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【小説】実はカップ焼きそば嫌いなんです

夏目漱石が「I love you」を「月がキレイですね」と訳したそうだけど、僕が訳すのだとしたら「実はカップ焼きそば嫌いなんです」になるだろう。

「お前またカップ焼きそばか」
「そうなんすよ」
同僚に苦笑いしながらデスクワゴンの引き出しを開け、所狭しと並べられたカップ焼きそばのうち一つを取り出す。
鳴り響いていた12時の昼休憩を告げるチャイムが止み、オフィスでは、カバンから弁当を取り出すガサガサという音や、席を立ち上がる時に鳴るギィッという音が至る所で鳴っていた。

カップ焼きそばを片手に給湯室にたどり着くと、長い髪が緑色のカーディガンにかかった、見慣れた後ろ姿が目に入る。
カップ焼きそばを梱包するビニールを外す作業を一時中断し、葛西さんが振り返る。
「ああ、佐藤君」
「どうも」
僕は葛西さんの隣に立ち、カップ焼きそばのビニールを外す。毎日やっている作業なので、随分と慣れたものだ。

「今日は新商品選んでみたんだよね。味噌煮込み焼きそば」
「えっ、結構冒険しましたねー」
「佐藤君はいっつもペヤングだよね」
「はい。大人買いして、デスク横にパンパンに入ってます」
カップ焼きそばにお湯を入れ、湯切りをするまでの3分間。それが僕の毎日の楽しみであり、好きでもないカップ焼きそばを毎日食べる理由でもある。

僕が派遣社員としてこの現場に配属され、全体に向けて挨拶をした時に最初に目についたのは、室内でもサングラスを掛けている係長や居眠りをしている社員ではなく、葛西さんだった。
昔好きだった女優さんに似た美しい見た目と、お腹のあたりで両手を重ねた上品な立ち姿に、気付いたら見惚れてしまっていた。
そして、葛西さんが毎日カップ焼きそばを食べてると知った時、自分の健康を棒に振ってでも葛西さんと話がしたいと、コンビニに置いてあるカップ焼きそばを全て購入した。
カップラーメンと違い湯切りが必要なので、お湯を入れてすぐにデスクに戻れず、給湯室で待たなくてはならない。そのため、お湯を入れてからの3分間が憧れの葛西さんと会話をするチャンスだと思ったからだ。
そして、その目論見は正しかった。

「そんなペヤング好きなんだね」
「まあはい。好きなんですよね」
「もっといろんな味挑戦すればいいのにー」
「そうっすね。あ、葛西さんのおすすめって何ですか?」
「あっ」
葛西さんが少し目を伏せて、まつ毛越しにこちらを見る。
「玉城になったの。私」
「え?」
「結婚したんだよね。昨日から玉城って苗字になったから。私もまだまだ慣れてないんだけど、これからは佐藤君も玉城で呼んでね」
「そうなんですね。おめでとうございます」
「ありがと」
笑う時に目が細くなる葛西さんは、今までに見たことがないほどに目を細めている。
自分のいないところでもこんなに葛西さんを笑顔にできる、顔も知らない玉城という男に羨望と嫉妬心を抱く。
葛西さんのスマートフォンのアラーム音が、給湯室に鳴り響いた。
「あっ、3分経ったよ」
「あ、はい」
お湯を捨てる葛西さんの隣で、僕は自分に語りかけるように呟く。
「僕、カップ焼きそば大好きでした。とっても」