カッコ悪い大人にならないために
「客観視が大切」とよく言われる。
「私はこれがいい」と思っていても、相手からみたら全然よくなかったり。周囲からみたら実はすごく迷惑だったり。おもしろい、と思ってやってみたらほぼ無反応で静まり返ったり(これキツい)
客観視できなかった、あるいは、上手くいかなかった経験豊富な僕としては、さまざなまズレ、ネジれ、勘違い、すれ違いを経験してきた。とくにカラテの試合で何度も「手痛い体験」をしてきている。
「ここ攻めたら勝てる!」
と前に出て相手にパンチのラッシュを仕掛けたところ、実はその体勢が、相手にカウンターのチャンスを与えてしまっていて。優勢に試合を進めていたにもかかわらず、逆転負けしたことが数回ある。
数回、ということは気づいていなかったのだ。でもその原因を自覚できるまでに数年かかった。
このあたりの話は、糸井重里さん、高阪剛さんが鼎談で引き出してくださっている。
こっちのベストが、対戦相手にとってのチャンスだった。
その結果、ベストがワーストに一瞬で変わってしまった。
試合はそういうこともリアルに経験させてくれるんだけど、僕は(KOで脳細胞を死滅させながら)身をもって知ることになった。で、そんな経験豊富な?僕だから伝えられることを見つけた。
それは「客観視は大切 」以上に「客観視は難しい」だ。
どんなに「客観視しよう」とも、それは自分の脳で行うことになる。そこには意思が働くから、どうしても自意識が邪魔してくる。だから「自分の脳で本当に客観的に自分を俯瞰できるのか?」ついては、僕はわりと懐疑的である。
そもそも人は人の顔をみることはできない。耳も、首も、顎も、背中もみることはできない。鏡や写真、水など、光の反射やグッズを通じてしか、自分の姿を知ることはできない。「他人」はあんなによく見えるのに、「自分」の全体像を直接視野に収めることなく、人は一生を過ごしてしまう。
「客観視は難しい」この前提に立つ僕は「他者の脳」を拝借する。
「オレはこれでいいと思ってるんだけど、どう見える?」
「不快に感じる部分、感情を逆なですることはないかな?」
「方向性を間違ってたら、遠慮なく教えて」
何人かの親しい友たちに、これをお願いすることがある。みんな真っ直ぐに景色を伝えてくれる。おかげで僕は複眼視?の恩恵を享受できる。
最近、いろんな界隈の闇が白日の下にさらされている。そのたびに「誰かホントのことを言う人は周りにいなかったのか?」と思ってしまう。でもホントのことを言ってくれる人を排除してきた結果なのだろう。
「客観視は難しい」
ときどきノートや紙に書いて自分に読ませたい。そしてホントのことを言ってくれる友を大切にしたい。カッコ悪い大人にならないために。
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