置かれた場所で/正しいことをしたければ(シェイクする)

集団を構成するひとりひとりはごく普通の(善)人なのに、集団としてはだんだん悪に近づいていくようなありようをいろんなスケールで目にしてきたし、そういう集団がいちばん怖い。

心から正しいと思うことをするために信念を持ち、全身全霊をかけて邁進した結果ファシズムに寄っていくような指導者がいちばん怖い。

「置かれた場所で咲きなさい」という言葉も「正しいことをしたければ偉くなれ」という言葉も、一面の真実と有効性とともに、いつの間にか悪に接続してしまう可能性を含んでいる。

必要なのは「シェイク」することだとアウトラインプロセッシングは教えてくれる。シェイクとはトップダウンとボトムアップをそれぞれの成果をフィードバックしつつ意図的に繰り返すこと。

他人や集団との関わりの中で自分のあり方をシェイクすることはとても難しくて、ぼく自身がそれをうまくやれているなどとはとても言えない。でも、シェイクの意識があるのとないのとでは確かに違いがあると思う。

ここでいうシェイクは、いろんな言葉で言い換えられる。たとえば倉下忠憲さんと共著させてもらった『Re:vision:タスクリストとアウトライン』での「Re:vision」もそうだし、東浩紀さんがいうところの「訂正」もそうだとぼくは解釈している。


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