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終戦70年特番「特攻兵器桜花」の話

はじめまして。高木圭二郎と申します。

私は2015年までラジオ局の茨城放送でアナウンサー兼ディレクター・報道記者として18年半のキャリアを重ねました。

現在は研修講師とフリーアナ活動を兼務し、危機管理・マスコミ対応研修や、スピーチ講座事業(話し方レッスン)を展開しています。

このnoteでは私の経験やエピソードをフリートーク的に紹介します。ブログ記事との重複もありますが、皆様のご参考になれば幸いです。


終戦70年特番「特攻兵器桜花」の話

2015年8月15日、私が手掛けたラジオドキュメントが放送されました。

番組のタイトルは
「茨城放送 終戦70年特別番組
 721(ナナフタヒト)語りつぐ特攻兵器『桜花』」

私はディレクターとしてこの作品を制作しました。


人間爆弾と呼ばれた機体

話は1945年頃にさかのぼります。
現在のカシマスタジアムに近い茨城県鹿嶋市・神栖市に、当時の日本海軍の特攻兵器の基地がありました。

特攻兵器の名は「桜花(おうか)」

「桜花」は1人乗りグライダーのような機体。搭乗員ごとアメリカ軍の艦船に体当たりすることから「人間爆弾」とも呼ばれました。

画像1
写真:茨城県鹿嶋市 桜花公園内の桜花レプリカ
画像2
写真:茨城県神栖市 神栖歴史民俗資料館 母機の一式陸攻と桜花のレプリカ

この特攻兵器「桜花」の部隊の名称は
第721(ナナフタヒト)海軍航空隊。通称:神雷部隊。

ラジオドキュメントの番組タイトルは部隊の数字から引用しました。


特攻兵器「桜花」とは

「桜花」に関する説明として、ここでは制作した番組の脚本の一部を転用します。この説明は番組序盤のナレーション部分となりました。
なお改行や空白、ふりがなは、ナレーターの読みを重視した表記です。


茨城県鹿嶋市。
海に近い工業地帯の道沿いに緑地がある。桜花公園と呼ばれる場所だ。
ここに小さな丘がある。丘の内部はえぐられ、倉庫のようになっている。
掩体壕(えんたいごう)と呼ばれる 太平洋戦争の遺構だ。
掩体壕(えんたいごう)は、機体などを敵の攻撃から守るために作られた。
今、ここには「桜花」のレプリカがある。
機体は白い円筒形。主翼と尾翼があり、ひとつだけ操縦席がある。
小さな飛行機にも見える。 
看板には説明文がある。
 
「桜花」
桜花は頭部に爆弾を充填し 尾部に推進ロケットを装備する高速滑空機で
操縦者1名が搭乗する有人ロケット爆弾です。
戦局が悪化を極める昭和19年9月に試作機が完成しています。
 
 
桜花の離陸には 別の飛行機が必要だった。
 
「桜花は 一式陸上攻撃機(いちしき りくじょう こうげきき)を母機とし、その腹下(ふくか)に懸吊(けんちょう)されて運ばれ 敵部隊近くになると
桜花隊員が母機から 乗入口(のりいれぐち)を通って桜花に移り
上空で母機より離れ ロケットを噴射しつつ滑空して
敵艦船に体当たりを行いました。
 
桜花一一(いちいち)型
全長6.07メートル、
全幅5.00メートル、全高1.16メートル 
全備重量 2140キロ  内爆弾1200キロ
  
搭乗員の命と引き換えの 特攻兵器「桜花」は、
70年ほど前、この日本(にほん)で開発された。
 


(「茨城放送 終戦70年 特別番組
  721(ナナフタヒト)語りつぐ特攻兵器『桜花』」脚本より引用。)


元搭乗員の証言

作品は、当時最年少の16歳で「桜花」の部隊に加わった元搭乗員・浅野昭典さんのインタビューを中心に構成。

この作品では音楽がほとんど流れません。

2人の若いナレーターの声と元搭乗員の浅野さんの声で番組が進行します。

浅野昭典さんは当時16歳。

「桜花」の突入訓練の一環で、零戦(ゼロ戦)や桜花訓練機K1での降下訓練を重ねていました。

上空3,000メートルから地上に向けて降下。
飛行訓練の先にあるのは特攻、という時代。

浅野さんは今の高校生の年齢で、ゼロ戦に乗る日々を送っていたのです。

「死しかなかった」

「死ぬのが怖くなかったんだよ」

浅野さんは取材のインタビュー時、静かな口調でそう話してくれました。


リサーチと取材

私は無数の文献を調べました。
「桜花」の史実に迫るには、多読が必須だったのです。

幸いにして、特攻兵器「桜花」に関する文献は多数存在しました。
文庫本、単行本、辞書のような分厚い書籍…。

「桜花」関連の数十冊の書籍を読み込み、ラジオドキュメントの脚本に落とし込む作業が続きました。

会社に行くときも、自身のカバンと別に手提げ袋を持参。手提げ袋の中には関連書籍を詰め込み、大事な部分を何度も読み返す作業を重ねました。

まずは「桜花」の史実を知ること。
私の最初の仕事はそこから始まりました。


書籍だけでは「桜花」の実像に迫ることはできません。
私は関連施設の取材も重ねました。

筑波海軍航空隊記念館(茨城県笠間市)、神栖市歴史民俗資料館(茨城県神栖市)、予科練平和記念館(茨城県阿見町)と、茨城県内の「桜花」関連施設は全て訪問。館長や学芸員の皆様にインタビューさせていただき、「桜花」の史実に迫りました。

さらには東京の防衛省防衛研究所戦史研究センターも訪問。
東京出張の許可を得て、都内の重要施設でもリサーチを重ねました。

戦争に関する膨大な情報群の中から、特攻兵器「桜花」の情報をピックアップして脚本化する作業。その作業を重ねる中で、私の中の「桜花」に関する解像度が上がっていくのを実感しました。

脚本改稿27回

このラジオドキュメントの脚本は、延べ27回の更新を重ねました。

番組制作の開始当初、私は特攻兵器「桜花」の関係者とのつてが全く無く、手探りでリサーチを開始していました。

当初、「桜花」をテーマにしたラジオドラマで番組を構成しよう、と考え、ラジオドラマの仮台本も作っていたのです。

そのような中で取材が実を結び、元桜花隊の浅野昭典さんと会うことに成功。私は安直なラジオドラマ交じりの仮台本を全て捨て、ゼロから脚本を作り直す作業に着手します。

浅野さんの証言は、何物にも代えがたい貴重な証言です。
その証言をベースに「桜花」の史実を脚本化する、という作業が生じ、その結果、延べ27回の大幅な脚本改定となったのです。


この「桜花」の史実は地元・茨城でも知らない人が多く、私は絶対に風化させてはいけない、と思っていました。

戦時下の特攻兵器を取り上げた作品ですが、下手な演出や脚色は一切せず、淡々と史実を伝える番組構成を心がけました。

それがこの「桜花」の史実を伝える最善策と考えていたのです。

史実に忠実に、思想的中立の視点で、事実を淡々と。
そのような思いのもと、私は脚本を執筆し、番組制作を進めました。


テーマ曲の復刻

企画、脚本、演出、編集など一連のディレクター業務が私の仕事でした。

ラジオドキュメントでは番組を構成する音楽も重要で、私はテーマ音楽のイメージも具現化する必要がありました。

しかしテーマ曲にふさわしい楽曲の音源は、戦時下に作られた曲のため現存しません。辛うじて楽譜だけは関連書籍内に残っていたことから、楽譜をもとに再現演奏を依頼することとなります。

そのテーマ曲のタイトルは「桜花隊を送る歌」。
戦時下に作られた桜花の部隊に関する楽曲です。

曲名は判明しますが、CDはおろかレコードも全く現存せず、その楽譜だけが参考書籍の「神雷部隊始末記」に掲載されていました。

この楽譜から再現演奏をしていただくしか、方法はありません。
再現演奏の楽器は、戦時下でも使われたであろうハーモニカ。
戦時下の楽器事情も踏まえての選択でした。

一度は戦争の混乱で消えた楽曲。
その曲を現代に蘇らせる演奏依頼となりました。

テーマ曲演奏で依頼させていただいたのは、茨城県土浦市を拠点に活動されていたミュージシャンの辻彦人(つじげんと)さん。辻さんは過去に土浦市民会館大ホールのライブを満席にした実力の持ち主。かつて番組出演依頼をさせていただいたご縁があり、この方しかいない、との思いで依頼をさせていただきました。

そして辻さんの魂のこもった演奏で素晴らしいテーマ曲が仕上がります。
全世界に現存しない楽曲が、辻さんのハーモニカで復刻となりました。
(辻さんには感謝の念でいっぱいです!)


戦史研究家の時代考証

私の脚本が史実と合致しているか、戦史研究家で「神雷部隊始末記」著者の加藤浩さんにも会いに行き、細部の時代考証もしていただきました。

加藤さんは取材当時で20年以上「桜花」を研究され、隊員と交流を重ね、史実を丹念に掘り下げてきた方。その著作「神雷部隊始末記」には、特攻兵器桜花に関する詳細な情報が多々記されています。
この著作だけでも大いに参考になるのですが、番組の脚本化に際し、著者ご本人による細部の時代考証もしていただきました。

(加藤さんのご協力無くして、この番組は仕上がりませんでした。
本当にありがとうございます!)

朝4時までの作業×3か月

番組制作は膨大な時間と労力が必要でした。
脚本と編集の作業は特に難航。

私は朝4時までの作業を、丸3カ月続けました。

これは大袈裟な表現ではありません。
脚本、編集の作業はそれほど時間を要したのです。

放送される番組は放送時間が厳密に決まっています。
60分の枠内で、ナレーション、インタビュー音声、関連楽曲を組み合わせ、番組を構成します。

放送現場では1分300字~400字のスピードで原稿を読みます。
今回は戦争の史実を伝えるラジオドキュメント。ゆっくり話すナレーションのため、1分300字で目安の文字数をカウントします。

そして60分の放送時間で約半分がインタビュー音声や楽曲の時間。
ナレーションに充てられる時間は、残り半分の約30分。
300字×30分の概算で9000文字。

深遠な戦争の史実、「桜花」の史実を、この9000文字に集約する作業。
それが私の脚本執筆の仕事でした。

パソコンの音声編集

音声編集ではノートパソコンを使用しました。

パソコンも特別なものでなく、会社から支給されたノートパソコンと、自分のノートパソコンの2台。いずれも市販品のノートパソコン。機材としては特殊なものではなく、編集状況に応じて2台を使い分けました。

音声編集ソフトはフリー使用が出来る「SoundEngine(サウンドエンジン)」と「Audacity(オーダシティ)」いうソフトを使用。
場面と場面をつなぐ編集でサウンドエンジンを使い、音のバランスをとるミキシング作業ではオーダシティを使う、という使い分けをしました。

音声編集では「波形編集」を行います。

全ての音声は、音声編集ソフトの中で無数の波形で表示されます。
インタビュー音声も、楽曲も、ナレーションも、波型の線で表示され、この「波」をつなぐことで、音が自然につながる編集となります。

波と波を画面上で拡大して、つなぐ作業。
それは細い糸と細い糸をつなぐような、繊細な作業であり、同時に「桜花」の史実や証言をつなぐダイナミックな作業でもありました。

私は連日、ノートパソコンで深夜までこの編集作業を繰り返し、番組の音声を制作していました。

無我夢中でした。

脚本執筆の合間に、取材音声を聞きなおす。
聞いた音と、脚本の内容が合致しているか、自分で声も出して確認する。
不明点があれば、書籍や文献を確認する。

史実に合致した表現か。
思想的な偏在の無い情報か。
取材音と言葉のバランスはとれているか。

集中を要する脚本執筆や音声編集の作業は、私の場合、静まり返った真夜中でしか進みませんでした。

番組を仕上げることだけに集中した時期でした。

ナレーション録音

約3か月の苦労の末、番組の脚本と素材音が仕上がり、ナレーション録音の日を迎えます。ナレーション録音は、リハーサルが1回、本録音が1回の日程でした。

この番組のナレーションを担当したのは、当時20代の男女2人。
2人とも大変勉強熱心なナレーターです。

戦争をテーマにしたドキュメント番組のナレーションは、声を低く、落ち着いたトーンで読めば、それっぽい雰囲気は出ます。

しかし私は小手先のナレーション技術は、絶対に違う、と思っていました。

私は一つ一つの言葉に魂を吹き込んでほしかったし、若い2人に、大事な史実を語りついでもらうこと自体に意義があると考えていたのです。

そこで私は2つのお願いをしました。

「ゆっくり、はっきり、しっかり、話してください」
「画(え)を伝えて下さい」

言葉の一つ一つを確かめながら、話して欲しい。
ナレーションで台本を読むときに、画像・映像をイメージしてほしい。

そんなことを2人のナレーターに伝えたのです。

それが、この番組で証言してくださった皆様や、協力してくださった関係者の皆様への最低限の礼儀だと考えていたのです。


ナレーションの録音は順調に進みます。
2人のナレーターは、私の取材に同行してくれたメンバーでもあり、
桜花の機体レプリカも茨城県鹿嶋市内で実際に見ています。
指定した文献も読み込んでくれていました。

「ゆっくり、はっきり、しっかり話す」
「画(え)を伝える」

イメージをしながらの丁寧なナレーションは、桜花の史実を語りつぐ重要な音声となっていきます。

ナレーションの完成度が今一つ、というところは、申し訳ないという心苦しさとともに、何度もトライしてもらいました。安易な妥協は、互いに無礼と私は考えていたのです。

そして録音時間は2時間以上が経過。
若い2人のナレーターにも疲労が見え始めます。

そのような状況で、番組終盤の重要箇所のナレーションを迎えていました。
2人のナレーターの声もかすれ始めています。

声帯のかすれは、実は深刻なのどの炎症。
声が悪くなることはあっても、劇的に良くなることはありません。。

私は2人の若いナレーターにこう言いました。

私:「これはとても大事な話。」

2人のナレーターは大きく頷きます。

私:「だから、100年先の人に届けよう」

ナレーター2人の目の色が再び変わりました。

このときミキサー(技術担当)の男性が素晴らしい仕事をしてくれました。
この日も音作りのための微細なミキシングをずっとしてくれていたのですが、この大事な場面で一言激励をしたのです

ミキサー:「さあ、行きましょう!」

たった一言、が聞きました。
日頃から温厚で知られるミキサーの、最高かつ最短の激励でした。

そして終盤のクライマックスのナレーション録音も無事に完了。
2人のナレーターは、私の呼びかけに見事にこたえてくれました!


日本放送文化大賞ノミネート

作品は報われました。

このラジオドキュメントは放送業界の最高賞の一つ「日本放送文化大賞」にエントリーし、関東・甲信越・静岡地区の地区審査を1位で通過。

グランプリの座は逃しましたが、茨城放送開局以来初の「日本放送文化大賞ノミネート」の作品となったのです。

社内外の関係者の皆様の多大なる協力があってこその、ノミネートだったと思っています。


放送ライブラリーで視聴可

このラジオドキュメントの情報は民放連のページでも掲載されています。

日本民間放送連盟 第12回日本放送文化大賞情報
「茨城放送 終戦70年特別番組
 721(ナナフタヒト)語りつぐ特攻兵器『桜花』」
https://www.j-ba.or.jp/category/awards/jba102014

この作品は著作権の事情もあり、ネット上では視聴できません。
現在は横浜市の放送ライブラリーでのみ視聴できます。

放送ライブラリー https://www.bpcj.or.jp/


8月15日の節目にぜひこの情報をお伝えしたく、この文章を記しました。

私が全身全霊で仕上げた作品です。

貴重な証言が虚飾なく記録された番組です。

ぜひご興味を持っていただければ幸いです。

著者:高木圭二郎
記載:2020年8月15日/更新:2024年8月15日


■執筆者プロフィール

高木 圭二郎 (たかぎ けいじろう)
研修講師・フリーアナウンサー・トークレスキューNEXT代表
(元 茨城放送アナウンサー兼 ディレクター・報道記者)

法政大学社会学部1995年卒。テレビ業界を経てラジオ局の茨城放送で18年半活動。高校野球実況10年以上担当。災害報道・記者会見の現場も多数経験。

ラジオドキュメントの脚本・演出で文化庁芸術祭賞・日本民間放送連盟賞受賞。日本放送文化大賞ノミネート。

2016年の独立後、研修講師、フリーアナ活動、スピーチ講座運営を兼務。
水戸・龍ヶ崎・取手等で活動中。

研修専門分野:
マスコミ対応・危機管理・ビジネスコミュニケーション・広報PRなど


関連ページはこちら
事業公式ページ トークレスキューNEXT
http://www.talkrescue.jp/

高木圭二郎 プロフィール詳細
https://talkrescue.jp/instructor/profile


■補足説明

講師の高木はすでに茨城放送を離れ、現在は講師活動・フリーアナ活動をしています。桜花レプリカ写真は取材時の特別許可のもと撮影しました。関係者の皆様のご協力に心より御礼申し上げます。


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