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『伝えるための準備学』をありがとう。

「強くなりたい」

1月早生まれで、同級生の中では小さな身体。しかも病弱で、運動音痴だった僕は、そんな想いをずっと抱いてきた。

思春期も近づいた男子にとって「フィジカルが強い」「運動ができる」というのはリアルに大きなウエイトを占める。

「あいつケンカ強えーしな」
「ホントは嫌だけど、従うしかないか」
「また補欠の補欠かよ」

閉じたコミュニティ内での見えないヒエラルキーの中、いつも誰かに気を遣わなければならない。僕にはそれが辛かった。あるべき自由が不当に損なわれている、そんな気がした。

だからといって、ひっくり返す気概も、抜け出す勇気もなかった。いつしかストレスのベクトルは内側に、内側に向かっていく。

「弱いままの自分が許せない」

だが小5になって、転機が訪れた。

時はプロレスブーム最高潮。毎週ゴールデンタイムに地上波で放映され、誰もがスターレスラーの顔と名前を知っていた時代。あるクラスメイトがこんな話をしていた。

「長州力は強い。あのアンドレをボディースラムで投げたんだ」

アンドレ・ザ・ジャイアント。人間山脈の異名の通り、身長223cm、体重236kgという規格外のフィジカル。あまりに強すぎて「トレーニングは散歩だけ」という噂も飛び交っていた。

そんなアンドレを身長184cm、体重120kgの男が投げ飛ばした。体重差は116kg。想像してほしい、2倍の体重の巨人を投げ飛ばす場面を。一歩間違えば、大怪我につながりかねない。



革命戦士、長州力。

このフレーズが10代の僕に真っ直ぐ刺さった。

アントニオ猪木、藤波辰巳といった正統派スターレスラーたちに反旗を翻し、全てを相手にぶつけていく武骨なスタイルに僕は熱狂した。

「強くなりたい」

腹の奥底でフツフツと沸いていた僕の願いは、長州力というTV画面の中のリアル・ヒーローにリンクした。

あの頃の僕は少しでも近づきたくて、リキラリアート、サソリ固め、タッグマッチでの太鼓の乱れ打ち、(長州力の器用さを証明する)スモールパッケージホールドまで、ありとあらゆる真似した。(付き合ってくれた弟と友達には感謝しかない)

お小遣いを貯めて『必殺ラリアット宣言』という書籍も買ってボロボロになるまで何度も読んだし、入場テーマ曲のレコードも買った。

長州がやってるというスクワット、レスラー式の腕立て伏せ、ブリッジをやると、少しずつ筋肉もついてきた。

影響はジャンルを超える。

歴史の授業では、吉田松陰、高杉晋作、木戸孝允ら長州藩の贔屓だし、「男性でロン毛はカッコいい、シューズは白」も刷り込まれたし、洋楽の「プリンス&ザ・レヴォリューション」のレヴォリューションという言葉にもビビッドに反応することになった。

そして何よりも、「強さとはなにか?」という命題を僕なりに追求している原点に影響している。

革命戦士・長州力

このコンセプトを言葉として創造し、僕らに輸出し続けてくれたのが、あの古館伊知郎さんだ。

おもえば、古舘さんこそ「言葉の革命戦士」だった。

古館さんは長州、マサ齋藤ら、維新軍団が繰り出すバックドロップを「捻りを加えたバックドロップ」と称した。

なんと技の名前に「技のレシピ」が入っている。これはいまだに斬新だ。通常なら「変則バックドロップ」、あるいは「変形バックドロップ」と言ってしまうところ、ひねりを加えた、で、その「行程」が気になるし、「じゃあ加えてないのはどんなの?」と次々に想像が想像を導いていく。

ちなみに「捻りを加えたバックドロップ」は、長州たちが他団体・全日本プロレスに主戦場を移したときには、他局のアナウンサーにより「垂直落下式バックドロップ」に改名されている。

「捻りを加えたバックドロップ」、これは長州力というレスラーはもちろん、新日本プロレスの大河の中で必然的に生み出された古舘さんのオリジナルであり、古館さんが発するから響いた呼称なのだと思う。

今でも鮮明に覚えているのは、長州力のライバルにして、正統派レスラー・藤波辰巳が長州の得意技、サソリ固めを長州にかけた時のことだ。

古館さんはこう叫んだ。

「掟破りの逆サソリ!」

藤波辰巳という正統がいたからこそ、長州という異端も光を放つことができた。それまでの2人のヒストリーをギュッと凝縮したような名前。藤波が長州を認め、あえて長州の得意技を本家にしかける、まるで映画のクライマックスのような高揚感が「掟破りの逆サソリ!」に封じ込められている。


大元の名前は「スコーピオン・デスロック」だが、「誰がその技をやるか?」で技の名前がダイナミックに変化していく。これはある種のイノベーションと言っていいだろう。

 プロレスの長州力、というテーマに限っても、次々といろんな記憶が甦ってくる。古館伊知郎さんが、昭和、平成、令和と我が国の全世代に与え続けてきた影響については語り尽くせないが、いわゆるアナウンサーという概念を完全に覆し、「言語」という切れ味鋭い武器を自由自在に駆使しながら、日本のカルチャーを担ってきた重要人物であることは間違いない。

そんな古館伊知郎さんの、新刊『伝えるための準備学』が出版された。それも、僕が個人的にも大変お世話になっている、田中泰延さんが設立された出版社、ひろのぶと株式会社からだ。

もうね、

「企画してくださり、制作してくださり、世に出してくださり、本当にありがとうございます。」

これが偽らざる僕の心境だ。

発表があったその日に、僕は迷わずアマゾンで予約したのだが、なんとご献本をいただいてしまった。僕は好きな本はボロボロになるまで読んで、2冊目、3冊目を購入して友人や家族にもプレゼントするタイプなので、同書が今、自室に複数あることが、なんだかとても嬉しい。

そして、ひろのぶと株式会社から発表される、というのが嬉しさに拍車をかけている。

田中泰延さんは、旧態依然とした出版の常識を刷新すべく、「累進印税」を掲げて起業された。田中泰延さんご自身が文章と格闘しながらやってこられた方だから。文章に向き合う本気の人たちを実際に支援しながら、「ひろのぶと株式会社」らしさ溢れるタイトルを次々とヒットさせている。

もうおわかりだろう。古舘さんのフレーズを勝手に拝借するならば、

田中泰延さんは、「出版界の革命戦士」なのだ。

ヒロノブ・ラリアートが火を噴く瞬間を見逃してはならない。

田中泰延さんは、著者としてはもちろん、ビジネスパーソンとしても、インフルエンサーとしても凄い人なのに、いつも等身大で、場を楽しく、面白くしてくれる。僕しか読んでいないメッセージのやりとりにも、「笑い」をそっと置いてくれる方だ。「大人が憧れる大人」で、もちろん僕も憧れている。

早速、出版記念イベントがあるとのことで、チケット予約争奪戦の中、超ラッキーなことに僕は2席を予約できた。

予約が確定してすぐ、北九州にひとり暮らしをしている母にLINEした。母は昔から古館伊知郎さんのファンで、古館伊知郎さんと糸井重里さんの『ほぼ日の學校』での対談も熱心に聴いたりしている。

「イベントに行きます。生き甲斐をくれてありがとう」

という返信が来た。今週末、母が北九州からくることになった。

古館さん、田中泰延さん、廣瀬さん、加納さん、上田豪さんはじめ、『ひろのぶと株式会社』と関係のみなさん、本屋B&Bさん、そして『伝えるための準備学』のおかげで、僕は母に「希望」をプレゼントできる。

「熟読」はこれから、だけど、その前にトークライヴを全身で浴びてみるのもいいかも知れない。(レビューは次の機会に)

ひとつの書籍が、時空を超えていろんなピースをつないでくれる。

それが嬉しくて、ありがたくて、思いつくままに文章にしてみました。ここまで、長文を読んでくださり、ありがとうございます。 二重作拓也



















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