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短篇【無花果】森田ひかる
あれは確か去年の冬だった気がする。よく澄んだ空気が漂い、そこはかとなく綺麗という言葉が似合う季節になっていた。
「………寒っ」
随分減った町の人口にも看過せず、私はぶっきらぼうにポケットに手を突っ込んだまま駅のホームで電車を待つ。
炬燵に包まりながら食べるアイスのようなギャップが愛おしくて、教育的に注意されながらもポケットの中に手を入れて、指を絡めてしまう。
これを下校の妙というべきか、閑散としたホームには同じ方面の同じ学校生たちがちらほらと、短いホームに一列となっている。
全員の時折吐く白い息が己の魂のように登り、微妙なレベルで生きてる感覚を肌で感じる。
自ら吐いた息は存在を目立たせたいのか、私に向かってくる。自ら吐いた息が鬱陶しくて、目を瞑ってその場を過ぎる。
電車を待つ苦痛を耐えながら。
結局電車が来るまでの時間を好きになれなかった事が少し悔しくて、ゆっくりと目の前にやってきた電車の大きい扉に入るのを躊躇う。
うじうじしている私に困った車掌はそのまま扉を閉め、電車を進ませた。
「……あ〜ぁ」
その白い息が乗り遅れた私の蟠りを笑うように、また電車を待つ時間がやってくる。
この時私は少しだけ笑えた。
ただその日からだろうか、まるでお盆にある水をひっくり返したように、
世界が見事に変わってしまった。
天変地異が起きたとか、世界変動が起きたとか、そんなレベルではなく、単純に常識が塗り替えされたと言えば語弊は無いだろう。
“死後の世界の可能性”
まるで網にかかるようにこの言葉が飛び交うようになっていた。
とある研究者が長年の研究の成果を書き記した本は”希望”と名付けられ、形となって世界の人たちに届けられた。
そこには死後の世界の存在や魂の証明など、哲学部類の本だと勘違いされそうなほど、ある種胡散臭く、そこに書いてある活字を見るだけで赤面するほど恥ずかしい内容の本だった。
最初は見事に薄氷を素手で叩くような評価のされ方で、疎らな賛否の状態だった。それが雪解けのように時間をかけて著名人から一般人へと段々世間的に広く知れ渡っていった。
ただ一度見ただけでは普段知識と常識の狭間で揺れ動く世間にはあまり刺さらなかったが、後の著者本人のインタビューや解説記事などでその本の”本質”が理解されていった。
そしてその本質の糸に絡まった人達はその希望を有難く信じた。口から口へ、意味を見出したい人達はその希望を胸に抱いて、大きく広まったその夢は強くなって、
最後には、みんな自ら消えていった。
本当に単純な世界だった。報道にならないような死者数が段々湯水の如く増えていくだけで、最初気にする人も多くはなかった。みんな自分の安否に絶対的な自信を持ちながら、まだ頼り甲斐がある希望を胸に朝日を浴びていた。
ただ老若男女関係なく、徐々に蜘蛛の巣が世間という身体に巻き付くように、みんな希望を辿って息絶えていった。
気付くと学校の友達や先生、最終的には身内まで自ら消えていく惨状を、私はただ呆然と眺めていくしかなかった。
月単位で繰り返される葬式や訃報の淡い価値が水で薄めたアルコールみたいに侵されていき、結局全員酩酊しているみたいな感覚にまで陥った。
鰻登りに増えていった数字はもう身近には感じなくなってしまい、私は今日も同じように誰もいないホームで待ち、窓から海が綺麗に見える誰もいなくなった電車に乗る。
こうやって世界は変わり、私は取り残された。
それから半年経った夏のある日。まだ少し春の香りが空気の中に立ち籠り、蝉の声すら届かない6月には40人ほどいたクラスの友達たちが気付けば25人ほどになっていた。
それは袖口から段々と糸がほつれるように、1人また1人と席から立ち上がっていった。
結果道徳の本質でさえ薄らな現代となってしまい、希望を謳う教師たちの言うことを冷めた子供たちは他人事のように聞いていた。
かくいう私も当然その一部だった。
高校生の倫理観はこうも簡単に縺れるとは、達観したい私も動揺を隠せない。
これを再生の川とでも言えばいいのか、それとも白い悪夢と感じればいいのか。
『………ひかるってこっちのホームだっけ?』
黄色線に並んだ2人。誰もいない馴染みのないホームに彼は私の隣にわざわざ来た。
「ううん、本当は向こう側だよ。なんか今日は遠回りしたくてね」
頭二つ分ぐらい差がある私たちの影を見て、なんだか生きてるって感じてしまった。そんな放課後に彼も釣られたのかもしれない。
『そっか、ひかるにもそういう日があるんだな』
今多分嫌味を言われたらしい。まあ正直跳ね返す気も無かったし、これぐらい言われたところで夏の入り口特有の曖昧さのせいで思考回路すら覚束ない。
「………こっちの方面ってなんかある?」
『ひかるがいつも帰る方向とほぼ一緒だよ。この小さい片田舎に右と左の大きい差なんてありゃしない」
何分待てば電車は来るのか。そもそも電車は来るのか。今の私にはそんな常識すら疑ってしまうほど、日頃の信用が春に溶けていた。
『そういえば…………』
『僕のクラスは遂に18人だけになったよ』
彼のクラスとは間隣の位置関係にあった。その結果、体育などの合同授業ではよく見かける事となり、気付いたらなんとなくお互いが知り合う状態となっていた。
彼は時折私の友達と付き合ったり、今度は私が彼のクラスメイトに告白される事になったり、何かと縁があった。
ただ今の時代、友達が急にいなくなることなんて珍しくない。昨日普通に別れの挨拶をした友達や何の変哲もなかった学級委員長たちが、次々と空席を自ら作っていく。
私が唯一心を許していた人たちまで空席を作っていく。この時代に”生きる意味”を活力して死ぬ事なんて寧ろ正解のような雰囲気すらあった。
だから私も時既に味気のない、変哲のない返事しか、もう出来なくなっていた。もう同情することも情けない態度に叱咤することも疲れたし今更そんな事誰もしていない。
“慣れる”という感覚は冷酷な存在だと私が今からする態度でより分かりやすくなる。
「随分減ったね。ついこの前までは私のクラスの方が少なかったのに」
『あれから半年経っても減り続けるもんだな』
感情に浸るその言葉に
「……まさかこのまま電車に飛び込むつもり?」
と言って、私は彼の影を睨む。
何故だろうな、形容し難い彼の言い方に私も棘を露にしてしまった。
ただその寂寞とした雰囲気に一石を投じるような言い方をしてみたかったのだ。
しかしこれだ、と光って見えた言葉をこんなにも鋭利にする必要もなかったが、もう取り返しがつかないし自暴自棄になるしかないだろう。
「どうなの?君も今から死ぬの?」
『いやいや、僕は自らそんな事するつもりも無いし考えたことも無いよ』
「なんかそんな事言って結局自殺したクラスメイトが数ヶ月前にいたけど、もしかして前振り?」
『だとしたらそれを口にしないでくれ……』
彼は私の戯言を冗談と受け取ってくれる。まるで扇子を仰ぐように棘を避けていく。ただその方が有難かったのも事実だ。私も事実が苦手な味となっていたから。
嘲笑の言葉尻を使っては私に落としてくれる。私もなんだか面倒になって、耐え難い本音をただ言いたくなる。所謂幼い少女の愚痴程度止まりって奴かな。
そういえば”会話”というものを久方ぶりに意識の上で行った気がする。杞憂な日頃の学舎には不死身の授業たちが私たちの上に立ち塞がるだけで、それを切磋琢磨する友達も少ない。
元々私が友達と認識していた人たちなんて片手で数えられるほどで、それが事実的に減っただけなのが現状な気もする。
何でもかんでも世界のせいにしたがる現代人の悪い性根がまだ存在していたかもしれない。
だから私もその性根を伝って、縋ろうと思う。
「………ねぇ、生きたら幸せはあるのかな」
例えば、今友達を作ってと言えば、なんで今更思うのか。常に減っていく恐怖が木霊する関係を享受するべきなのか。
“意味”すらふやけた世界に何を感じながら生きていけばいいのか。何も不安でも無いのにこんな事考えてしまう。
だからって確実に答えてくれる友達を見つけたいわけでもない。常に正解がある世界も考えただけ吐きそうになる。
一つの大きい”意味”が突きつけられた世界に私は何を見ながら生きていこうか。
幼少期、読む事に熱中していた漫画や雑誌を後退りなく捨てるような、青春のアップグレードはこんな簡単に出来てしまう。
「ある」と言われれば御の字で、「無い」と言われればうまく飲み込める。
ただそれだけの為に私は困る質問をしていた。
無様な夕焼けを見ても涙も出ない私にとって”悲しみ”なんて、味もしないガムみたいなものだった。
そしてそのガムの微かに香る匂いは、青春の腐敗した匂いがする。
『…………じゃあさ、ひかるはいつも何のために電車に乗る?』まるで愚問の皮を捲るような問題を私に問いかけた。
私は「え………学校に行くためとか、家に帰るためとか?」と反対に困った反応をした。昔から小動物と称される所以でもある困り顔をして、そこはかない質問の答え合わせを試みる。
『そうだね、僕はその小さい目的の積み重なりが生きるという事だと思っている。例えば、良い職に就きたいから勉強するとか、睡眠不足だから眠るとか、お腹空いたから食べるとか、こうやって目先の小さい目的を作りながら人間は生きていく』
電車の音が聞こえた。格好のいい蒸気機関車のけたたましい音ではなく、車輪が揺れて線路が軋む音。
少しだけ存在する夏のじめっとした空気を掻き切る車体が段々と近付いて私が知りたい答えがやって来るのが、分かってしまう。
『幸せって大きいんだよ。価値や意味とかじゃなくて、存在そのものが巨大な目的なんだ。そこを求めて生きると当然”死ぬ”という希望が確実に光って見える。だってその目的までが大きい距離になって存在してるんだから』
まだ夏の入り口、もうじき春の死に日。
「じゃあ幸せを求めない方がいいの?」
『そうとは思わない。幸せになりたいなんてみんな薄らと願っていること。不幸せになりたいって思う人間がいるとは到底思えないし。ただこの場合でいうと、幸せを直線距離に置かない方がいいって風になるのかな』
「うーん、分かるようで分からない……」
『そんなもんでいいんだよ。深く考えたらその分だけ無限が広がってくる。ある意味永遠は身近だからね』
苦肉の電車はやっと来た。プシューと停車の音を捲し立てて扉が開く。
『……そういえば、ひかるは明日何をする?』
一足先に電車に乗った彼は振り向いてこう言う。なんて言う意味なのか、それとも小馬鹿にしているのか。
その真意は彼の口角でなんとなく分かった気がする。
段々と青春のガムの香りは腐敗臭から夕焼けの雰囲気へと変わり、色が付け足されたような味へと変わっていった。
だからその香りを楽しむ為に、私はその言葉に乗らず、閉まる扉を見送る。その私の答えに彼は驚き一つ見せずに黙って手を振った。
私も同じように手を振って、まだ上がった口角を空いてる腕で隠した。なんか照れ臭かった。
最後に彼は“バイバイ”でも”さようなら”でもなく、今相応しくないと直感で分かるような言葉を聞こえない音量で扉越しの私に投げ掛けて、ホームに私を残して分厚い台形の箱は雑踏に消えていく。
彼は今何と言ったのか。
ほんの少しだけ気になってしまった。
最後彼が言った言葉を知るために今、明日を生きる。それもなんだか悪くない。
また電車を待つ時間。繰り返される季節のように私はまた反対側のホームに行き、当たり前の循環で居座る。
あの冬の時のようにポケットに手を突っ込み、電車を待つ喜びを感じながらホームで一人佇む。
「……ふふっ」
じゃあ私だったら生きる為に生きてみようかな、と何気もない想いを抱えて、まだ先の発車時間まで空に深けている。
明日にでも蝉が出てきそうな夏の入り口の時期、その仄かな海霧の香りが澄み渡る空に浮かぶ雲を端から端まで駆け巡る。
【春の空気に虹をかけ、「神は細部に宿る」って君は遠くにいる僕に言う、僕は泣く】
今此処にある景色を見て、あの時死んだ友達に教えてもらった曲の歌詞の一部を思い出した。
なんだか小沢健二みたいな時間だった。