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短篇【君はさせてくれる】白石麻衣
冬の起き抜けの気分は屁古垂れるほど苦しく、彼がいなくてはベッドから這い上がることすら困難だった。
「…………麻衣、アラーム鳴ってるけど?」
私よりも遅く出勤する彼はいつも私の目覚ましの音で無理矢理起こされる可哀想なやつだ。此処から離れた場所で就職したのが運の尽き、彼は付き添いのように目覚めることになる。
昨日かけたはずの暖房は私達が転寝をしている頃に閉じたと思う。私はそんな設定にした覚えはないんだけどね。
そういえば昨日片付けるはずだった段ボールがまだリビングに転がっている事を思い出した。宅配のゴミはいつになっても片付けるのが面倒で、私には子慣れる様子も気概もない。
何分も連続して鳴るけたたましい音に彼は背中から嫌々に布団から抜け出して、
「今日は珈琲飲んでみる?」
「苦いからいらない、いつものお願い……」
「分かった」と彼は慣れた微笑みをする。
いい加減成長しない私はまだその仄苦い味を拒み、誰でも簡単に作れる白湯を頼む。
電気ケトルに水を注ぎ、簡単に一言。
「あと数分で沸くから麻衣は起きなさい」
彼が無造作に私を布団から引き摺り出すのは日課になっていた。申し訳ないがこれからもこうしていたい、だって楽しいから。
「………え、昨日より寒いんだけど」
「そんな格好で寝るからだよ。しっかりと寝巻きを着なさい」
奔放で無価値な格好を幼少期から繰り返している私は、彼と交際を始めてからもその習慣から抜け出せてない。不格好でも愛着のある習慣から成長出来ないのは彼が近くにいる”せい”でもあると、私は彼とゆっくり重なって起きる時でも思う。
「麻衣はパン派だっけ?」
「西洋かぶれなもんで、貴方はご飯派で?」
「…………もう麻衣に合わせるよ」
彼の脱ぎっぱなしの寝巻きと段ボールが散らかったリビングでこうやって朝食を悠長に取る。どうせ私が家を出たら彼が出勤するまでに片付けると思うと怠惰過ぎて呆れてくるが、こう見えて週末は私が家事をしているんだ。
怠惰の文字は私の前から消えてもらう。
何もつけてない生焼けのパンたちと珈琲と白湯の湯気でリビングを覆う。漂いたくなる程の匂いは交際してから気付いた幸せの一つ。
お互い薄くマーガリンを生焼けのパンの上で転がす音と半目で寝惚けた二人の顔は滑稽だったが、私が出勤するまでの数分間に感じる日常感としては最高の味だった。
「………早く食べないと遅刻するよ」
「分かってます。だから生焼けなんでしょ」
なんとなく、お互いの思考が読めるようになってきた。疎らに目が薄い状態でも食べ終わるまでの時間だとか、珈琲を飲むペースだとか。
私達の歩幅は確実に均等になり、何処か明るい未来に向かって歩いているのが分かる。だから今日も素直な怠惰で私は朝食を食べる。
「………よし、行くか」
此処からは領袖の女性の小慣れた時間、社会的に落ち度のない薄化粧と毎日着ているスーツを瞬間的に行う。この二つをこんな悠長に出来るのかは、恐らく彼が私の携帯で勝手に余裕を持ったアラームに設定してくれているお陰だろう。
おんぶに抱っことはこの事だろうね。
「よし、行ってきます」
玄関で未だに履き慣れないヒールと爪先でトントンと繰り返したら、彼に向かって私はいつもこの言葉を浴びせてから家を出る。
「愛してるから」
「僕も愛してるよ、いってらっしゃい」
駅に向かって歩く時間。名残惜しそうに唇を抑えながら、いつもの道を淡々と進んでいく。朝の笑顔のお陰で。
はて、
なんで彼はこんな怠惰な私を許してくれるのだろう。特質的な発展とか、俗のような関係でもない。ただ単に愛してるだけの私に何の良さを見つけたのだろうか。
それとも何か不可思議な思惑を隠すためのフェイクだろうか、よく昼ドラでやりそうな愛の殺し合いの最中だったら怖いなと他人事のように思えていたけど。
_____________いや、野暮だ。
どうせ、こんな事考えても私には大して立派と言えるような考えなんて出てこない。能天気に華が咲いた程度の私には、何も考えない方が得策だろうな。
だって彼は私を幸せにしてくれる。だから私も彼を幸せに出来る方法を考えよう。そうすれば毎日が永遠に続く。またこんなことを妄想しているだけで、朝の通勤も楽しい。
彼と付き合っていると、そんな気にまでさせてくれるんだから。