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長篇【僕らの唄が何処かで】⑥ 西野七瀬
【秋の日、余韻が絶つ風】
こんなにも秋の入り口を寒いと思った事は、17年間で初めてだった。
恐らく最初の6年ほどの記憶なんて、あってて無いようなものだが、今年は特に涼しいをゆうに超えて寒く感じる。
極東との勘違いが出来る、その煩わしい季節は夏の残り火を落として過ぎ去っていく。
どうせ、夏よりはあっという間に思うのだろうと、この季節に対して特別な感情なんて抱いてなかった。
芸術の秋、スポーツの秋、食欲の秋、読書の秋
全て人間の必要欲を全て付け足したような言葉に感じて、今年の秋もぞんざいに扱うであろうと踏んでいたのも束の間、
気分屋の母から連絡があった。
“旅行券余ってるから、どっかで使ってきて”
高2の思春期真っ只中の男子に奔放な提案だけを残して、また返信がばったりと返ってこなくなった。
仕事の都合で手に入れた全国に系列を持つ宿の宿泊券を母は僕のところにメールと一緒に送ってきた。
僕はどうしようと考えた。昔から旅行という遊びには少し無頓着のまま、この年まで生きてきた。母の仕事の都合上、旅行に行く機会も少なく、僕もそれほど熱が帯びないまま成長してしまった。
此処に来て急な旅行への熱を上げなくてはいけなくなり、少しだけ落ち着きがなくなる。
島の学校自体、この秋には連休も多く、予定表を見ても隙が多くある。部活も入っていない僕にとっては最適な隙間とも言える。
とりあえずリビングでこの島から近そうな観光地が記載されているサイトを覗く。絶景にするか郷土料理に染めるか、僕には分からないところもあった。
だからとりあえず雑踏の中の一番上から、順々に塗り潰していく。判断材旅が少ないのか、これという踏み切った決定が出せない。
今日もだらだらと眺めていると、七瀬は僕の険しい顔を見逃さなかった。
もう完全に肌寒くなってきた時間、僕はまたパソコンと睨めっこを繰り返している。
『………〇〇、何してんの?』
「旅行どうしよっかなって………」
『え、旅行行くんだ…』
「母が行ってこいってさ、その場所を決めようと悩んでいるんだけど」
『何に迷ってるの?』
「全部だね、あんまり遠出したことないから何処にするべきか分からなくて」
『ふーーーん………」
なんだろう、七瀬は何を考えてるんだろう。
その時は、七瀬が今から提案する事を微塵頭の中に膨らませていなかった。
それは不自然はよがり方かもしれないが、僕には旅行を楽しむ余裕はあまりなかった気がする。
『ねぇ、私も行っていい?』
「………は?…いや、多分ダメだろう」
『何で?』
「僕は親からの許可を得て行くけど、君は誰の許可も降りてないじゃないか」
『じゃあ許可降りたらいいの?』
「………まあ、それならいいけど」
『分かった…』
その一言を残すと、七瀬は家を出た。投げるような態度になって僕を置いて行った。
この時代の人間は、少しだけブルーライトに抗体がある。薄暗い部屋の中で何時間もパソコンを見ていても、目は萎まないし疲れない。
僕は余力が残っているうちに、まだまだ根強く閲覧を重ねる。そうしているうちに、七瀬が何処からか帰ってきた。
玄関でバタバタと音を立てて、また僕のところまで向かってくる。強い音が段々と近くなるのが、少しだけ怖く恐ろしかった。
『…………ねぇ、〇〇』
「はい?」
『行って大丈夫だって』
向かい側の椅子に座らず、僕は見上げると恐らく返答を用意してきたのだろう。ただ僕はすぐ理解出来るほど、冷静な頭ではなかった。
「…………は?」
『さっきおばあちゃんに確認してきた。〇〇が一緒にいるなら大丈夫だって』
「嘘だろ……」
「〇〇君も一緒に行くんでしょ?。それなら多分無事に帰ってこれるし、私たちが七瀬を旅行に連れて行く機会なんて少ないから、この機会にもし良ければ七瀬をお願いします」
おばあちゃんは過保護だと思っていたが、少し放任して僕に託してきた。嘘だと思い、確認の連絡を入れたが、本当に了承を貰って来た。
『………私も行くからさ、何処にする?』
「金とか大丈夫なの?」
『意外と貯金してるから安心して』
用意周到な七瀬からはもう逃れる術はないだろう。とりあえずこの時点で二人で行く事は確定してしまった。
「じゃあ二人で行こっか……」
『楽しみだね』
食い気味すぎて、僕に言葉を言う隙間がなかった。憂さ晴らしのような旅行の約束は、あまりに強引だったが、嬉しくない訳でもない。
僕も結局、七瀬に甘い島の人間という事だ。
「じゃあ好きな行き先決めといて、僕には行きたいところが特にないから、七瀬のお勧めでもいいから」
そう言って僕はリビングを抜けた。
少し緊張で火照った身体を、緩く夜風で補綴させようとする。
この島の風は誰にも優しい。傷付いている時や何かに煽られた時には程よい塩梅となって、冷ましてくれる。
そういえば僕はもう一度連絡しなきゃいけない人がいた。その人に向かって夏の後処理をするべく、また夜道を歩く。
“今家の近くを散歩してるんだけど、会えない?”
この頃には頬は冷たく、それでも感情の波は伝っていく。僕の視線から見える風と星にも、純粋な気持ちが揺蕩って、
[私を呼ぶなんて、珍しいね]
「意外と早かったね」
[一応入浴後だよ、労って欲しいけどね]
「それはタイミングが悪かったな」
[いいって……今更気を遣われても]
細波から虫の囀りまで、恐ろしく細かい音の性格によって、一実の家の前にある公園で腰を下ろす。
懐かしい遊具が並ぶ公園。時代の影響で撤去され続けた公園たちの太陽は、この島が最適だろう。
僕らは一斉に並んで座る。”よっこいしょ”と言ってしまう単純な僕らは、意外と近かった。
少しだけ間が空いて、魔が刺したように一実は優しさで僕に話しかけてくれる。出会った頃を変わらない、優しさで。
[で、どうしたの。なんか用があるんでしょ?]
「……今度七瀬と旅行行くことになってね。一実の為にお土産買ってくるっていう報告」
[何それ、学校でも言えるじゃん]
「多分七瀬は学校では言わないから、意外と隠したがるし」
[そうね、私も意外となーちゃんのこと知らないかも]
知らない事は罪なのか、無知が齎す奇跡とは案外馬鹿馬鹿しいのか。
「………ごめんな、」
[それは何についての謝罪?]
「祭りの時、七瀬を優先して」
[…………今更そんな事を気にするの?]
「僕にとっては、大きい痼りだよ」
[大丈夫だよ、なーちゃんも無事だったんだし]
「そういうことじゃなくて、」
まだ夏は執拗に影を見せる。現に夜は少し寒いと思って着込んでも、朝には燦々と照りつく太陽によって汗ばむ日もある。
「一実のことも、もう少し考えてれば良かった」
[何それ………何でそんな事で〇〇が落ち込むのよ]
「………何だろうな、多分不安なんだよ、糸が切れそうになる関係性になることに」
一実の口は閉じていく。何かを言おうとした一言すら飲み込んで、考えるわけでもなく黙って、この島を感じる。
[私はそんなことしないよ、置いて行かれたからってこの三人の関係を辞めるなんて]
「………そうじゃないんだよ」
此処で何をいうべきか、既に迷いが溢れ出る。
それでも賢明に、正しさだけでは判断出来ない、僕の気持ちを言いたかったんだ。
「僕ね、七瀬が好きなんだ」
[…………知ってるよ、〇〇が七瀬を好きなことぐらい]
「そっかぁ」
単純だ、それも阿呆の所業だ。
[じゃあ告白でもするの?]
「……どうだろう、多分しないと思う」
[なーちゃんも〇〇のこと好きそうだけど、そういう不安っていうわけじゃないの?]
「彼奴の好意は、家族愛みたいな物さ。僕も突発的に好きという言葉を使ってるけど、これは恐らく恋愛っていう意味じゃないと思ってる」
[ちょっと格好つけ過ぎじゃない?]
「そうかな、素直にした方なんだけどね」
本意に向かって話したかった。
格好付けた言葉でも、真意は伝わる。
「一実、僕は白黒つけれないまま、一実とまた会うかもしれない。それでも許せる?」
弱過ぎる。女々しくて、やり切れない。
刹那の中、僕は尋ねた。
[また安易な言葉……]
それは今出るべき返答ではない。
だからこそ、今聞きたかった。
[私は許すよ、そんなダメな〇〇でも]
さよならが似合う夜。躊躇するべき気持ちも臆せずに、僕らは彷徨う。
[…………ただ次は楽しみにしてるよ、〇〇の本音が変わる時を]
まだ半年、僕らが出会った時間はとても短い。一人の人生単位で考えたら、取るに足らない距離だ。
「じゃあ待ってて、しっかりと言うから」
出逢う運命には明確な線路が必要だ。それを忘れない為にも、過去以外のハッキリとした文字が見える必要がある。
[………疲れたから帰るね、お土産楽しみにしてるね]
「分かった。とっておきを買ってくるよ」
[せめて恥ずかしいものはやめてよね]
耐え難い気持ちを抑えて、一実は消える。
僕から見える後ろ姿は勇猛果敢な選手ではなく、一人の女性だった。とても文学的で知的な言葉を発する彼女とは想像付かない、
険しく、雁字搦めな背中だった。
結局そんな長い距離を歩かずに、また家に帰る。気付くと七瀬が寝る時間になりそうだった。
そんな長い時間まで更けていたと思うと、僕はまだまだ弱いコンピューターなのかと落胆も辞さない。
そしてすっかり秋になって僕らは歩く。