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視る、とは? ②脳が視る

僕たち人間の「視る」という機能。

これは眼が「電磁波であり、粒子でもある光」をキャッチして起きる現象であることは『視る、とは? ①光あれ』で記述した。

厚手のアイマスクで目隠ししたら何も見えないのは、光が眼に到達しないから。かなり薄いハンカチで目隠ししても向こうがなんとなく透けてみえるのは、光が薄いハンカチを透過して目に到達するから。

真っ暗な部屋では何も見えないのは、光がないから。暗い夜に川の近くを飛ぶ蛍の光が視えるのは、発光による光が眼に届いているからだ。

光の正体は、電磁波の性質と、粒子の性質を併せ持つ、光子。

光子が眼球に届き、波として、粒子として、網膜に到達する。ここまでは「物理信号」として届く。

網膜には視細胞があり、視細胞では「物理信号」が「電気信号」に置き換わる。神経伝達は「電気信号」によって行われるから、視細胞は変換器ということになる。

視細胞で変換を終え電気信号となった情報は、視神経を通じて最終的には脳の後方にある「視覚野」に到達し、そこで情報処理され、視覚情報として認識される。

その情報処理のひとつが「色」である。

たとえば、網膜に飛び込んできた640~770nmの波長の波は、最終的に視覚野で「赤」として認識される。つまり「赤を視てるのは眼ではなく、脳が視ている」ということになる。眼は「色のついていない光の波動」を受け取っては、電気信号に変換している。

つまり僕たち人間は「色の無い光の世界」に生きていて、それぞれの脳で光の情報に「色」や「形」を与えているということになる。

「白い光」は、脳で白と認識される光の電磁波。
「真っ暗闇」は、光が無い時に脳が認識する黒い世界。
「赤いリンゴ」は、反射した光が眼に入り、電気信号に変換されて脳の視覚野に伝わり、認識された像。

なるべくシンプルに言葉を尽くすならば、そういうことになる。

僕たちは目の前の景色を「脳」で視ている。全てを含んだ本当の姿ではなく、「人間の脳がとらえて処理できる範囲で再構築した景色」を脳の中で認識している、と言えるかもしれない。

PS.眼にも、皮膚にも、身体にも危険である「紫外線」の手前、「紫」に脳で認識されるカバーの本を書きました。






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