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急に 「”6つのC” で人生を豊かに」とか言い出した男の 現在・過去・未来

はじめに

先日、こんな記事を書きました。

「自分の考えがきれいにまとまった!」と思って書いたのですが、割と自分でやりがちだなと思うのは、「きれいにまとめようとしすぎてしまう」ということですね。

自分の体験とか、どういう思いがあるのか、感情の動きがどうなのか…etc.

そういうところを表現するのが超下手なのです。だから、コンセプトとしては悪くないと思うんですが、たぶんこのままだと広がらないよな、と感じております。

ということで、本稿では、なぜ上記の記事のような発想に至ったのか、というところを、私の「現在・過去・未来」という3つの視点から述べてみようと思います。

1.現在

※以下は2023年5月現在の情報に基づいています。

居住地 : 九州のとある田舎、山の中の小さな集落
家族 : 妻、息子2人、娘2人の6人家族
年齢 : 50歳
職業 : 居住している自治体の関連団体職員、「定住サポーター」として移住希望者へのサポート業務に従事(空き家バンクの運営など)

もともと空き家バンクを利用する側だった私は、今の居住地に移住したのちに、縁あって現在の職を得ました。約7年ほど今の仕事を続けています。

そして、現職は2024年3月末で雇用契約が終了する予定であり、そのあとは個人事業主として独立することを目指して準備中です。

独立するにあたって何をしていくのか、というところですが、いままでは「習慣化・目標達成コーチ」という肩書きで、主としてフリーランスや個人事業主といった方を対象としたコーチング、コンサルティング的な事業をやろうと考えていました。(別にやめたわけではありませんが。)

上記の事業をやろうと考えたのは、とあるオンラインサロン?スクール?的なもの(別に内緒にしなくてもいいかもしれないけど…)に入って学んできたことがベースにあります。

そのサロンでは、「見切り発車」でどんどん「挑戦」して、目の前で困ってる人を助けて「貢献」していくことで、自分が人の役に立てることを見つけていこう、そこから「自分が代わりにやりますよ=代行業」または「やり方を教えますよ=指導業」として個人でスモールビジネスにできるよ、というようなことを推奨していました。

そのサロンにはまだ籍を置いていますが、2年半ほどでしょうか、結構どっぷり浸かっていました。日常生活では出会えないような人たち、自由な働き方を目指してる、ある意味近い価値観を持った人たちと、いろいろなテーマで語り合ったり、お互いの活動について聞きあったり、悩みを聞いてアドバイスを送ったり、読書会をして1冊の本を読んでも多様な感じ方に触れたり…すごく刺激的でいろんなつながりを得ることができました。

現在の話に戻りますと、そのサロン(と呼ぶことにします)の主催者の方が、2023年に入ったあたりから、AIが急速に普及してきたことを受けて、「これからは「ビリーフガイドライン(文化的教義)」をベースにして教祖的に生きるべき!と言い出していて、それに触発される形で私も自分の「ビリーフ」を言語化してみよう、というところから「6つのC」というものが生まれてきた、というわけです。

「6つのC」が生まれるまでにもうひとつきっかけになったことがあります。それは別のオンライン講師コミュニティ(私の中での通称=「広場」)に参加し始めたことです。

実は、前述のサロンでの活動にのめりこみすぎたせいで、外の世界に出なくなってしまっていました。すごく居心地がよくて、すっかりそのサロンの中に閉じこもってしまうようになってしまったのです。ビジネスをこれから立ち上げていこうというときに、それが障害になっている感じがしてきました。

そこで、すこし活動の場所を変えてみようと思い、前述の「広場」に参加してみました。この「広場」では個人でオンラインをベースに講師活動をしている方とお話しする機会が多くあり、そこで感じたのは、みなさんとても生き生きとしていて元気がいいな!ということでした。

みなさん、それぞれのキャリアや経験から、「これが大事!」ということや、「これが楽しいよ!」ということを教えていて、講師同士で学びあい、高め合っている雰囲気があって、こういう活動を人生に取り入れると幸福感が上がりそうだなと感じました。

インターネット、SNS、AIなど、大きく社会が変わっていく節目にあって、このようにいろいろな場所で多様な人たちと関わることで、一人一人が自分の信じる価値観を発信して、交流していくことが重要だと気付きました。

それはビジネスとしてやってもいいし、趣味としてやってもいい。グラデーションはいろいろあっていい。しかし、そのような方向での「ウェルビーイングの追求」にしか人間が取り組む意味は残っていかないと思ったのです。

以上が急に 「”6つのC” で人生を豊かに」とか言い出した男の 現在地です。

2.過去

「九州の田舎に移住した」という話をしました。移住前は九州内のある街に住んでいたのですが、そもそもその街に住むことになったのは、そのとき勤務していた会社の転勤がきっかけでした。

その会社には30歳を過ぎた頃に中途入社で入りました。BtoBのメーカー系企業なので一般にはあまり名前は知られていませんが、一応東証一部上場企業です。

その会社では技術職として働き、製造設備の保守管理、設備の導入、新製品のスケールアップ検討などをやっていました。九州の事業所に行ってからは管理職も経験しました。

ちょうど九州に転勤になったのが40歳になる直前の時期でした。「40歳か…」といろいろ考えるようになり始めました。仕事上の責任もだんだん重くなってきます。でも職場が変わって不慣れなせいもあり、周りに助けられるばかり。これからちゃんとやっていけるだろうか…という不安もありました。

そして、九州にきてしばらく経って、第4子が誕生することになりました。今になってみると、自分にとってはこのことがすごく大きかったと思います。年齢的にみてこどもが生まれるのは、これが最後だとわかっていました。上の3人の子育ては妻にまかせっきりで、あまり関わることができていませんでした。もっとこどもを育てることに関わりたいな、という気持ちが大きくなりました。

一方、九州にきてからの仕事は、それなりにこなしてはいたのですが、だんだんと気持ちは重くなっていきました。工場は24時間稼働しており、何かトラブルが起こればすぐさま駆け付けなければなりません。でも自分が何か手を下すわけではないのです。管理者の責任としていかなければなりません。プライベートでも県外に出るときは会社に報告も必要でした。すごく息苦しさを感じました。

本社からは常にコストダウンのプレッシャーがかかります。限られた人員で様々な業務を回すのはとても大変で、忙しいときは深夜にまで及ぶ残業もありました。自分でコントロールできることが少なく、なんとか滞らないように仕事を次から次に回しているような感覚でした。

「あと20年、この会社で働けるだろうか…」だんだん疑問符が大きくなっていきました。経済的にはそこそこ安定していますが、このままだと体か心かどっちか病んでしまいそうだな…。実際、メンタルに不調をきたす人も何人か見ていました。先輩たちを見ていても、楽しそうに仕事をしている人が見当たらなかった。それも大きかったかなと思います。

結局転勤から3年ほど経って、その会社を退職しました。会社の仕事は自分じゃなくてもいい、こどもたちが小さいうちにもっと関わりたい、死ぬときに「あの時決断していれば…」と後悔したくない、そんな気持ちが決断を促しました。

そしていちばん大きかったのは、妻が後押ししてくれたことです。妻は生まれ育った県から出たことがなかったのですが、九州にきてからも少しずつ交流の輪を広げていました。子育てサークルでこどもたちを連れて山歩きをしたり、新しいこと(R.シュタイナーに関連する学び。これについてはまた別に書きたいと思います。)を学び始めたりしていました。このことも人生を思い切って転換することを後押ししたように思います。

会社を辞めて、次の仕事のことなど何も決まっていませんでしたが、自然の豊かな環境でこどもたちを育てよう!と移住先を探し始めました。週末ごとに不動産会社や自治体の空き家バンクなどを通じて物件を見て回り、最終的に、家族全員が「ここなら」と一致した今の家に引っ越すことを決めました。2015年の夏のことでした。

3.未来

2024年4月以降は個人事業主としてやっていこうと考えています。

やはり自分自身のバランスが取れて、豊かさを感じられる生活を送るためには、ある程度の時間的・経済的自由を獲得する必要があると思うからです。

過去に自分が経験した、会社員時代の何か重苦しい感じ、自分の人生をもっと自分が価値を感じることに費やしたいという思いを、まず自分が実践していきたいと思います。

そして、それを同じ価値観を共有できる人たちと一緒に広げていきたいです。

現実問題としては、自分と家族が困らないぐらいには稼がないといけませんから、それが自分にとってはまず最初にクリアしないといけない課題です。

そのためには、自分がどのような価値を提供できるのか、具体化していくことが必要なのですが、まずは自分の価値観である「6つのC」を発信して、共感してくださる方と数多くつながっていくことを重視して活動していこうと思っています。

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