風評被害助長因子 漁業者救済が実は品質毀損に?!
“リスクの伝道師”SFSSの山崎です。本ブログではリスクコミュニケーション(リスコミ)のあり方について毎回議論をしておりますが、今回は福島原発から海洋放出が開始されたトリチウム処理水に関して、水産物への風評被害がどのような社会心理学的因子に基づいて起こるのかを考察したいと思います。まずは、以下の記事をご一読いただきたい:
漁師みんな泣いている 食の安全浸透したのに
東京新聞 TOKYO Web 2023年8月25日 06時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/272373
この記事を読んで、市民はどう感じるのだろうか。政府と東京電力が福島原発から処理水の海洋放出を開始したことで、せっかく2011年の原発事故以来、やっと食品安全が維持できるようになったのに、また「食の安全」に疑問符がつくことになったのか・・漁業者の皆さんは可哀そうになぁ、といった感じだろうか。
それだけならよいが、消費者は無意識のうちに「漁業者には申し訳ないが、うちの子供達には福島の水産物をあえて食べさせることはないなぁ」と思う方も多数出てくることは避けようがない事実だ。福島の復興のために、福島の水産物を食べようと思ってくれる方もいるだろうが、「あえて食べない」という消費者がじわじわと増えること、それが「風評被害」である。
上記の記事は、おそらく福島の漁業者を弱者救済するつもりで、処理水の海洋放出がSTOPされないかと思われたのだろうが、どう考えても処理水の海洋放出はこれから続くわけで、まったく救済にはなっていない。むしろ救済しようとした漁業者たちの商品(水産物)の品質毀損を起こす根本原因がこの記事であり、「メディアが風評被害を助長する」典型例となっているのである。
◎風評被害はメディアが起こすもの~「安全」「安心」の違いをリスクで考える~
SFSS理事長雑感 2021.04.20 *一部リンクが賞味期限切れです
https://nposfss.com/c-blog/chairman_202104-2/
上記のブログの通り、2年前にも風評被害の根本原因が政府の対策ではなく、メディアがどう報道するかに大きく依存していることを指摘したので、ご一読いただきたい。そこで今回は、さらに具体的に新聞社6大紙の処理水海洋放出開始翌日(8月25日)の朝刊記事について、以下の風評被害助長因子を含むかどうか集計し、該当する因子が多いほど風評被害を助長している可能性が高い記事と評価した:
①処理水海洋放出のリスクを過大視(科学的根拠なく安全性を疑問視)
②漁業者が風評被害を危惧(安全なら心配無用、自ら品質毀損)
③政府/東電への不信感を煽動(リスク管理者への不信➡不安助長)
④風評被害は政府の責任(実際はメディアが根本原因)
⑤処理水リスクを廃炉リスクにすり替え(海洋放出しても廃炉に出口なし?)
各紙処理水関連記事(2023.8.25朝刊)の風評被害助長因子 該当番号一覧表
6月25日の処理水関連記事を各紙より30ほどピックアップし、上記の風評被害助長因子を集計したわけだが、風評被害を助長していないと評価された記事(「該当なし」)が7件もあったことは朗報だ。とくに、科学的根拠に基づいて国際的にも安全性が検証されていることを中立的に伝えた、朝日新聞記事(記事ID:04)や毎日新聞記事(記事ID:22)はわかりやすい。また産経新聞の記事(記事ID:09)のように、福島の魚の安全性をまったく問題視せず、食べて応援したいとするものも、これなら福島の漁業者の皆さんの水産物の売上に貢献し、復興支援につながる記事と評価できるだろう。
その反面、上記の風評被害助長因子の中でもっともよく該当している ②漁業者が風評被害を危惧(安全なら心配無用、自ら品質毀損)、および④風評被害は政府の責任(実際はメディアが根本原因)については、メディアが無意識のうちに風評被害を助長しているケースになり、注意喚起をうながしたいところだ。
メディアの記者が漁業関係者に処理水海洋放出の取材をされる際に、最初から「風評被害が心配ですか?」(心配だと言ってくれたら記事になりますよ?!)、「処理水海洋放出に関して何か政府に対して言いたいことはありますか?」(政府の責任で風評被害を何とかしてほしい、と言ってくれたら記事になりますよ?!)というアプローチをしていないだろうか?「大手の新聞やテレビに出ますよ」と言われると、漁業関係者の皆さんも誘導尋問に引っかかっていないだろうか?
メディアが我々を助けてくれると思ったら、実際は自分たちの大切な商品(水産物)の品質を毀損する風評被害助長記事になっている可能性が高いことに気づいていただきたい。「処理水が海洋放出されても安全性に問題ないことは科学的に検証されているので、われわれの水産物の品質に関して自信をもっている。ぜひ福島のお魚をより多くの顧客に楽しんでもらいたい」とのメッセージを発したほうが、はるかに消費者の安心につながるはずだが・・消費者は生産者が不安を感じている商品を喜んで買うだろうか、答えはNOだ。
さすがに、新聞社として「①処理水海洋放出のリスクを過大視し、科学的根拠なく安全性を疑問視」したものはなく、「核汚染水の海洋放出から市民の健康を守る」といったほんの一部の国や政治家の声明を引用した記事が散見されたのみであったのは幸いである。
世界中の原発から海洋放出されるトリチウム処理水の安全性は指摘しないのに、なぜ福島原発の処理水だけは安全でない(許容できないリスク)と言えるのか。世界中の工場から河川に排出される廃液は環境基準値以下であれば許容するのに、福島原発から海洋放出される処理水が環境基準値以下の放射性物質にもかかわらず許容できないのか。科学的根拠をもってどう説明するのか?
ただ、いまだに放射性物質を含む廃液が海洋放出されたら、少量といえど被ばくするので健康によくないに決まっているじゃないか・・とのリスク誤認に陥ってしまう方もいると思うので、そのような方々は我々SFSSからのリスコミ情報を参考としていただきたい:
トリチウムそのもののリスク(生体影響)の大小については、SFSS主催にて開催した食のリスクコミュニケーション・フォーラム2023第2回(2023/6/25):『トリチウム処理水のリスコミのあり方』において、茨城大学の田内広先生がわかりやすく解説されているので、講演レジュメを以下でご参照いただきたい:
『トリチウムの生体影響について:科学的な視点から』
田内 広 (茨城大学理学部教授)
<田内先生講演レジュメ>
また、以下の筆者の過去ブログにおけるスマート・リスクコミュニケーションのQ&Aは、以下に再掲するので、トリチウム処理水のリスクについての理解を深めていただきたい:
◎福島原発のトリチウムを含む処理水~海洋放出のリスクはどの程度?~
SFSS理事長雑感[2020年10月25日日曜日]
https://nposfss.com/c-blog/tritium/
Q1:トリチウムが放射性物質である限り、大量に海洋投棄すると水産物などを介しての健康リスクが否定できないのでは?
A1:たしかにトリチウムが放射性物質である限り、トリチウムから放出される放射線(β線)により内部被ばくをすることの健康リスクは否定できません。プランクトンや水産物を介した食物連鎖により放射性物質が蓄積されると考えると、健康リスクを心配されることは十分理解できますし、リスクがゼロになることはないでしょう。しかし、放射性セシウム137と比較すると、トリチウムによる内部被ばく量は約700分の1と非常に弱く、許容範囲内の十分小さなリスクであると専門家は述べています。また、水産物へのトリチウムの蓄積の程度は、処理水の海洋放出後にモニタリングが可能ですので、継続的に監視することで解決する(検出される可能性はほぼない)と考えます。
Q2:トリチウムが放射性物質である限り、大量に海洋投棄するのは環境保全に反するのでは?
A2:たしかに環境保全NGOなども、トリチウム処理水の海洋放出に反対しており、環境への悪影響を懸念する声があるのは事実です。有毒な化学物質を大量に海洋投棄したことで、環境への甚大な悪影響をもたらした事件も過去に発生しており、環境リスクを慎重に評価する姿勢やSDGsを重視するのは国際的なコンセンサスでもあります。ただし、世界中の原発施設や核燃料再生施設においても、長年にわたって大量のトリチウム処理水が海洋放出されている中で、環境への悪影響が認められたという報告はないものと思います。もしトリチウム処理水の海洋放出と環境への悪影響の因果関係が科学的根拠をもって証明された場合には、当然環境保全のため、処理水の海洋放出を中止すべきでしょう。
Q3:政府/経産省がトリチウム処理水の海洋放出を決定するとのことですが、担当者はこの処理水を飲んでも平気なのでしょうか?
A3:担当者は、福島原発のトリチウム処理水を飲めないと思います。ALPS装置で大半の放射性物質は除去されていますが、トリチウムなどの放射性物質が残留しており、飲料水としては不適切です。処理水の海洋放出を許容範囲のリスクとしているのは、福島原発のタンクに溜められた大量の処理水でも、それよりはるかに大量の海水に希釈されるからです。トリチウムの濃度も海水に希釈されることでゼロと同じ(ごくごく微量)と考えてよいため、健康リスクも環境リスクも無視できると専門家は評価しています。
Q4:トリチウム水自体は問題ないものの、有機結合型のトリチウムが生体や水産物に蓄積することが問題だと聞きました。大丈夫なのでしょうか?
A4:おっしゃる通り、トリチウム水が生体内に取り込まれると約3~6%が有機結合型トリチウム(OBT:Organically bound tritium)に移行するとの報告があります。生物学的半減期もトリチウム水より長くなる(約10日間⇒約40日間~1年間)ようですので、その意味では確かに、より生体内に蓄積すると考えてよいでしょう。ただし、このOBTがどの程度蓄積したら、生体への悪影響が出る(たとえば発がんリスクが上昇など)かについては、とんでもなく大量の内部被ばくでない限り、自然からの内部被ばく以上の生態影響は起こらないとの実験データがあるとのことです(詳しくは、政府検討会での田内広先生の講演資料をご参照ください)。
Q5:ALPSでトリチウム以外の放射性物質は除去されたとのことですが、ストロンチウムなどすべての核種が完全に除去できていないと聞きました。大丈夫でしょうか?
A5:おっしゃるとおり、福島原発より回収した汚染水を多核種除去設備(ALPS)で浄化して、トリチウム以外の核種はほぼ除去できた状態でタンクに保管されているようですが、完全ではないようです。そのため、海洋放出という処分方法が決定されてから、約2年をかけてタンクに溜められている処理水に対して、ALPSによる再浄化や希釈をかけることで、確実に対象核種を基準値以下にして海洋放出に進む予定とのことです。ですので、海洋放出の段階ではトリチウム以外の核種に関する問題は解決するとのことです。
Q6:トリチウムの放射線は弱いとのことですが、どんなに低い放射線被ばく量でも発がんリスクはゼロにならない、すなわち「しきい値はない」と聞いたことがあります。本当に大丈夫でしょうか?
A6:おっしゃるとおり、どんなに低線量の放射線被ばくでも発がんリスクは無視できないという「直線しきい値無し仮説(Linear no-threshold hypothesis;LNT仮説)」という理論がありますので、トリチウムによる弱い放射線被ばくに関しても、できれば回避したいリスクだという考え方は理解できます。ただし、よく考えると我々は、自然界において大気中の水蒸気、雨水、海水、水道水にも含まれるトリチウムに常に被ばくしていると同時に、一般食品中の放射性カリウム(40K)なども含めて、年間2mSv程度の放射線被ばくを受けているので、そのようなバックグラウンド値に大きなバラツキがあると考えれば、ごくごく微量の海水由来のトリチウムによる内部被ばくを回避する必要性はないでしょう。
Q7:世界中の原発施設で海洋放出されているので問題ないとのことですが、実際にトリチウム処理水を海洋投棄した地域ではがん患者が多い、という疫学データがあると聞きました。本当なのでしょうか?
A7:トリチウム処理水の海洋放出をしている地域と海洋放出をまったくしていない地域で、がんの発症率を比較した場合に、明確にトリチウム処理水の年間放出量とがん発症率に因果関係があれば、それは大問題ですね。しかし、そのような疫学研究報告を我々は知りませんし、専門家の方々も現時点でトリチウム処理水の海洋放出量と地域住民のがん発症率に相関があったという信頼できる報告はないと評価しております。
もしそのような疫学データがあるとのことでしたら、本当にトリチウム処理水の年間海洋放出量と地域住民のがん発症率に明確な因果関係があったと、複数の根拠データをもって再現できているか(処理水放出量が2倍、4倍になると、がん発症率もパラレルに上昇しているか?)を、確認されたほうがよいと考えます。残念ですが、がん発症率の違う地域をあえてピックアップして、トリチウム処理水のせいでがんが増えた・・などと誤った結論を導かれる疫学論文もあるので要注意です。
SFSSで開発したスマート・リスクコミュニケーションのQ&Aは以上だが、ご覧いただいておわかりのとおり、一般市民が不安に思われる素朴なギモンのひとつひとつに寄り添って、専門家の科学的根拠に基づいた学術的説明を引用しながら、リスクの理解をうながしていく手法である。本リスコミ手法の目的は市民を説得することではなく、あくまでリスクをご理解いただくことなのだ。
あと処理水の海洋放出は、水産物を介して市民の放射線被ばくのリスクを高めるが、市民に対してのベネフィットが何もないから正当化できないとの議論があるようだが、これはリスクの観点から明らかに誤りである。トリチウム処理水の海洋放出の過程により、ALPS処理➡海水による希釈➡海洋放出による分散を経て、市民への健康リスクは限りなくゼロに近づき安全であるが、海洋放出をせず、汚染水のタンクを地上に大量に放置することの福島の地域市民への健康リスクは前者に比べてはるかに大きい。
このように、リスク管理手法を最終的に決定する際に考慮すべきリスクの基本的原理を「リスクのトレードオフ」という。海洋放出をする場合としない場合で、どちらが市民への健康リスクが大きいのかを科学的根拠に基づいて冷静に評価することが肝要だ。また、福島の復興という大きなベネフィットも考慮すると、処理水の海洋放出は十分正当化できるだろう。
以上、今回のブログでは、福島原発から海洋放出が始まったトリチウム処理水について、風評被害助長因子を解析し、メディア報道のあり方について考察するとともに、今回の処理水海洋放出に関するリスコミのありかたについて議論しました。
SFSSでは、食の安全・安心にかかわるリスクコミュニケーションのあり方を議論するイベントを継続的に開催しており、どなたでもご参加いただけます(非会員は有料です)。なお、当日ご欠席でも事前参加登録をしておけば、後日、参加登録者とSFSS会員限定のアーカイブ動画が視聴可能ですので、参加登録をご検討ください:
◎SFSS食のリスクコミュニケーション・フォーラム2023(4回シリーズ、ハイブリッド開催)
第4回 10月29日(日)テーマ: 健康食品のリスコミのあり方
https://nposfss.com/schedule/risk_com_2023/
第1回(4/23) テーマ: 食中毒微生物のリスコミのあり方 開催速報
https://nposfss.com/news/riscom2023_01/
第2回(6/25) テーマ: トリチウム処理水のリスコミのあり方 開催速報
https://nposfss.com/news/riscom2023_02/
第3回(8/27) テーマ: 食品添加物のリスコミのあり方 開催速報
https://nposfss.com/news/riscom2023_03/
◎SFSS食の安全と安心フォーラム第25回(7/23、ハイブリッド開催)開催速報
『食物アレルギーのリスク低減策について』
https://nposfss.com/news/sfss_forum25/
◎SFSS食の安全と安心フォーラム第24回(2/19、ハイブリッド)開催速報
『ヒトと地球の健康にどう取り組む?~食品の安全性/機能性/SDGs対応を議論する~』
https://nposfss.com/news/sfss_forum24/
【文責:山崎 毅 info@nposfss.com】