piece 0:アウトライナーとデイリータスクリスト
二十年来のアウトライナーフリークとしてデイリータスクリストについて考えるときに抱く感覚。それは「デイリータスクリストは一日のアウトラインであり、アウトラインは文章のタスクリストである」というものだ。
その感覚は「未来は目指してみなければわからない」ことと関係している。
文章のアウトラインを作ることも、デイリータスクリストを作ることも、どちらもまだ訪れていない未来への道筋をあらかじめ描いておこうとするような行為だ。
「未来を予測できる」と思っている人はそんなにいないだろう。理想の未来へと至る道筋を思い描く。その道筋を辿っていけば理想の未来に到達できる。そう主張したら、それはあまりにも楽観的だと多くの人が言うのではないか。
けれどもぼくたちは平気でアウトラインを作ってその通りに文章が書けることを期待したりデイリータスクリストを作ってその通りに実行できると期待したりする。期待が裏切られて失望したりする。それは「未来を予測できる」と思うこととそんなに変わらない。
未来は思い描いた通りにはならない。だからといって未来を思い描くことに意味がないわけではない。むしろ思い描いた未来(それをvisionという)を目指し、そうはならない現実を取り込んで、未来とそこに至る道筋を修正していくことに意味がある。ぼくがアウトライン・プロセッシングから学んだのはそういうことだ。
大きく出たけれど、これからするのはアウトライナーとデイリータスクリストについての実用的な話だ。
文章を書くためのアウトライン・プロセッシングの技術と思考をデイリータスクリストに応用することによって、デイリータスクリストについてもアウトラインについてもより多くのことを理解できるはずだ。