に、僕はうんざりする。
せっかくいい気分で家に帰っていたのに嫌な老人に絡まれ続けてしまい、上司の言葉を間に受けなければよかったと、後悔する。
「はあ……」
「お主の願いを聞くまで、私はお主の前に現れ続けるぞ」
この不審な老人が立ち去るのであればと、半ばやけくそだが、自分の願いを伝えようと決めた。
ただ、僕の願いとはなんだろうか。
仕事はやりがいを感じているし、人間関係が嫌だと感じたことも無い。
妻と結婚して良かったとも思ってるし、喧嘩も滅多にする事なく、生活は順調だ。
そこまで考えてから、僕の毎朝の退屈な時間を思い出した。
「妻の夢を、面白くしてください」
そんなわけのわからない願いに笑われるかと思ったが、老人は深く頷いた。
「しかと心得た」
すると急に視界が明るくなり、あまりの眩しさに目を閉じた。
眩い光が収まり、ゆっくりと目を開けると、老人は僕の前から姿を消していた。


1週間ほどしてから、僕はあの老人が本当に神だったのだと確信する。
あの日以降、妻の話す夢の話が、劇的に変化したのだ。
妻の夢の内容は、冒険モノ・サスペンス・復讐劇と毎日ジャンルが変わり、ストーリー展開も、そこらのドラマや映画とは比べ物にならないほど、エンタメ性に富んでいた。

それだけ夢の世界が面白いせいか、妻の目覚める時間はどんどん遅くなっていた。
それどころか、眠る時間も早くなり、夕食が終わるとすぐに布団に潜るようになった。
1ヶ月もすると妻は、食事と入浴の時間以外は布団の中で過ごすようになり、ほとんど顔を合わせることも無くなってしまった。
そして僕は毎日、つまらない夢を話す妻の笑顔を思い出しながら、倒れた自転車を探し街を徘徊し続けている。