18時間を布団で過ごした。 眠りに落ちたり意識ボーっとを繰り返したり。 そんな中、身体の下の方の子宮のあたりが痛く締め付けられる感覚があった。 ふと、“悲しい〟と声がそのあたりから聴こえた気がした。 なんの悲しみなのか具体的には分からない。 でも感じるのは私が私の悲しみに蓋をして生きてきてること、悲しみがあるということ、存在を無視してきてた それが悲しいのだと。 蓋をした負の感情。 生きていくためには役に立たないと切り捨てた繊細なモノたち。 本当はそんなことなかった。
ほんと久しぶり。 秋は文章を書きたくなるね。ゆったりのんびり。 私の右手のひらと右脚のかかとはここずっとただれてたり、カチカチになってる。 身体にでる症状は何かのサイン。 何かに自分が気づいてよと内側からのサインだと聴いた。 ステロイド塗ったり軟膏塗ったり応急処置をしながらやり過ごしてきた。 そうやって日々身体を酷使しながらやってきたけど治る気配はないよね。 ふと思った疑問。何故右ばかり? 左は通常なのに。 ある方にこのことを相談した。 右は男性性、左は女性性。 男性性優
長く続ければ続けるほどいい。 いつからかそんなことを思っていて その方が途中でやめてしまうより絶対いい。 だってその方がかっこいいし まだ未熟でもいつか結果や評価が与えられるかもしれないしスゴいねって誰かが褒めてくれるかもしれないし。 だから、自分が決意して物ごとをはじめたなら、なるべく長く続けないと行けないんだ... ふと。 その信じてきたことは必ずしも正しいのだろうか。何にこだわってそうしてきたのだろう。こう問いてみるのにも意味があるかもしれない。 続けることも素晴ら
部屋から外に出た時の なんとなくの冬の匂いを感じた時。 誰かと何かを共感した時。 ヨガで身体を動かした後 あ〜身体に水が流れるように生き返ったなと思う時。 好きな音楽を聴いて最高って思う時。 ギターをポロンポロン鳴らしてる時。 太陽が昇ってくる綺麗な朝に出会えた時。 枯れてゆく落ち葉を観て綺麗だなぁって思える時。 こんな些細な日常の中で 感じる豊かな一コマこそが 目覚めを経験してる時だと感じるわけで 目醒めるとはそんな特別なことでもなくて 誰もが何かしらいつもどこかで 体験
自分の中で数年体感して温めてきたこと。 育ち続けてること。 それを誰かに伝えたいと感じることも日々あるけどどう表現したらいいか考えると、あくせくして伝えれない。 それはそれできっといい。 自分の内の植物は今もなお静かに育ち続けてる。 無理に伝えようとしなくてきっといい。 無駄な手を加えすぎず、抗わず、起こるがままにしておく。 簡単そうで実はとても難しいね。 流れのままに、ゆっくり、じっくり。 雨なのでお昼寝でもしよう。 Tam
火曜日。ギターの習い事の帰りに、昔ながらの喫茶店に寄ってちょっとの間コーヒーを飲むのが火曜日の日課。 今日はお花屋さんにも寄ってトルコキキョウをゲットしてコーヒーの横に置いちゃったりして、うっとりしている。 ギターレッスンではなんだか消化不良でモヤモヤだったし練習の力も思うように発揮できなくて凹んでしまう私もいたけど それもまぁいっか。 このコーヒーの香りと昔からある喫茶店のレトロな香りと花とジャズのBGMに癒されて。 新しいものも嫌いじゃないけど古い変わらないような場
30を過ぎたあたりから気分が乗らない仕事の案件とか人からの頼まれごとなど 振り返れば上手に断れるようになってきた。 自分に染みついてきた思考癖で、真面目に誠実に100%で行動しないと人から嫌われる って思い込んできたことにある時気づいた。 (多分これはもとを辿れば親に愛されるはずがないって幼少期の私が勝手に思い込んで大人になったある時まで引きずってきたんだろうなぁ、本当はそんなことないのに。) 結局は自分が一番ゆったりしてて心地よくて余裕がある状態こそが最高のパフォーマン
はじめまして。タムです。 数年前からアメブロでブログを書いていたのですが、もっと私らしくゆるく気取らないことを文字に残したくなったのでnoteはじめてみました。 自分に喋りかけるような感覚で綴っていきます。 誰かが共感してくれて顔は見ずともそこでまた繋がりが出来たなら尚嬉しいな♪ はじめてのことはなんだか緊張するしフレッシュだし、それもまたいいね☺︎ 私が文を書くのはだいたい夜も深まった時間。身体も心もホワッとしてるし色々湧き上がってくる時間帯。夜行性。 コーヒーと自分で