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【小説】最後の晩餐とカップラーメン

 「最後の晩餐に食べたいものは何か」と、学生時代そんな話題が上がるたびに、僕はカップラーメンを食べたいと答えていた。
 とはいえ学生時代にカップラーメンを頻繁に食べていたわけではなく、栄養管理士の資格を持つ母親がカップラーメンを毛嫌いしていたのもあり、滅多に食べられないものであった。
 そのため、中学生の頃に初めてカップラーメンを食べた時から、密かに食べた時の背徳感や普段味わうことのない濃い味付けに、僕は虜となっていた。

 特に『カップキング』というカップラーメンが好きで、大学生になり一人暮らしを始めた頃から、自宅に必ずストックを常備していた。
 だからこそ、約2年前に起きた事件は、僕にとって信じ難いことでもあり、救いでもあった。

 その頃僕は社会人になりたてで、ようやく仕事に慣れてきたと思えた頃、インフルエンザにかかり1週間ほど寝込んでいた。
 インフルエンザの発症から4日ほど経って、体温がようやく平熱に戻ってきた頃、久しぶりに布団を出てテレビをつけると、どこにチャンネルを回しても『カップキング 毒物混入事件』というニュースを取り上げていた。

 そのニュースによると、僕がインフルエンザを発症したその日に、『カップキング』を食べてそのまま亡くなった人が多発したらしい。
 『カップキング』の中に、『亜ヒ酸』という毒物が混入してきたのだ。

 何とその被害者の数が全国で1千人を超えたというのだから、『令和の大事件』と呼ばれているのも頷ける。
 毒物が混入した経路としては、『カップキング』を製造している長野県の工場が数年前からAI技術を取り入れ、そこで働く従業員は3人だけだったのだが、その中の1人が毒物を混入したらしい。

 毒物混入の手段について、詳細は報道されていなかったが、AI技術の知識の豊富なその従業員が、『カップキング』を製造する装置に毒物を混入するよう設定したとの事だった。
 事件が発生した頃にはその従業員は行方をくらませており、警察による大規模な捜査が行われたが、犯人が捕らえられる事はなく、なぜ『令和の大事件』が起きたのか、その動機が明かされることはなかった。

 また、AI技術によって完全自動化し、人の目での監視がなかったことで起きたこの事件により、製造業のAI技術導入はそれ以降著しく衰退した。

 そういった一連のニュースをテレビ越しに見ていた僕は、自宅に常に常備をしている『カップキング』の製造日を確認した。
 『カップキング』の容器の底を見て、僕は息を呑んだ。そこに記されていた製造日は、食品会社や警察が提示し回収を求めている、毒物が混入された恐れがある製造日に一致していたのだ。

 毒物が混入されているかもしれないそのカップラーメンに、僕は恐怖を感じたと同時に、希望に似た感情を抱いていた。
 その頃の僕は、仕事には慣れたものの、職場の人間関係に馴染む事はできず、上司の罵声を毎日のように浴びる日々を過ごしており、自らの命を断つことばかりを考えていた。そんな僕にとって、理想の最後の晩餐であるカップラーメンを食べながら絶命することが出来るという千載一遇の機会がやってきたのだ。

 だが実際、その『カップキング』を目にすると、開封しお湯を注ぐことを躊躇ってしまった。
 まだ死ぬことを恐れている自分を知り、その場で食べることは断念した。しかし、理想の最後の晩餐を味わいながら絶命するというチャンスを易々と逃したくはなかったので、警察に提出することなく自宅に保存することにした。

 それ以降、冷蔵庫の上に置かれた『カップキング』を見る度に、「これさえあれば、いつでも簡単に死ぬことが出来る」と自分に声をかけた。
 ゲームのリセットボタンのように、簡単に、人生を終えるスイッチを手にした僕は、「いつでも死ねるし」という考えになり、どんな大胆なことでも出来るようになった。

 「ダメなら『カップキング』を食べればいいんだ」と思い上司のパワハラを会社に告発し、片想いをしていた同僚にも告白をした。
 そんな力をくれたこの『カップキング』は、僕にとって大切なお守りのようなものだった。

 そのお守りの効力が、今日切れる。
 
 その『カップキング』のカップの底に記された消費期限の日付が、本日なのだ。
 消費期限が切れて日にちが過ぎる毎に味は劣化し、それは『理想の最後の晩餐』から遠ざかっていく。そうなるともう、腐ったカップラーメンを嫌々食べることになり、別の自殺の手段と同様苦しみながら死ぬことになる。つまり、お守りとしての効力は無くなったに等しい。

 お守りにより、仕事は順調だし、恋人もできた。
 自殺を考えることもめっきり減ったが、それは『カップキング』というお守りがあったからだ。
 この『カップキング』なしで生きていけるのか、正直なところ自分でもよくわかっていない。

 時計を見ると23時45分を指している。
 お湯を沸かす時間やお湯を入れてから3分待つことを考えると、『理想の最後の晩餐を食べながら死ぬ』のは、今がラストチャンスだ。
 「とりあえずお湯を沸かしてから考えよう」そう考えた僕は、ヤカンいっぱいに、冷たい水を入れた。