しわくちゃで奇麗じゃない一つの真実〜『本当の戦争の話をしよう』読記〜

その本は、ずっと前から家にあった。私は確かに古本屋でその本を自ら買ったのだが、ずうっと開かずにきた。読もうと思ってもいざ開こうと思うとすっと気持ちが引けてしまう。そんなこんなで、何度もその本を捨てようと思った。でも、古本屋に50冊くらい本を出したときも、古紙回収で何束も本を捨てたときも、その本はなぜかそういうのを逃れて部屋にとどまってしまっていた。

この前部屋を掃除していたら、表紙がくちゃくちゃになったその本が出てきたのだ。カバーはとうに取れていて、本というより紙として扱われたんだな、という感じでいろんなところがくしゃくしゃだった。なぜかわからないが、私はその本を鞄に入れてでかけた。今までも幾度となく持っていったものの開かなかったのだが、なぜかその日はその本を開く気になって私は読み始めた。

ティム・オブライエン著・村上春樹訳の『本当の戦争の話をしよう』。買ったのが何年前かもうわからない。裏表紙に古本屋の鉛筆で350と走り書きしてあった。

読み進めていくうちに、なんと私はその本を買ったのに読まないばかりか、別の人の訳の『兵士たちの荷物』を以前図書館で借りたことを思い出した(2つの本は訳題が違うだけで同じ本だ)。そのときこそ少しパラパラと読んだかもしれないが、ついにまともには読まなかった。

タイトルから容易に想像できることだが、楽しい話ではないのだ。つい読みたくなるような話ではない。だから、読むのにもそれなりの根気がいる。ということを多分私はどこかで感じ取って自然と避けてきたのだろう。

こんな一節が出てくる。

本当の戦争の話というのは全然教訓的ではない。それは人間の特性を良い方向に導かないし、高めもしない。(中略)どうも品性に欠ける話だなと思うようならそれは真実の戦争の話だ。猥雑な言葉が嫌だというのは真実なんて嫌だというのと同じことだ。

ティム・オブライエン著/村上春樹訳『本当の戦争の話をしよう』文庫版p.117

これは読んでいくとたしかにそのとおりで、絵に描いたような悲惨で阿鼻叫喚ばかりの風景がただ戦争なのではない。

この本は楽しくないと言ったが、終始暗いトーンなわけでもない。人間らしい物語も出てくるし、冗談混じりに仲間のことを描いた話もある。長い話も、すっと読める短い話もある。みんなが皆死ぬわけじゃない。

戦争は隅から隅までびっしりと恐怖と暴力で満ちていたわけではない。ときにはそこになにかしら甘美なものが生じかけることがあった。

ティム・オブライエン著/村上春樹訳『本当の戦争の話をしよう』文庫版p.59

という話の流れで出てくるものが決して手放しで甘美なものでもないのだが、たしかにそこにはなんだか人間味みたいなものがある。

この本は、いろいろな時系列がてんでバラバラにでてくる。さっきの話で出てきた人が随分あとの話まで出てこずにまた出てきたりする。最初は戦地での話なのに次は終戦後の話で、その後にまた戦地の話が出てきて、それに続いて徴兵時の話が出てくる。まるであとから思い出したものを思い出すままに連連と連ねたように。あるいは、あとから物語として組み直したのかもしれないけど。でも一節に

記憶にこびりついているのは、このようなちょっとした奇妙な断片であることが多い。そこには始まりもなく、終わりもない。

ティム・オブライエン著/村上春樹訳『本当の戦争の話をしよう』文庫版p.65

とあるので、多分書き連ねて行ったらこうなったのだと思う。

そう、この本は総じて見れば楽しい本じゃない。綺麗な言葉で書かれていない。だけどそこにあるのは紛れもない真実だ。一人の男が、戦場に出て帰ってきた男が、その目に映ったものを淡々と書いたもの。

この本を読んでも、今のウクライナの人や、ガザの人や、ロシアで徴兵された人や、そういう人の気持ちがわかるわけじゃない。というか、そこにいる人たちも一人ひとり違う人間なので、その人それぞれの見たり感じる真実があって、それは別に一人の真実を知ったからとてすべて理解しうるわけではない。でもだからといって一人の真実に価値がないわけではない。「ウクライナの人たち」みたいに総意として作られる声だけを聞いても、本当は戦争がどんな実態や手触りをしているのかはわからない。それは、それとして一つの切り取り方ではあるものの、やっぱりTVとか支援団体のCMとか、そういう画面の向こうに収まりの良い形になってしまいがちだ。それは本当に起こっていることである、というのをあーだこーだジャッジを加えずにただ当事者の目で見るということが私達にはできない。できていないのに、あたかもできているかのようなふりをしているのだ。

この本を読んで、今まで「戦争反対!」と声を張り上げて叫んでいた自分すら、結局全くわかってないじゃないか、という目で見えるようになった。その戦争の一部分でも知ってしまったら、戦争について喜々と語る奴らや、戦争を推し進める人間たちを見たら、冷ややかな軽蔑と驚嘆に満ちた目でじとっと一縷したあと、大きなため息をつくに違いない。相手が正気の沙汰に見えないだろう。反論すら彼らに理解できるわけがないと思って諦めるだろう。それもまた、私が当事者でないからこそそう思うのかもしれないが。

そんな本なので、読んでみてと勧めづらい。でも、文庫本を買って手元においておいてみて、気が向いたら一つだけ話を読めばいいと思う。無理して一気に読破するものでもない。あくまで自分を必要以上に傷めないように、丁寧に。ゆっくり読んで、咀嚼して消化できるくらいでいい。読まなかったとして、そこにはあなたの知り得ない真実がただひとつ置き去りにされたにすぎないけれども。

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