去年のいまごろ 【104/1096】
去年のいまごろを思い返す
日々思うことを
メモ書きの日記に残していた
毎日ではないけれど
その頃の自分の目を通した状況は
それほどズレなく思い出せる
去年のいまごろは今年のそれよりも
かなり忙しかった
仕事に家事 それ以外に自分のイベント
他にもクリスマスだの年末へ向けての
さまざまなことで
目の前のことをこなすことに
注力していた
きみの変化に気づけなかった
いや 気づいていたのだけど
それほどの深みを感じられてなかった
ともに病院にも行ったし
ともに暮らし様子はみていたよ
だけど
きみの深い悲しみと怒りに
絶望的な未来を描く脳みそを
わたしは理解できていなかった
前向きでいた
また冬をこせば
この寒い冬をこし
春が来ればきみは元気になるだろうと
信じていたの
よく見てなかった
わたしの落ち度だろう
自分ごととして熱量をもって
見てなかったのだろう
むしろ自分はそうではないから
選択肢としてきみの内情を
さっする能力がなかった
無能である
小さな訴えも小さな変化も
すべて受け入れて流してしまった
いまはそういうとき と
自分目線で捉えていたよ
わたしにとっての事実把握は
きみのそれとは真逆だったね
誰にもほんとうのことが言えず
誰にも自分のことをわかってもらえない
それはみんな普通のこと
大人になるとにそう思えることも
若者にとっては
新しくどこまでつづくかわからない
そういう闇のような思いだったんだね
悲しみや怒りが闇へ
ひとりでずっと考えていたのかい?
早熟だった
と専門家は言った
たしかにそういう面もある
未来や宇宙や5次元の世界を
イマジネーションでかけめぐる
生きる意味
そういうことを考えるのは
学問上ではもう少し先
なのだそうだ
学問上と臨床上のちがいをよく知る
専門家の先生のことば
そこにも経験と知識の宇宙があり
共感できることや
知らなかった情報もある
自分の宇宙とすり合わせ
きみのそれとを想像し
なるべく理解したいと
今更ながら思っていたよ
事実は好転しない
ときが経つに連れて
感情や記憶の前後関係も曖昧になる
あの頃を変わらず思い出せるのは
日記と写真だけだ
自分が書いたものと撮ったもの
自分の目線を通したものしかない
その偏りに不安をおぼえつつ
自分にとっての本当のことだと
信じてみようとも思う
なにが起きても反応はそれぞれ
自分なりの答えをさぐる
この日記も始まりのころとは
気持ちがかわってきている
人は変わる そのときどきで
自分の周りの人たちだって
かわっていくのだから
何が起こるかなんてわからないね
去年のいまごろ
あの日記を書いていた頃
いまの未来なんて微塵も想像していなかった
失うもの 新たな出会い
人生は生きすすめるたび
思いもよらないことがあるね
今日もありがとう
来年のいまごろも
つづけていますように