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VRCぽこ堂議事録:ガチャは悪い文明か?-ソシャゲと推しビジネスの考察

議題と背景

悪い文明と名指しされるソーシャルゲームの課金(=ガチャ)について、
実際問題そんなに悪いのか検討した。
後半では、ソシャゲのビジネスモデルの特徴について発展的議論を行った。

結論を一言でいうと?

ソシャゲとはギャンブルではなく「ホストクラブ」である。
・ガチャはソシャゲのスキームの走狗にすぎない。

議論詳細は以下。



ガチャは悪い文明か?:ソシャゲ課金の是非

あまり好意的な文脈で語られないソーシャルゲームへの課金であるが、
そもそも課金行為は、通常の趣味への出費と何が違うのか?

この点、課金の特徴について、
下記のような不安定性・非効率性の指摘があった。
 ・ガチャで得られるのはデータで、実際にモノが手に入るわけではない
 ・欲しいものが確実に手に入るわけではない
 ・サービスが終了した場合何ものこらない

一方で、それは本当にソーシャルゲームのみの特徴か?を考えるため、
通常の売買を伴う他の趣味と比較した。
 ・他の趣味でもモノ以外、例えばサービスや体験への課金は生じる
  (サブスクなど)
 ・確実に定価で手に入るとは限らない(オークション・プレミアなど)
 ・モノがあれば「何ものこらない」ことはないにしても、
  減価償却で価値は減る。
  そも、経済合理性を考えると趣味には出費しないのが正しい。

以上を考えると、不安定性や無意味さは必ずしもソシャゲのみの特殊な問題ではなく程度問題であって、文字通り「趣味の違い」である。
その点では、他の趣味の出費(特にモノの売買を伴うもの)と比較して
ソーシャルゲームの課金のみが否定されるいわれはない。


ソシャゲの特殊性:
課金モデルを成立させているものはなにか?

上記のように「出費」という行為そのものに根本的な違いはないとしても、
ソーシャルゲームの課金には不安定性が高い傾向がある点は指摘できよう。
そして、課金する人間は、上記の不安定性を理解していないから課金するのではなく、理解した上で課金している。

では、そういった一見不合理なスキームを成り立たせるものはなにか?
ここには、ソーシャルゲームとユーザーの関係の特殊性があると考えられる。

通常の売買では、サービスを購入する人間と販売する人間は独立しており
ある種の利害対立の関係にある。なぜなら、購入者はなるべく安く購入したいが、販売者はなるべく高く売りたいからである。
この構造はいわゆる売買だけでなくギャンブルでも同様で、
参加者の関心事は自分の勝利・利益であって、運営元の利益ではない。
例えば、自分が負けたときにJRAが儲かったと喜ぶ競馬ファンはいない。

一方で、ソーシャルゲームにおいては、購入者である自分とサービス販売・運営母体が共同体と認識される側面がある。
つまり、運営母体は自分の「支援」が必要で、運営母体の成功(サービス拡大やアニメ化など)は「自分たち」の成功と認識される。
この点において、ソーシャルゲームは自分とサービスを同一視する「推し」ビジネスであるといえよう。

自分が好きなサービス・モノ「を」取引をしている「ファン」と、
サービスそのもの「に」自己を投影する「推し」では
おのずから精神的な立ち位置が異なる。

言い換えれば、ソシャゲの本質は推し=「関係性ビジネス」にあり、単なるギャンブル性にあるのではない。
つまり、ソシャゲはギャンブルよりもむしろホストクラブ
なのである。

「推し=関係性ビジネス」をベースとした上でのビジネス要素

「推し」をそのビジネスのベースとしつつ、ソーシャルゲームには様々なビジネス上の工夫がなされている。具体的には下記のようなエッセンスが指摘された。程度の差はあれ、これらを束ねてシステム化したものがソーシャルゲームであり、単純なキャラクタービジネスやコンテンツサービスと一線を画している。

・エンゲージメント増加施策:ログインボーナス
ログインボーナス(毎日アプリにアクセスさせることでボーナスを与える)で常に新しい情報に触れさせ、機会損失とユーザー流出を防止する

・参加感の促進:二次創作・ユーザーによる解釈の許可
二次創作・解釈の余地をあえて残すことで、自分とサービスの同一化を加速させる。つまり、ユーザーもサービスや世界観の構築に参加しているという感覚をもたせ、なんなら公式に設定を逆輸入する。

・ギャンブル性:ガチャ
メインというよりはあくまでスパイスとして、利用総額を意識させず、なおかつ演出で課金の過程そのものを楽しませるプロセスがガチャである。
定期的にガチャを行わせるよう仕組み化を行うことで、売り切り型と比較して長期間にわたる資金回収を期待できる。出費が長期間に及ぶ場合、人間は総額を意識しづらい。


個人的雑感

ソーシャルゲームに課金したことがないので、漠然と「ガチャ」のギャンブル要素が強いのかとおもっていたが、経験者と話すと実態はより深淵(Not誤字)であった。
ガチャばかり悪役にされがちであるが、ことはそう単純ではない。
ガチャはソシャゲの債権回収のための走狗に過ぎないのである

ソーシャルゲームが隆盛して久しいが、過去、いわゆるオールドゲーマーからは「ゲームとして面白いか?」という疑問があがっていたように思う。
その問いに対して、私は答えを持たない。

一方で、こうして仕組み面から考えてみると、従来型の売り切りサービスよりもよくできたビジネスモデルだと感じるし、大きな市場を持つべくして持ったなという印象である。ようするにそれは単なるゲームとしてのコンテンツの差ではなく、ビジネスモデル・顧客エンゲージメントの差なのだ。

ただし、ビジネスモデルが複雑化しているゆえに、難しさも増すとは思う。
たとえば、「解釈違い」が起きたときの炎上リスクは、従来型ビジネスよりも大きいだろう。通常の商取引は突き詰めれば所詮カネの問題だが、推しビジネスは人格の問題になるため、問題の解決は容易ではない。
人間関係で利益を得ているものは、同様に人間関係の不利益も被らねばならない。結局のところ、フリーランチはないのである。

なお議論の場に課金経験者がいたおかげで、深く内容を分解できたが、
 「結局月額いくら使ったか計算しているのか?」
 「サ終したらどうするのか?」
 「ガチャを回しているときどんな気持ち?」
といった質問が参加者兼インフォーマントの精神に深いダメージを与えた。この場を借りてお詫び申し上げる。

ふむ、必要な犠牲でした。 

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