短篇【この距離から見つめる愛が】白石麻衣
「頭痛が痛い」
昔から麻衣が良く使う言葉。
テスト勉強で新しい言葉が頭の中に羅列されても、新しく始めたバイトのマニュアルを詰め込んだ時も、僕が泣いて麻衣が慰めた時にかけてくれた優しい言葉を思い出しても、
僕はこの言葉をよく思い出す。
「アルバム作ったの、どう?」
麻衣は僕の携帯で好きなだけ写真を撮る。それは記念として残される一枚の為に息巻いた行動ではなくて、自分自身の恐ろしく可愛い顔を見せたくて、僕の寝顔を僕自身の携帯に残す滑稽な行為を笑いたくて、
そしてその写真を持ち歩きたくて。
それらが重なり合った一冊のアルバムには、1ページずつ小さい思い出に対して、麻衣の本音が書かれていた。
8/25
【付き合って初めてのお祭り、普段握ってくれない手を貴方が自ら握ってくれた。初めてような熱い瞬間だった】
この日は緊張してたんだ。まるで終末の世界から瞬く開放感ではなく、両片方から強く片結びで殺すような張り詰めた空気を僕だけが感じていた。
麻衣はいつものような飄々とした顔で、ヒラヒラ舞う浴衣と度重なる下駄の音色で焦がれて手を繋いだ記憶が今でもある。
今でもあの時掬った金魚は生きている。生命の可能性とは糸通しなしでする裁縫のような感覚で、水槽の中をユラユラと。
僕はそいつを【シライシ】と名付けた。
麻衣は嫌がったけどね。
10/27
【文化祭で着たペアルックはどこに仕舞っている?私は当てられるよ、いつでも着れるように勉強机の椅子に掛けてあるでしょ?】
ハロウィンが齎らす運命は奇跡で厄病的だ。耽溺された機体が揺らされるように僕は麻衣とのお揃いを拒む言葉を失っていた。
後から聞くと僕はノリノリだったらしいね、すごく小っ恥ずかしくて煙突から煙が出そうだ。このページを見ると付随してその事を思い出すから、アルバムを見返す時いつも飛ばす。
ただ君が作ってくれた結晶を無下にはしたくない。いつかちゃんと読む日を作ろう。
11/24
【貴方が異常に不機嫌だった日。辛かったよ。手も言葉も視線も合わせてくれない。絶対に忘れないようにここに残す。ざまあみろ】
そうだ、麻衣の進路が確定した日。元来彼氏の役目とは寄り添うもの。この日僕はそれを忘れていた。焦燥な気持ちと追いつかない現実に掻き毟られて、まるで顔の鱗が剥がれ落ちるように僕は嫌悪の底で死の踊りを蒸していた。
おめでとうもお疲れ様も愛の篭った1秒より価値のある言葉を、残す事も伝える事も出来なかった。それは多分、麻衣と付き合って脳裏に残る後悔の一つだろう。
12/24
【貴方からクリスマスを祝ってもらえる日が来るなんて……泣き過ぎてメイクを何回も直したのは貴方にいい顔を見せたくて。でもそのあと愛し合ったからよりグチャグチャになったね。嬉しかったよ】
そんな事を事細かく文字に残すなよ。初夜とは騒乱で妖艶な雰囲気を秘匿する事に意味がある。僕らの初々しい体験を文字に起こされると、鮮明に思い出すからそれそれでいいけど。
この日の麻衣は可愛い以上に素敵以上に美しかった。蛇が見せた真珠の首飾りのような装飾の甘美ではなく、内面から浸透してくる愛の駅が終着に向かって命を燃やす健気さがあった。
骨の髄迄透き通るように、溢れるように
因みに僕が買ったプレゼンとは他の学生が買うような雑貨屋ではなく、近所の花屋が親身になって包んでくれた花束。それは命の翳りを一本ずつに込めた、僕が伝えなきゃいけない想いも流線形に乗った物。
喜んだ君の顔は今でも忘れない。
普通に良かった。その普通には特別よりも世界が無数にある、普遍とは一線を画す一言。まるで宿った想いが八十八所を巡るような贈り物。
その時「貴方へのプレゼントは私」って言ってたね。
多分だけど君は見た目に反して恋愛経験少ないようだ。恥ずかしいからそれに似たような言葉は君の学生仲間には言わないでくれ。末代まで恥をかくことになるぞ。
その後ちゃんとプレゼント貰ったけどね。
2/14
【自分で作ったチョコを自分で食べた。貴方の為を想って作った甲斐は、固唾と一緒に片付けた。来年は食べてよ】
模試というのは皮肉にも運命と被る。彼らは悪戯に僕の道を湾曲させて、本来ある筈のない障害を突きつけてくる。だから僕は闘った。死闘という言葉を身で体現した僕は、正直麻衣の事を考えられるほど余裕は無かった。
また後悔が一つ。
後日の謝罪で合格と朗報と伝えた。そして君はまた泣いた。それはどういう涙なのか、僕には理解出来ない程狂っていたのかもしれない。
僕らは遠距離恋愛となって、生きた。
この物語は普通だ。
アルバムとその頃の回想を言う時は、片方が死んだ時という相場が存在すると何かの本で読んだ事がある。
愛に暮れる片方が愛の行方をまた血眼になって探す為にアルバムを見返している時間だと。
しかし____________
僕はまだ付き合っている。ごく稀にお互い都合を合わせて、また愛し合って、別れを悲しんで。
彼女はそういう時も「頭痛が痛い」と言う。
普遍な事なんて、彼女が吹き飛ばす。
そうだ、今度は僕がアルバムを作ろう。