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【小説】からしの会

実家に帰ると、見慣れない家具が増えて、なんだか違和感を感じる事がある。
ただ今回ばかりは、すぐに受け入れることはできなかった。
部屋中の家具・家電が、全て黄色のもので新調されていたのだ。
母に聞くと、「ご利益を得るため」だとしか答えないので、2つ下の妹・麻美に聞いてみた。
「なんだかね、ハマっちゃったみたい、宗教に」
まず真っ先に、575で俳句みたいだなと僕は思ったけれど、次に宗教という言葉に驚いた。
「宗教?」
「それがね、新興宗教、みたいなの」
また真っ先に考えたのは、字足らずだなという事だったけれど、『新興宗教』という言葉の胡散臭さに、鳥肌が立った。
確かに母は昔から、占いだとか迷信めいたものに対する興味は強かったものの、家具・家電を一式買い換えるほどに宗教に耽溺するとは思わなかった。
「どんな宗教なの?」
そう聞く僕に麻美は、笑いを堪えながら答えた。
「えっとね、からしを祀り立てる宗教みたいで」
「え?」
「『からしの会』って言うらしいの」
 麻美の話す、からしを仕り崇める『からしの会』という組織に母が属し、幹部候補まで上り詰めているという話は、耳には入ってくるが脳まで届かず、理解に苦しむ内容ではあった。
「それ、麻美はどう思ってるの?」
「お母さん、ずっと趣味っていう趣味もなかったし、家具とか買い替えてからは別にお金とかも使ってないみたいだから、まあいいかなって」
確かに母はこれといった趣味もなく、父が他界し僕や麻美が子離れする頃には、惰性で続けているビリーズブートキャンプくらいしか暇を埋めるものはないように見えた。
母を1番近くで見ている麻美の楽観的な返事に、僕も「まあいっか」と、納得してしまった。


「冷蔵庫にマスタードは入ってる?」
実家に帰ってから2ヶ月ほど経った頃、受話器から聞こえる母の深刻そうな声でそう聞かれた。
嫌な予感がするなと思いながら、「早く冷蔵庫を確認しなさい」という催促に負け、自宅の冷蔵庫を開けた。
すると冷蔵庫のドアポケットに、ほとんど使われた形跡のない粗挽きマスタードが1つあった。
そのことを告げると母は、そんな声が出せたのかと驚くほどの低い声を出した。
「今すぐ捨てて。マスタードは災いをもたらすの」
そう捲し立てられた結果、「捨てたよ」と嘘をつき、母からの電話をようやく切ることができた。
すぐに麻美に電話をかけ、母の様子を尋ねた。
「なんだかさ、敵対組織が、できたみたい」
今度は字余りだなと思いつつ、「敵対組織?」と尋ねる。
「うん。そっちはマスタードを祀り立てる宗教みたいで、『からしの会』はそれを敵視してるみたいなの」
変わらない麻美の楽観的な様子のせいで僕も興味が薄れてきて、少し世間話をしたのち電話を切った。


それから半年ほどが経ち、僕には恋人が出来た。
山吹色のセーターがよく似合う、薫という同い年の女の子だった。
落語が好きだという、同世代とはあまり分かち合えない趣味が一致し、急速に仲を深め交際に至った。
「出来ちゃったみたい」
恥ずかしそうに告げる彼女に、驚き、気が動転したものの、こんな事でもなければ、先延ばしにする事が得意な僕が結婚を決意する事なんてないだろうと、その場でプロポーズをした。

翌週、薫を連れて実家に向かった。
彼女と対面した母は、なぜだかいきなり跪いた。
「かっ……からし様!」
よくよく話を聞くと、薫は『からしの会』の教祖を務めているのだと知った。
「どうして僕に言ってくれなかったの?」
「だって、聞かれなかったから」
そう、照れ臭そうに彼女は言った。
「それからね、言えてなかった事だけど、赤ちゃん産まれたら、献上しなきゃいけないの」
途中まで短歌を読み上げるようだなと思い聞いていたが、『献上』という言葉に僕は耳を疑った。
「献上!?どういう事?」
「おでん様に、子供を献上しなきゃいけないの」
昔からの風習で今更変えられないのと言う彼女の、山吹色のセーターを見て、そういえば山吹色って辛子色とも呼ばれるよなと、どうでもいい事を考えていた。