共助の概念を見直す経験してきた話
初めてのメルボルンへの旅
初めての海外視察はオーストラリアのメルボルン。
日頃から日本の自治体を多く回らせてもらって、街の中を散策しますが、新たな視点も必要だろうと一念発起。行政のデジタル界隈では「ウェルビーイング」と言われ久しいですが、オーストラリアのメルボルンは日本のウェルビーイング指標を作成するにあたって参考にされた「リバビリティ・インジケーター」がある街。この環境を自分の目で確かめたかったのです。
ちなみに僕は全く英語が話せない。アイドントスピークイングリッシュ。
成田空港で出国ゲートを通るときはなまら緊張しまして。初めての海外に行った時よりはまだマシだったものの、それでも、「大丈夫かな」「なにかに引っかからないかな」「うまくいくかな」という思いが頭をよぎります。それでもまあ何とか通過しまして(何も悪いことしてないんだから当たり前)、搭乗、長時間フライトを経てやってきましたメルボルン。
しかし到着後くる最初の難関、入国手続きと税関手続き。案の定、何も読めないわからない。全く何をしていいかわからない...が、こんなことも想定してみてましたよYoutube。今の時代すごいですね。こちらのおかげでドキドキしながらもすんなり通過。
手続きを終え、空港を出た瞬間、日本と異なる風景と匂いを感じると「ついにここまで来たか」という謎の高揚感が押し寄せてきました。
メルボルンの風景と日本との違い
メルボルンを訪れたのは、9月。北海道では紅葉が始まり、少し残夏の名残を感じながらという状況でしたが、南半球に位置するオーストラリアでは初春にあたり、思いのほか寒い日々が続いていました。ナイロンジャケットを「念の為」持って行ったのですが正解でした、
街を歩くと、高層ビルや広い道路がある一方で、古い建物が並ぶエリア、というよりも新旧の建築物がシームレスに並び、その対比が独特でした。雑多な雰囲気を感じますが、日本のそれとは少し異なり、ある種の無秩序さが「この街らしさ」たらんことを示しているというか、とにかく初めて見る風景は日本国内でも海外でも刺激的です。
古い建物が保存され、新しい建物と共存している光景は、日本ではあまり見られない(少なくとも僕が歩いている限りでは)ので、この背景には、文化や歴史に対する価値観の違いがあるのかもしれないなあと感じる次第でした。
ウェルビーイングの街にて
前述の通り、メルボルンは「ウェルビーイングの街」として知られている。しかし、実際に街を歩いてみると、至るところに「バリア」があることに気づきます。
段差のある歩道やトラムの乗り場、高いカウンターの店舗など、これまで生活している日本の感覚だと、「ここはもう少し配慮があってもいいのでは?」と感じる場所が多い。
では、何がウェルビーイングなのか。その答えは、トラムに乗っているときに気づきました。
窓の外を眺めていると、トラムストップには、「手押し車」を押しながら歩いてくるおばあちゃん。このトラムすごい高さの段差があるけど大丈夫なのかな?運転手さんでもサポートにくるのかな?と眺めていたところ、なんとトラムにのっている元気いっぱいのお兄さんが、おばあちゃんの手押し車をヒョイっと持ち上げてあげたではないですか。
「えええええ!!」と驚いていたところ、今回の視察をアテンドしてくれた方が、ふと気がつき、「ね。すごいよね。メルボルンって」と言っていました。
いや、ほんと衝撃です。こいう言う光景って、もちろん日本でもみないかと言われたらそりゃあ見るんです。でも、その体のこなしというか、動きがより自然で。
一度こう言うのを目の当たりにすると、どんどん見えてきます。
誰かが立ち上がり、席を譲ったり、車椅子の方をこぞってもちあげていたり、それは義務感からではなく、ごく自然な行為として行われているようでした。特別に「助けなければならない」と意識しているわけではなく、街全体が「困っている人を助ける」そんな空気で包まれている感じ。
お店に入っても、「いらっしゃいませ」ではなく、「調子どう?元気?」みたいな声がけとか、当たり前のことなんでしょうが、こう言う小さなことの積み重ねが人との距離感を「いい感じ」に保っているのかもな。
共助の自然なかたちを考える
これ以外にも多く新しい視点を得ることができた今回のメルボルンでの体験。
この体験を通じて、「これが共助か」と感じられたと思っています
日本でもここ最近は「共助」という言葉をよく耳にします。
共助といってもいろんな形がありますし、たとえば町内会活動もそうだし、近隣の方々への声がけもそう。
でも、日本で今言われている「共助」はどこか制度めているというか、サービスとして設計しようとしているというか。
その結果、助ける側には「義務感」が生まれ、助けられる側には「遠慮」が漂う可能性も高い。
対してメルボルンでは、共助が文化として自然に存在している。困っている人を助けることが特別な行為ではなく、街の日常として溶け込んでいる。
ただこれはなにか懐かしい感じもするんです。そう、僕の小さなころ。昭和後期から平成超初期です。日本も、少なくとも森町の僕の住んでいた近隣では、同じような助け合いの匂いを感じていたと思い出します。
このような文化は、どこで無くなってしまい、そしてどうやったらまた作れるのか。街づくりや教育、そして人々の意識の違い。
日本の社会にも、こうした共助の自然な形を再度取り入れられたら、もっと暮らしやすい社会になるのではないのかな?
そんなことを考えさせられる、メルボルンの風景でした。
今度行く時はもう少し突っ込んだところを見てみたいと思いました。
なお、出国ゲートで僕だけ
「パァスポォート、プリーズ」
と言われたのはいい思い出です()
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