何気ないキック
「どえらいものを観てしまった」
それが正直かつ率直な感想だ。
日本格闘技界の至宝である、吉成名高選手。
彼らのYou Tube、「なりなりチャンネル」で共演させていただいたご縁をきっかけに、日本格闘技の歴史をあっけなく塗り替え続ける「若き戦士」に注目するようになった。
サムネイルでは伝授、となってはいるが、
あくまでも僕が彼に伝えたのは、KOの解剖学的な原理原則である。
格闘技実践者としては、吉成名高選手に比べたら、僕なんてお話にならないレベルなので(比べる、自体がおこがましい)、あの吉成名高選手と対峙させてもらう、それだけでも「ありえない光栄」である。
その一方で、格闘技医学もまた、自ら身体を痛め、大きなリスクを負いながら、僕と一緒に『格闘技医学』を探求、実践、検証してきてくれたファイターたち、そして格闘技医学会のメンバーたちの集合知でもある。僕だけでつくったものじゃない。
だから、強さを共に追い求める過程で掴んだ「何か」が次世代に役立つならば、という想いから、共演のオファーを受けさせていただいた。
この時の数時間、吉成名高選手、石井一成選手という次世代の選手と交流できたことは、僕の中でも忘れられない記憶として刻まれ、何度もこの時のことを反芻しながら、そのあとの時間を過ごしている。
もしよかったら、この動画の2人の選手を視てほしい。
道を究めし若き王者が、さらに道を究めんとする真摯な様子が伝わってくると思う。
ある日、僕はTwitterに記した。
大谷翔平、井上尚弥、吉成名高。 日本が誇る世界戦士。いやもう、吉成選手とにかくすごいんです。キック、ムエタイの完成形。
実力と知名度は必ずしも一致するものではない。だが、吉成名高選手のアスリートとしてのパフォーマンスの高さは圧倒的だ。
なんせムエタイの殿堂、ラジャダムナンとルンピニーの統一王者である。これ、無理矢理例えるならば、大相撲と相撲世界大会、両方優勝、みたいなものだろうか。
そしてついに吉成名高選手の地元、横須賀での試合をライヴで体験する機会をいただいた。
糸井さんと一緒にムエタイを視たんだけど、どの試合も、勝者も敗者も含めて、それぞれの「人と背景」が反映されているような気がして、なんかそれが勉強になった。僕自身、選手やチームの視えない部分を以前よりもずっと感じられるようになっていたのに気がついた。
レベルが上がるほど、見えない部分での攻防が凄い。
そして、吉成名高選手の試合。
神聖なるワイクーの儀式からも、彼のムエタイに対する真摯さが伝わってくる。
そして試合開始からわずか48秒。
倒すつもりでもなく、効かせるつもりでもなく、ダメージを与えるつもりでもなく、どうみても「何気なく」放ったミドルキック。
これで相手の肘が折れてしまい、動けなくなって劇的KO勝利となったのだ。
「え”ーーーーーーーーー」
会場はポカーンとしてその光景をみていた。これは吉成選手自身、予想もしていない劇的な結末だったようだ。
終わってから吉成名高選手ご本人も話していたが、
本当に「何気ないキック」だったそうだ。
なんか、「このレベルなると、あまりにも何気ないんだ」ってことがわかった。
倒してやろう、とか
効かせてやろう、とか
止めてやろう、とか
折ってやろう、とか
見せつけてやろう、とか
ここでポイント稼ごうとか
そういった思念が一切感じられない。
虎が獲物を前足でサッと抑えるときのような、
何の気負いも、迷いもない、造作もない一撃。
だがそれは「テキトー」とは全く違う次元のものだ。
数え切れない修羅場を乗り越え、何万回、何十万回の回数を重ね、「このタイミング、この距離、この角度、このリズムなら、これしかない」という圧倒的な必然性の上で選択されたシンプルなミドルキック。
「神技とはこういうものだ」
どえらいもの、の正体は、格闘技の神だったのかもしれない。
僕自身、これからのものの見方まで大きく変わりそうな、そんな予感さえする1日だった。
吉成名高選手、糸井さん、選手のみなさま、大会関係者のみなさま、貴重な経験をさせていただき、心より感謝申し上げます。