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ホントとフェイクとSNS

できる限り、世の中のポジティヴな面を見て、おもしろく、たのしく、生きていけたらいいな、と思う。だけどSNSやメディアで最近の風潮を眺めていると、こんな風に感じることがある。

「これはかなり怖ろしい時代かもしれない」と。

なぜならSNSやメディアでは

・ホントのこと
・ホントっぽいけど違うこと
・ある人からみたらホントだけどよく知る人たちからすると違うこと
・いつの間にかホントになってしまってること
・ほとんどホントじゃないけどホントを少し混ぜてるようなこと
・あいつならホントだろうな、と思われてること

などがグチャグチャに混在していて・・・。

何がホントなのかわからないし、ホントの含有量もわからない。
「多くの人がホントと認識する」がホントの基準になってしまっている。

これって危うくないですか?

少し前までは「映像」「写真」「音声」が真実を記録した証拠や証明として一定の機能を果たしていた。今はもう何がホントで何がフェイクだか、皆目見当がつかない状態。これらはAIによってさらに加速するだろう。(プリンスっぽいAI画像、地球上から全部消えてしまえ!)

もし自分が何かのターゲットになってしまって、「いかにもホントっぽいネガティヴ情報」が拡散されてしまえば、「それはホントじゃない、真実とは違う」とどんなに大きな声を張り上げても、異常な情報の濁流に飲み込まれるだけだろう。

「もしそうなったら、どうやって身を守ればいいのか?」

いまのところ、僕はこたえを持ち合わせていない。

唯一僕にできることは、こうやって自分の分身をSNSに置き続けることだけだ。どんなことを感じ、どんなことを考え、どんなことを大切にしてきたか。ネガティヴな情報には「僕らしさ」で抵抗するしかない。

根拠はない。理由もない。なぜか、肌感覚として、そんな気がするのだ。

・フェイクなし、パフォーマンス医学。


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