長篇【僕らの唄が何処かで】⑨ -last-西野七瀬
【冬の日から春の手前へ、哀惜はこの胸に】
「………好きです、付き合ってください」
冬も意外と好きみたいだ。厚着を重ねて格好を楽しめる。二人でいる時には自然と手も絡み合っていく。
一実のマフラーで埋めた頬を僕は赤子を大事にするように撫でていく。寒さに展開された人生の一瞬に有難いと思う日が来るとは、引っ越し前の僕は想像も出来なかったであろう。
典型的な告白の妙など、友達から借りた映画で見たやり方しか知らない。僕はそれを見習って、一実を呼び出して告白をする。
少しロマンチックにかける世界だが、自然の雄大さに肖って告白することは、この島目線からしたら普遍的の1文字目を順繰りと辿るだろう。
此処にも相変わらず寂れた遊具が散乱して、埋め込まれたタイヤの消耗具合で、時代の経過が理解出来る。
[うん、待ってたよ]
この日もいつもの散歩として家を出て、一実と待ち合わせをして意を決した。
冬空に任せる迄に随分と決心の時間は掛かったが、掛かった時間を共有できるほど、弱々しい昔の僕はもういない。
[これからも宜しくお願いします]
こうして抱き合う僕らの門出の汽笛は、七瀬に報告してから鳴らされると思っていた。
だからまだ安堵の園へ踏み込むわけにはいかない。また緊張感が漂いながら、僕は一人で七瀬の元へ向かう。
歩き慣れた道がこんなにも荊棘の光をになってるとは思わなかった。物理的にも軽快さを忘れそうな僕の足取りは、重く硬い。
胡乱な肩の位置から見下ろす僕らの家まで他愛もない時間の経過に少しだけ荷が降りる。だからといってこの緊張感が解けたわけでもなく、結局家に着いた頃には僕の玄関の扉を開けようとする右手の震えで目一杯だった。
言葉を告げることを先延ばしにしたいと心から願いながらも、僕は扉を開けて靴を脱ぐ。
『あれ、お帰り』
いつもの散歩と思っていた七瀬はだらしなく部屋着に身を包み、
「七瀬今ちょっと時間いい?」
僕の重い言葉を少しだけ感じ取った。
『………今から着替えるから、それからね』
リビングで立ち尽くす僕は、抑揚される伸びやかな椅子に向かって腰を下ろす。
『お待たせ』
改めて何かを添えたような七瀬の出立には、冬の趣が見えてくる。
『でどうしたの?』
「………一実と付き合う事になった」
この言葉を言う為に生きてきたような、重々しい空気の中で巡り合う意識を集中させた。無下に願う視線から見据えた事実を、ただ告げるしかない。
『……それはおめでとうだね』
その一言は多分今迄出会った事のない天使のような、人生の福音の形でも思えてしまった。
まだ救いを見出そうとして、もうすぐ昼になりそうなこの時間にも降りそうな言葉の端々を僕を求めようとする。
されど生きて、幸せは変わる。
『一応知っていたんだよ、二人がよく会っていた事』
「……流石七瀬だな」
『もう〇〇がこの家に来て一年が経とうとしてるからね。大体のことは分かっていた』
今日の天気は奇しくも快晴。青々とした空に寒さを塗れそうな色の空気が漂い、僕らを飄々と流していく。この部屋の温度はまた下がり、摩る二の腕から不安が募る。
『かずみんは優しいから、安心して。ななが保証する』
「言われなくても知ってるよ」
『いいね、恋って。二人を見てると羨ましく思うよ』
「無理矢理するもんじゃないよ。願ったって降り落ちてくる物でもないし」
『………今日は私が晩ご飯作る』
「いいの?」
『うん、二人の祝い』
『—————私も二人を祝福したい』
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そういえば、自然に囲まれた僕はいつの間にかナチュラルな人間へと変貌出来た自負がある。忖度や謙遜より慈悲が溢れそうな立ち振る舞いが自然にできる一実の影響だろうか。
これからは非常に奇妙だ。一実と付き合いながら七瀬との共同生活を続けている。その関係も変わることなく、淀みなく生きる。
結局七瀬とは”家族”の関係を超えることは無かった。実際問題軋轢に感けた関係に発展した所で、三人での居心地が悪くなるだけ。
僕らは家族を超えることは無かったが、恋人との時間には目一杯気を使った。
配慮と言うべきかもしれないが、意味のない会話から性行為まで、ごくごく自然の摂理のように進んでいく。
そんな時間が時々刻々と終わり、また春へと繋がる。
「一応今から私は東京に戻るけど本当にいいの?」
「うん、もうこの島が居心地になった。今更この心地を変えるつもりもない」
「……2年経っても私の息子は相変わらず私より大人で安心してるわ、今度島に行くからそれまで元気でね」
「母さんも元気でね、じゃあまた」
電話を切った僕は少し胸を下ろして、また朝ご飯の準備を続ける。
「あ、そうだ」
近くにあったタオルで手を拭き、七瀬の部屋へと向かった。
「七瀬〜朝ご飯作ったけど食べる?」
毎度ドア越しでいつもの言葉を投げる。無邪気に変わらぬドアの向こうからバタバタと音がした時には僕はもう笑っていた。
ゆっくりと二人分の朝ご飯を並べて、彼女を待つ。
『お待たせ〜、いや、寝坊した』
「アラームをかけろ」
『あれ、〇〇は今日休み?』
「残念ながら休みです」
仕事着を纏った七瀬は部屋着の僕を叱るような目で睨む。結局僕ら三人は島で仕事を探して、高校卒業してもこの島に残る事になった。
大抵この島の若者は高校卒業から島を出る田舎特有の当たり前から逸脱した僕らは島の人達から少しだけ重宝された。
『じゃあ……』
“いただきます”
誰かが待つ家に独りで佇むのは、寂しくて苦しい。
それでも誰かが寄り添ってくれる証がミリ単位でも僕の手元に存在するなら、寂しく生き残ることも苦しくはないだろう。
まるで産声が讃美歌に変わるような瞬間が絶え間なく続くなら、僕は詩を残す事にした。
そしてこの物語はこれで終わりだ。最後の小節に記載されている記号を全て辿り、歌い終わる虚しさが残る暗渠な瞬間があるかもしれない。
それでも新しく新譜として、作られた世界を辿るだけで、僕らの人生は楽しく約束された。
強弱されていく感情の起伏にも僕らは無下に耐えて、迫りくる別れにも果敢に受け入れる。弱起が隠された生活に何気なく幸せの階段を登るように、今日の朝ご飯も特別に美味しかった。
これからも毎日は続く、こんな僕らを有難う。
【僕らの唄は何処かで】-fin-