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長篇【僕らの唄が何処かで】⑧ 西野七瀬

空には巻積雲が靡いている。

それだけこの世界は、結局秋も忘れてはいない。

何回経っても、僕は一人に慣れているつもりなんだろう。いつも親のいない環境に自信に沈み切っていた感情の沼について、盲目を重ねることに楽しんでいた。

今まで僕がしてきた孤独の時間は偽りというわけでもないが、真実に忠実で史実に確信がある本音というわけでもない。

真新しい秋の仕草には、夏以上に親しんだ身体が別れを拒む。結局今は温度も下がり、肌寒いが死んで、普通の寒さへと変貌を遂げていた。


結局僕らは少しだけ羽織って、夕方にまた出会う。


[………こうやって〇〇から呼ばれるの、何回あっても新鮮だよ]

「そうか?僕はそんなに冷めた人間に見えるのかな」

また公園の前で、旅行から帰ってきた数日後に一実と会った。

秋らしい落ち葉のせいで、この島はものの見事に寂しくなる。茜色に落ち着く景色に慣れた直後にこうなってしまっては、風情も薄れいってしまう。

このまた看過されそうな景色に僕の視線はいつまでも下を向く。

わざわざ場所を選んで咲いた花のように、僕は未だに図々しいのかもしれない。

[これ、お土産?]

「……そうそう、七瀬センスだけど、良かったら」

[有難う……]


擦り寄ってきた一実に頼りない紙袋を渡すと、この前に起きた旅の残り香がやはり脳を揺らす。なんだか辛いような、幸福が似合いそうな。

[普通の焼き菓子じゃん、本当に高2のセンスなの?]

「あいつは敢えて気を衒ってるからね、でもあともう一つは……」


[………?]

その紙袋には焼き菓子以外に、随分と場所を陣取る何かが潜んでいた。落胤のような出立ちにも見える姿に恐れ慄く一実に向かって、

「なんか一実の誕生日の石らしい。よくそういう物はサービスエリアとかで見かけるけど、そんな物置かなそうな宿にあったから……」


2月8日を僕はとりあえず覚えていた。

それだけだった。

それだけに特別を込めたくて、

野暮を押し込めたくて。


[………〇〇も案外気を衒ってるよ]

それを見た一実は、隙間の多そうな石を大事に持って微笑んでいた。僕には見えるように隠して、頬を上げていた。

「おい、笑うなよ。結構真剣に選んだのに」

[ごめんごめん、さっきから〇〇らしくなくて]


独自の感性という一言で片付けるのは簡単だ。ただ僕は、それを大雑把に笑うのだけは違うと抗議したかった。

[ねぇねぇ、なんで顔赤いの?]

「え、だって…………」

何度も煽る一実に詰まる言葉が、僕の程度の表れだった。


[……〇〇可愛い]

領袖で覆われた一実の顔と恥ずかしい僕の二人に出来た傷は、明らかに何か違う色の血を出して喜んでいた。

「………全く、お土産あげて弄られるなんて、不幸な人生だな」


[そんなことないよ、これは大事に使うから。七瀬に見えるように鞄につけるから]

「なんかそれじゃあ、恥の的みたいじゃないか」

蒼い僕らの秋色は、物語の正鵠さを滲み出している。誰かに注がれたような気持ちが昂ると、嬉しいという感情が一色になっていく。

憐憫の情がつらつらと消えて、有難くなっていく。


そうやって僕らは距離をいつの間にか、

「…………全く、七瀬といい一実といい、相変わらず雑だよな」

[〇〇はそんな感じなんだって、そうじゃなきゃこんなに信頼してないよ]

「それを信頼って言われると、それはそれで辛いな」


やっぱり僕は誰かと一緒にいる方が、どうしても心地が良い。

笑い疲れた僕は、また下を向いていた。

それは一実にも暴露ていたみたいだ。

[…………やっぱり言わなかったの?]


鷹揚に構えていたかったが、

「そうだね、この前言った通りにね」

今日はなんだか、あの日みたい弱くて下らない存在になりたかった。

高飛車な時間の顔から身を背けて、息をして生きたかった。


「…………やっぱり僕は、弱いままかもしれない」

『じゃあこのまま、私と付き合うの?』

「多分、そうした方が僕的には良いかもね。精神的にも運命的にも」

[私も馬鹿だから、許すよ。〇〇がどんな姿であっても]

気の抜けたサイダーとは、今のような僕らを言うだろう。明解な存在からシュワシュワと、曖昧に消えていく。

だからこそ、溌剌とした運命的な言葉で、僕は形容したかったんだ。


「………じゃあ、かずみっ…」

愛してる。そんなことを今言ったって、救われる気持ちがお座なりに死んでいくだけかもしれない。そう思うと今一実が率先して唇をつけている行為に対して、僕は感謝以外を伝えるべきじゃない。

言葉が詰まるぐらいの唇の重なりは、情熱的に変わる瞬間になるまで理解出来なかった。

それでも僕らは熱く、滾るだけで、

苦し紛れの愛情を押し込むような柔らかいキスではないことだけは、一実の顔を見て知った。


そうやって大人になる僕らの上には、冬の準備を始める淡い忙しなさが空の機嫌を物語る。

いつまで経っても残酷な世界に一石を投じたような、一瞬の瞬きに誰も追いついていない。

この島で、幸せなのは自然だけだった。


何時間にも感じた僕らの甘い瞬間を離した途端、我に帰って赤面する。

ただ次出た言葉は案外単純で、救いのある一言だった。

「…………ありがとう」

[いいって、こんな事に感謝しないでしなくても]

「ううん、僕は感謝する………またこういう日が来れるように、感謝するよ」

よくもまあこんな呆れるような本音の言葉をすらすら言えるのか。僕は大馬鹿物だ。

[……私は相変わらず待ってるから]

その愚弄者を思いのまま理解している彼女も、それなりに馬鹿だった。


だから僕らは、また約束をしたんだ。

次の季節に向けて、楽しくなるように。

秋は一瞬だった。

今思えば、どうやっても記憶に残る夏と冬に囲まれた春と秋の瞬間的感覚は小さい。

僕ら三人は結局答えを出さずに、だらだらと過ごしていた。無理答えを出しても、誰も救われずに生きるだけの人生が正直目に見えていたから。

ただ、一実と二人だけでいる時間も増えていた。

なんとなくバイト終わりの時間や朝の散歩に付き添うような形で、二人だけの時間が細かく生まれていった。

今更再度改まって話すことなんてなかったが、今日あった事やそれぞれの趣味に対する話はどうしても盛り上がる。


[〇〇ってこの本読んだことある?]

「ないけど、一実的におすすめなの?]

[そうだね。ここ最近見た中で一番心に刺さった]

「また怖そうな装丁だな、夢に出てきそうだよ」

貸してもらった本には、恋愛が上手くいない男女の縺れが書かれた本。今の僕らには不純な列車が微妙な線路を走りそうな内容だった。

[結構面白いから、読んでみてよ]

「分かった、じゃあまた感想言うね」

そういえば、僕らが照れて物を言う機会は少なくなった。どうしてもそのフィルターが綺麗にしてくれて、世界が美しくなる。

[………〇〇、この後暇?]

「今日は何もないよ」

やっぱり小っ恥ずかしいから、

日向に隠れて一実は言った。
[私の家に来ない?]

そんな僕らに気にもせず、七瀬はいつも温厚で自由の精霊のような、逞ましい笑顔を見せてくれる。

こんな風に、人生を180度変える瞬間が生きている間に不思議とよく出会う。その刹那に惑わされて、正常な判断が間に合わず、貴重な機会を逃すことも絶え間ない瞬間なら人間は許してしまう。

純情の赴くままに、僕らは駆け巡った。それは、好きな本の話をする時と僕らが身体を交わらせる時が同じ感情のように。

解き放たれた瞬間の答えが出たような世界への刺激は、特異の全てを見ているようだった。


お互いプラス同士へと気持ちの矢印が向いていたという、皮肉にも見逃してしまいそうな瞬間から世界は変わる。

恋愛感情という格好の良い言葉で解決できるような二人の心境でもないが、僕らはどういうわけか、違和感なく交われたんだ。


多分、僕と七瀬が曖昧に生きてきたのは知らなかったから。気付かなかった七瀬と無理矢理答えを出そうとした僕の交わることのない矢印の向き。


喉が渇いた、だから一実の家の麦茶は特別に美味しかった記憶が強い。

涙袋に詰め込んだ起伏が凄まじい登り坂は、脳裏を線路に僕らを乗せて上がっていく。


吹けていた僕は事の顛末を、窓に託していた。
[そういえば、なーちゃんには連絡したの?]

遂になる布団の上で頑なに横になる一実とそこに添えようと試みる僕。正直僕の方が彼女を強く抱き締めていたかもしれない。

だから喋ろうとすると僕の息がきめ細かい透明な肌に当たる。

秋はようやく意地悪になって、

「………あ、やべぇ、七瀬に連絡しなきゃ」

僕はより近い距離で話す。


僕が携帯越しで、七瀬に向かって口を出す。一実は携帯を耳に当てる僕に少しだけ指で遊んでくる。

よくある官能的な映像作品ではそういうシチュエーションのシーンが思い浮かぶのは、男の本能の言えば簡単だろう。


「今仕事先で、帰るの少し遅くなる。適当に晩ご飯作っておいて、ごめんね」

拡散される七瀬の声には、いつも通りの疑いのない声が絶え間なく二人だけの空間に響く。

反響しているようにも聞こえる部屋の閑散度合いには、田舎の必然さすら覚えてしまう。


会話を超えると回線の途切れた音が、

[………なーちゃんに嘘ついたね]

「無意識に出ちゃったよね、後で正直に言おうかな」

[何て言うの?]

また響く。

「一実とやっていたけど……って」

[そんな下品な報告やめてよ、するならせめて二人で報告したい]

「畏りすぎるだろ、一応唯一の同級生だぜ」

[そうだけど、家族みたいなもんじゃん]


この島に来るまでの私生活でも親との密接な関わりは少し希薄だった。贅沢は言えないが親の暖かさは感じた事は少ないと思う。

だからこそ、”家族”という言葉には何か変な思い入れが残りそうで、僕は無意識に溜め込んでいたのかもしれない。

踏ん切りをつけれない僕は一緒に暮らしている七瀬を”家族”と認識して、大切な判断を先延ばしにした。

そうして、その”家族”に最も遠い存在である、一実に愛を寄り添ってしまったのかもしれない。


[……寒いから窓閉めていい?]

「うん、てか服着ようぜ」

[いいよ、このままで]

秋は素敵だ。

誰にも縋れようとせずに、健康な指で体を奮い立たせている。

微風が髪を掻き上げて、痒い愛の傷に滲みてくる。だからどうしたと思いながら、また一実の髪を撫でていた。そっと指で引っ掛けるようにして、か細い毛先を少しずつ。


「……もう一回していい?」

[うん、おいで]

窓辺に秋の死臭が込み上げる。他所吹く吐息がゆっくりと、まんじりともせず僕らの畝りを注ぎ立てて、肺を酷使していく。


[………私は〇〇が好き。だから愛してほしい]

風がまた吹いた。朝になりそうな物語の一片には、焦がれた文字の羅列で沢山だった。

「…………ありがとう、一実」


僕らの群青の秋が終わった。


最近彼女との思い出で泣くことが多い。悲しみなんて消え超えて、寂しさなんて凍え生きた。


僕の携帯のアルバムには七瀬との思い出と一実との思い出をしっかりと区分けして保存している。


いつでも愛の行方を見据えるように、僕はポケットにある思い出をぶら下げながら、今日も三人で帰る。

今年の冬は普通になりそうだ。だから僕は普遍という呪縛から解き放たれる為に、締め切った休日の学校に一実を呼び出した。

冬は誰よりも心が冷たい。一度交じり合った僕らの混沌とした想いも、冬になると前進出来なさそうな雰囲気になっていた。

ただ僕はそこで一実に青い言葉を、

素直に伝える事にした。

「僕は一実が………………」


この日も晴れていた。


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