【小説】小さな恋のうた

「カラオケで、歌ってる時に店員入ってくるとなんか気まずいよなー」
大学の講義室で、後ろの席から聞こえる使い古されたあるあるに、望月結海はへきへきとする。
カラオケ店でバイトをしている結海は、気まずそうに歌を中断したり、恥ずかしながらも歌い続ける客に、こちらも気まずさを感じているんだぞと伝えたくなる。
ただ、喋ったこともない、“イケてる感じ”の学生達に、そんなことを言えるはずはない。
もどかしい気持ちを抱えながら、カバンから次の講義で使用する教科書を取り出した。

大学での講義を終え、カラオケ店の制服に着替えて、髪を後ろで1つに結ぶと、なんだか違う自分になったと錯覚する。
大学に入学してすぐ、季節外れのインフルエンザにかかってしまい、友達作りのスタートダッシュに遅れ、1人で講義を受けている結海が、このカラオケ店では人から頼られる存在に変わる。
「あ、望月さん。おはようございます」
シフト開始時間の5分前に受付に立つと、先月入ったばかりの後輩が、頭を下げる。
24時間営業のこの店では、挨拶は全て『おはようございます』で統一されている。
「おはよ。今日どんな感じ?」
「はい、今のところそこまで部屋は埋まってはいません。あ、でも、2時間前に何組か一気に入店されたので、そろそろ会計くるかもです」
「じゃ、今のうちドリンク片付けとかなきゃね」
駅から離れたこのカラオケ店では、すべての部屋が埋まることはほとんどなく、その分従業員数も少ないため、来客と退出の客が集中しまうと、受付はパニックになってしまう。
さらにドリンクの注文も溜まってしまっていると、提供時間が大幅に遅れ、客に提供する頃には氷が溶けてしまっているということもあるので、今のうちに運んでいかなければならない。
トレイにドリンクを4つ乗せ、受付を後にする。

405号室をノックし、「失礼します」と声をかけ、部屋に入る。
画面には、何も選曲していない時にのみ流れる、音楽番組が映っていた。
テーブルにコーラを置くと、聞き覚えのある声がする。
「えっ、望月?」
顔を上げると、講義室で使い古されたあるあるを披露していた、片岡拓哉が驚いた表情をしていた。
「片岡くん?」
そう言ってから、学科が一緒だとはいえ、話したことのない相手の名前を知っている事を不自然に思われないか不安になる。
学科内で目立つ存在なので、授業前の点呼の際に呼ばれる名前を、覚えてしまっていたのだ。
そう考えてから、ふと疑問が生じた。
「私の名前、知ってるの?」
片岡が仏頂面で結海を見つめるので、目を逸らしてしまう。
「このこと言わないで」
「え?」
「ヒトカラしてるの、学科のやつに言わないでよ」
恐る恐る片岡の表情を見ると、やはり仏頂面をしていた。
「えっ……ああ、うん。言わない。そもそも喋る相手いないし」
今更一人カラオケを恥じる人もいるのだなと思いつつ、結局なぜ名前を覚えているのか答えなかったなと気づいたが、それ以上追求しない事にした。
「じゃあ」
結海は、立ち去ろうと、ドアを開けた。
「じゃあ」
そう片岡の声が聞こえ、きっとまだ仏頂面をしているのだろうと思いつつ、振り返らず部屋を出た。
きっと彼は、『一人○○』と名のつくものをする必要がないほどに、友人に囲まれてこの歳まで成長したのであろう。
そのため、珍しく行った一人カラオケを、私みたいな“下の人間”に見られた事に恥を感じ、憤っていたに違いない。
これからのキャンパスライフに、憂鬱の種が増えてしまったと、結海はため息をついた。


結海が部屋を出て行き、片岡は胸の高鳴りを抑えるのに必死だった。
一週間ほど前に、このカラオケ店から出てくる結海の姿を見つけ、最初は『あれ?学科にいる地味なヤツか?』と思ったが、講義室で見る髪を下ろした姿と違い、髪を1つ結びしている彼女は、同世代には感じたことのないほどに、大人の匂いを漂わせていた。
それからというもの、講義室で結海を見るたびに、彼女の姿を目で追ってしまっていたし、ノートに“望月結海”という名前を何度も書いてしまう自分に、『中学生の片想いかよ』と思いつつ、彼女への憧れは膨らんでいった。
なんとか結海に近づく足掛かりを作ろうと、先日彼女を見かけたカラオケ店に入店したところ、まさか結海がドリンクを運んでくるとは思っていなかったため、驚いてしまった。
そのせいで名前を呼び、「私の名前、知ってるの?」だなんて言われてしまったため、もしかして自分の好意に気づかれてしまったのではないかと、不安になった。
なんとか誤魔化したが、不自然になってしまってはいないだろうか。
そんな不安な気持ちも、初めて近距離で彼女を見れたこと、初めて彼女と言葉を交わしたことの喜びに比べれば、些細な事に思えた。
片岡はデンモクを操作し、『小さな恋のうた』を選択し、曲を転送した。