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VR Chatぽこ堂議論まとめ:対立する2つの議論スタイルについての論考(分解か?/拡散か?)

背景

人との会話をしていると話が噛み合っていないと感じるときがあると思う。お互いが真面目に相手の話を聞くつもりがある議論の場でも、しばしばそういったことが起きる。
ぽこ(芳紅)氏が開設しているVR chat内の哲学インスタンス「芳紅堂(ぽこどう)」では、日々様々な議論が行われているが、そちらでもこの点が話題に登り、話が噛み合わないことの背景として、
 議論そのもののスタイル・方向性について違いがあるのでは?
ということが議題にのぼった。

議論のスタイルは、個々人が無意識に選びがちで、なかなか一人では気づきづらい論点と思われることから、その点について議論と考えをまとめる。

この記事の要点

各論について別途後半に記載するが、かなり長くなってしまったため、要点だけ先にまとめる。

1議論のスタイルには
 ・テーマについて分析的に話す「分解方式」 
 ・テーマから話を広げる「拡散方式」
 の2つの方向性がある

2どちらもメリット・デメリットがあるが、より良い議論のためには、
両方の観点を持つのが望ましい

3分解方式と拡散方式は方向性が違うので、同じタイミングで2つのスタイルを同時に採用するのは難しい。このため、スタイルを切り替えられるようにするとよい。

補足論点:
 これは議論を始めた後に注意すべきことである。一方で、議論を始める前に、場を整えることも必要である。議論というのは相手がいて初めて成立することを忘れてはならない。

概ね以上の内容となるが、それぞれについて以下に詳しく見ていく。



対立する2つの議論スタイル:分解か/拡散か

議論のスタイルには様々なレベルがあるが、大きく2つの対照的な議論スタイルがあがった。
 ・テーマを定義・分解・再構築していく「分解方式」
 ・テーマからブレインストーミング的に話題を広げていく「拡散方式」の2つである。

A:分解方式の議論について

1分解方式の議論とは?
 設定した議論テーマについて論点整理・定義付けを行い、
 要素を分解して一つ一つ議論した上で、最後に統合する方式。

2このスタイルのメリット・デメリット
 メリットとしては、前提として論点の整理・言葉の定義付けを行うため、
論点・プロセスが明確である点があげられる。「何について話しているか」を常に確認しながら進めることができるので、複数人で話していても議論が迷走しにくく、全体での結論に到達しやすい。

 デメリットとしては、はじめに与えられたテーマをベースに論点を分解していくことから、議論の内容がテーマをそのものへの疑問をぶつける方向には行きづらく、過度にせまい範囲での議論になる可能性がある。

分解方式議論の具体例
収束方式の具体的な論理展開としては、「分解・再構築」方式のメソッドなどが考えられる。例として、「マナーとはなにか?」というテーマの場合の論理展開を考えると、下記のような形となる。

 ①議題の定義/論点整理:
  テーマを論ずるにあたって、必要な要素を整理する。
  例:マナーとはなにか?という問いに回答するためには、
   マナーの目的・効果・範囲について検討する必要がある
 ②各論の議論:
  整理した論点についてそれぞれ具体的な議論を行う。
  これを論点整理で出てきた分だけ繰り返す。
   例:マナーの目的・効果・範囲について一つずつ議論を行う
 ③各論の再構築:
  行われた議論を並べ替え、論理的につなぎ合わせてまとめることで、
  テーマに対する結論を作成する。
   例:マナーとは◯◯を目的とし、■■に対して、~~な効果を持つ、
     YYである。

B:拡散方式の議論について

1拡散方式の議論とは? 
 テーマを土台に議論を膨らませ、より幅広い論点を探索する形式。
  ・議論したい内容が本当にそこにあるのか?
  ・議論すべき内容はそこであっているか?
 など、他の論点・観点とのつながりを探索しながら、
 「議論のテーマ自体」を何回も再設定していく。

 その意味では、一般的には議論よりも、「ブレインストーミング」
 「ワークショップ」と呼ぶほうがイメージしやすい可能性もある。

2このスタイルのメリット・デメリット 
メリットとしては、「その議題は本当に議題にすべき内容か?」を問うという点で、より本質的な議論ができる点があげられる。また、より興味深い関連テーマに移動することもしやすい。

 一方でデメリットとしては、テーマを拡大していくという性質上、結論のでない議論になりやすい。また、その性質上、ワードやテーマの定義を厳密に行わないため、何について話しているかを見失いやすく、特に複数人で話しているときに各人の定義がずれると、話が噛み合わなくなるリスクが高い。

拡散方式の議論の具体例
拡散方式の具体的な論理展開としては、「問の再設定」方式のメソッドなどが考えられる。「なぜなぜ分析」などもこの方式に近い。
例として、「マナーとはなにか?」というテーマの場合の論理展開を考えると、下記のような形となる。

 ①要素の列挙:
  マナーというワードから考えつく事象・性質を列挙する
   例:マナーと同じような働きをもつ他の概念として法律がある
    :マナーには、従わないメンバーを排斥する側面がある
    :マナーには儀式的側面と倫理的側面があるのではないか
 ②要素のグルーピング:
  あがった要素・事例のうち、似たものをグループに分類する。
   例:マナーや法律は、「集団を規律するもの」でグルーピングできる
    :排斥の点で、マナーは「メンバーシップ」にも関係している
 ③問の再設定:
  グルーピングでまとめた要素や事例から興味深いものをピックアップ。
  新しいテーマとして設定し、1に戻る。
   例:そもそもなぜ集団を規律する必要があるのか?
     必要があるとして、法律とマナーの2つで規律するのはなぜか?

 この例では、マナーとはなにか?という問題から出発し、
 「集団規律」という新しい議題に発展させている。


望ましい議論とはどうあるべきか?

 深い議論には分解・拡散のいずれの観点もあることが望ましい。これは、両方の視点を持つことで、より広範な結論をだせるからである。

 たとえば、まず拡散的議論で話し合うべきテーマを議論し、その上で分解的議論で具体的内容を話し合えば、幅広い視点と綿密な議論という両方のメリットを両立しうる。

 一方で、2つの議論スタイルは方向性が真逆なので根本的に相性が悪く、議論に参加しているメンバーの間でスタイルがすれ違うと、議論がかみ合わないことが多い。このため、ある一つの議論の中に2つのスタイルを取り入れるときには、
  ・自分は今、分解or拡散のどちらの方向の議論を行うつもりなのか?
  ・その方向性について相手と合意できているか?

という点について意識・共有することがすれ違いを避けるのに有効と思われる。

 より具体的には、「ここからが分解フェーズ」「ここから拡散フェーズ」というようにファシリテーションを行って、議論のフェーズ明示的に切り替える方法などがわかりやすい


議論の前提について:
「議論の場」が成立しているかを考える

 議論というとどうしてもその内容に目を向けがちだが、上記のように議論そのものに対する方向性があっていなければ根本がすれ違ってしまうし、そもそも議論の場と参加者がなければ議論自体が成立しない。

 上記の議論のスタイルは、議論が始まった後のマターであるが、議論が始まる前にも意識すべき事柄がある。この点について、以下のような議論を行った。

議論の場を整える:相手がいて初めて議論は成立する

 いかに優れた考えをもっていたとしても、相手がいなければ議論自体が成立しない。議論の場で相手と何を話すか?どう話すか?も重要であるが、相手に議論の場に残ってもらうためにはなにをしなければいけないか?という観点もその前提として必要となる。

この点
  ・マウントを取る・罵倒する・言葉尻でやり込める 
といった行動は、(感情面の問題を抜きにすれば)相手を議論の場から立たせることで、不戦敗を狙う側面がある。処世術の一つとしてそういった行動を取る必要性を否定はしないが、すくなくとも議論というよりは盤外戦術というべきであろう。
 口喧嘩で勝つ、あるいは相手をやりこめる、ということは有効な議論とイコールではない。相手と話す必要性を感じないなら、議論を始めないことがよりスマートである。

議論のコスト問題:だれもが同じ熱意をもつわけではない

 議論にはコミュニケーションのコストが必要であるが個々人により、支払い可能なコストの限度は異なる。したがって、相手と自分のコスト差があるかについても意識すると無駄な喧嘩を防止できる。


個人的雑感

 自分個人は、かなりガチガチの分解スタイル話者で、拡散スタイルの話者と話すと困惑することが多かった。このため、ある程度まとまった形で拡散スタイルの目的を聞けた点で大変参考になった。

議論をする中で、
  最近「議論」というと、分解スタイルの議論ばかりを指している
という指摘があり、自分の肌感覚としても同感である。

 思うに、分解スタイルはテーマの定義によって全員を同じ方向に向かせるため、短時間での結論を出したり、合意形成したりするのに使いやすい。このため、限られた時間で結論を出すタイプの議論、たとえばビジネスにおける会議などに向いているのは確かだろう。

 ただ、定義・視点を揃えるということは裏を返せば、同じような視点での考察しかでない恐れがある、ということでもある。極端な話、まったく同じ意見・視点の人しか場にいないなら、わざわざ議論をする必要もない。
 その意味で、合意にいたらなくても視点を広げることには意味がある、という拡散方式の目的は議論に対する別方向のアプローチとして正しい。

 一方で、拡散方式ならどんなときも視点が増えるかというとそうでもないとは思う。例えば、言葉や問題意識を定義しないがゆえに、参加者それぞれが自分の意見をいうだけで相手の意見は理解できない、という議論に陥る可能性もあろう。そうなれば、結局一人で考えているのと変わらず、議論の意味が薄れる。拡散方式であっても、やはり最低限の方向性の制御・定義は相互理解のために望ましい。

 結局のところ、どちらのスタイルを採用するにせよ、議論とは本質的に他者との共同作業である。まとまるためにある程度のルールや方向性は必要であると同時に、良さを活かすためには、全員が単一の視点にならないよう留意することが必要であろう。

そも、人はなぜ議論をするのか?
この問についてはつまるところ、以下の格言に集約されていると思う。

Two heads are better than one.
(三人よれば文殊の知恵)

興味深い議論をいただいたぽこどうの皆様にあらためて感謝を申し上げるとともに、皆様の議論が実り多いものであることを祈る。

なお、上記内容は複数の議論を個人の記憶をベースに再構築したものである。このため、議論時の内容のヌケモレ・誤解などがあった場合の責任は私個人にあることを強調しておく。




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