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歳をとるのが怖いんですけど

29歳から30歳になるとき、僕は怖かった。
39歳から40歳になるとき、僕は相当怖かった。
49歳から50歳になるとき、僕は怖すぎて逃げ出したくなった。

でも、その日はやってきた、情け容赦なく。

「年齢といえど、数字に過ぎない。数字にビビっててもしょうがない」
と書くのは簡単だけど(強がるのもね)、僕は怖かったんだ。

もう20代のようにはジャンプできない。
もう30代のようには走り回れない。
もう40代のようには飛び回れない。

 それまでできていたことが、経年変化によってできなくなる。試合にしても、セミナーやツアーにしても、身体を使って何かを伝えてきた僕にとって、「できなくなる」プレッシャーは重かった。

 困り果てた僕は、「年齢について」調べることにした。各年代には各年代の強みがあるはずだ、と信じて。これは理系の性だろうか、経験則だけではなく、医科学的背景を伴った情報を探し求めた。

遂に見つけた。

 マサチューセッツ工科大学の認知科学研究者、ジョシュア・ハーツホーン氏らのチームが10歳から90歳まで数千人を対象として調査した、【年齢と知性の関係】が見つかったのだ。(こういう研究って有り難い)

その結果がこちらだ。

・総合的な情報処理能力と記憶力:18歳前後
・新しい名前を覚える能力:20代前半
・新しい顔を認識する能力:32歳前後
・集中力:43歳前後
・他人の感情を読み取る能力:48歳前後
・基本的な計算能力:50歳前後
・新しい情報を学び、理解する能力:50歳前後
・語彙力:60代後半から70代初め

詳しくは以下のリンク、『好例化社会』にも記してあるけれど、これは多くのみなさんに共有したい、と思った。


 各年代でピークになる能力がそれぞれある。なんとなくそうだろうな、と思っていたことが「科学の言葉」で書かれていた。誰か特殊な人の特別な例ではなくて、人間ってそういう存在なんだ、と教えてもらえた気がした。

同時に、過去に囚われていた自分にも気づいた。過去を大切にし過ぎると、それまでの延長でこれからを過ごしてしまうことになる。

来るべき年齢を"Well" "Come"するには、"Well" "Know"が必要だった。
これを知ってから、僕は僕の50代を定義し直した。

50代=ミドルエイジ、これが僕のmy定義だ。
ここは極めて重要で、おじさんでも、オッサンでもなく(イコールで結んだら最後だよ)、50代=ミドルエイジ、つまり世代の真ん中に位置する人。

先輩たちから受け継いだ叡智を、経験を、真実を、時代との並走感と共に受け止めつつ、よいものは継承し、そうでないものは外して、次世代が手に取りやすい形にしていくこと。

これがミドルエイジに課せられたミッションなのだ。

 たとえば、インターネットがある時代だけしか知らなければ、「インターネットが無かった時代にはできなかったこと」を想像することは難しい。その地点から現在を見直せば、「こんなことができる」を自ら見つけ、伝えることができる。

 ボクシングを超えたところでも戦い続けたから、モハメド・アリが尊敬されていることを伝えられる。人種差別と戦い、戦争とも戦ってきた、真のファイターがアリだ。彼にとってのリングは地球、対戦相手は時代だったんだ。

 羽生結弦選手がプリンスの楽曲を使って演技してくれたとき、プリンスファンがどれだけ救われたかを、リアルタイマーとしての実感と共に伝えられる。プリンスの楽曲でパフォームするのがどれだけ難しいことか!(彼の楽曲をカバーし切れない例、たくさん知ってる。身体性が追いつかないから「ほとんど別の曲」になっちゃう)

などなど、

次世代にブリッジを架ける。
これってもしかしたら、やりがいのあることじゃないか?

せっかくのミドルエイジだ。

僕が40代だった頃にはできなかったこと、
僕が60代になった頃にはできないこと。

今にフォーカスすれば、それらが見つかるかもしれない。

脳は面白いもので、ディレクションが定まると身体までそっちの方向に引っ張ってくれる。

じゃあ、あの天才たちはこの年代をどのようにとらえていたのか?
僕の興味は増していった。(20代の頃には考えもしなかったことだよね)

デヴィッド・ボウイはこのように語っている。

さすが、ボウイである。禅僧のようだ。

そうか、僕はここまで辿り着いたんだ。
志半ばで、辿り着けなかった同級生たちもいる。

年齢を重ねたことを、大いに喜ばなきゃいけないな。
うん、喜ぼう、今日が来たことを。ボウイのように喜ぼう。

では、プリンスはどうだっただろう?

 52歳のプリンスが放った楽曲"Laydown"では、自分のことを「パープルヨーダ」と称している。

「お前が学んだことを次に伝えろ。強さ、熟練の技だけでなく、弱さや愚かさ、失敗も。失敗こそ偉大な師なのだ」(ヨーダ)

 ヨーダのモデルは、大思想家・老子だと言われている。柔道、茶道、空手道、弓道、と道のつく文化のオリジナルは老子だ。劇中のヨーダも、音楽中のプリンスも、それを「やってみせて」くれている。「パープルヨーダ」と名づけて、自分を方向づけていく技は、いかにもプリンスらしい。

 ボウイも、プリンスも特別な才能だけど、人間らしい特性の上にアートを構築していったことがわかる。

 年齢の壁を目の前に、うろたえる僕のような人たちもいるかもしれない。
どうすればいいのか、僕はこたえをもっていないけれど。これからも試行錯誤を続けていくつもりだ、今をたのしみながら。

・僕が50年間、気づかなかったことのまとめでもあります。


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