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【ショートショート】失敗を知らない男

 クリニックの診察室は、いつも静かな緊張感と微かな希望が同居している。私は記憶削除の専門医として、訪れる人々が抱える痛みや苦しみを取り除き、新たな人生へと歩み出す手助けをしている。人の脳裏に宿る『忘れたい』思い出を消し去る――それはときに冷徹にも映るが、患者たちの安堵の表情を目の当たりにするたび、私はこの仕事に対する誇りを噛みしめずにはいられなかった。

 ある日のこと、いつものように診察室で書類を整理していると、見慣れた顔が扉を開けた。男の姿を認めた瞬間、私は過去の来院記録を頭の中で反芻する。男がこのクリニックを初めて訪れたのは、ちょうど一年前のことだった。男は近所の駅で歩きスマホをしていた際、足元の段差に気づかず、まるで舞台さながらに盛大に転倒してしまったという。散らばった荷物、こらえきれない周囲の笑い声、それら全てが男の心に深い屈辱を刻んだ。男は「駅を利用するたびに、その記憶が不意に蘇り、自分を責めずにはいられない」と漏らしていた。その苦悩があまりにも切実だったため、私は慎重に施術を行い、その恥ずかしい出来事を脳裏から消し去ったのだ。

 施術を終えた直後の男の表情は、まるで重い枷を解かれたかのように晴れやかだった。記憶を消してしまうと、何を忘れたかさえ分からなくなる。それでも本人にとって「苦しみから解放された」という感覚だけは確かな実感として残るらしく、男は感謝の言葉を述べて診察室を後にした。あのときの彼の足取りは、まるで生まれ変わったばかりの新生児のように軽く、そしてどこか危うげでもあった。

 しかし、それからというもの、男は定期的に私のもとを訪れるようになった。「仕事で大失敗をしてしまい、あの屈辱を忘れたい」「友人関係でひどい気まずさを味わい、思い出すたびに胸が苦しくなる」――彼が記憶削除を願う理由は、回を重ねるごとに様々だった。しかし、ある日、彼がまた「歩きスマホをして転倒した記憶を消してほしい」と言い出したとき、私は思わず「またですか?」と漏らしてしまった。男は不思議そうな顔をして首をかしげたが、私はとっさに「いえ、以前にも似た患者さんがいたものですからね」と曖昧に笑ってごまかした。彼のカルテには、はっきりと駅で転倒した記録が残っていたが、記憶を消された本人には、それが自分のことだと分かる術はないのだ。男はその後も、何度かに一度は「歩きスマホで大げさに転んでしまった」と告白し、同じ理由で記憶を消す施術を求めてきた。

 男が定期的にクリニックを訪れるうちに、私たちの距離はいつしか近づき、施術前後の雑談も増えていった。彼は私に、仕事の愚痴から日常の些細な幸せまで、軽妙な口調で語るようになった。私もまた、医師と患者という立場を忘れない程度に、世間話に応じるようになった。

 ある日のこと、男は待合室から診察室へ入るなり、上機嫌な表情でこう切り出したのだ。「先生、ちょっと面白い話を聞きましたよ。これは同僚から聞いた話なんですけどね。彼の妻が駅で目撃したらしいんですが、ちょっと前に歩きスマホをしていた男が大げさに転んだらしくって、それがものすごいこけっぷりだったらしいんですよ。で、その男、どうやら同じような失敗を何度も繰り返しているって話で……」男は、滑稽なエピソードを聞かされるたびに、まるでコメディでも見るような口ぶりで楽しげに笑っている。「そんなに何度も同じ失敗をするなんて、ちょっと信じられないですよね?」と問いかけられた私は、返す言葉を一瞬失った。

 ――男が見聞きしている「大げさに転ぶ男」は、まさに目の前にいる彼自身なのだ。しかし、記憶が削除されている彼には、それが自分自身の醜態であるとは知る由もない。何度も恥ずかしい記憶を消すうち、当の本人が、自分の転倒遍歴をまるごと忘れ去っているのである。私は苦笑いを浮かべながら、「そうですね、世の中にはいろんな人がいるものですね」と曖昧に相槌を打ち、話題を逸らすしかなかった。

 男は、相変わらず冗談めかして人づてに聞いた転倒話を面白がっている。「いつか自分の目で見てみたいですよ、そんな面白い現場」などと言いながら、また別の恥ずかしい失敗を消してほしいと頼むのだ。私は施術の準備をしながら、胸の奥にある矛盾を噛みしめる。彼が今まで消し去ってきた記憶は、まさに“その笑いの的”そのもの。もし彼が一度でも自分の失敗を覚えていたなら、その教訓を活かすこともできたのではないか――そんな思いが頭をよぎるのだ。

 記憶削除に携わる医師として、私は患者の望みをかなえるべく尽力するのが役目である。しかし、彼が同じ失敗を繰り返し、そのたびにクリニックへ駆け込む姿を見るにつれ、忘却が必ずしも救いになるわけではない、という疑念が大きくなっていく。ふと窓の外に目をやると、日常の喧騒の中で、誰かが転倒しそうになったのか、小さな笑い声がかすかに聞こえた。

 人は誰しも恥ずかしい失敗を抱えて生きている。だが、その失敗こそが、私たちに新たな学びをもたらし、未来への気づきを与えてくれるのだろう。記憶を消すことで一時的に安堵できたとしても、身に付けるべき反省と成長がなければ、同じ道を堂々巡りするだけかもしれない。男の姿を見つめながら、私は改めてそのことを痛感していた。


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