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負けの重さは人数分

目の前の対戦相手とさえ戦っていないーーーこの状況ってある意味最強だと思う。

あれは極真カラテの福島県大会に初めて出場したときのこと。所属の渋谷道場から僕を含めた4人が各階級に出場した。この4人を含む僕らのチームは練習中、いつも「負けねーぞ」と競い合って、でも練習が終わったらみんなで揃って食事に行って(大学生の分は僕ら社会人が払ったり)。

そんな感じで非常に仲の良い集団だった。

みんなで遠征した福島県大会、初戦は軽量級の僕からだった。
動きはそんなによくなかったけど、不遜にも「1回戦がウォーミングアップ」と決めてかかっていた僕は本戦で、つまり延長戦には行かずに勝利した。

僕が勝つと、チームの雰囲気が明らかに変化した。

「フタさんが勝ったから、僕も負けられない」

そんなことを口々に言い出して、「対戦相手に勝つ」ではなく「結果で二重作に負けない」がテーマになってしまった。

で、3人ともしっかり勝った!強いそ、みんな!
嬉しい、嬉しい!やったぜ!!

と思いっきり喜んだのも一瞬のことで、今度は僕にプレッシャーがズシリとのしかかる。

「僕が負けたらこいつらも負ける」

真剣勝負にそんな思念は邪魔なのかもしれないけど、背負えばそれはパワーに変わる。負けの重さは人数分だ。

こうなるともはや「対戦相手に勝ちたい」という気持ちが小さくなる。アウト・オブ・眼中。速く動いて、的確に動いて、最後まで動いて。苦しい場面でも「ここで(気持ちが)引いたらアイツらに申し訳ない」の気持ちがグワンと出てくる。

その試合も勝ったら、みんながこう言い出した。

「フタさん、なんで勝つんですかー!僕も勝たなきゃいけないじゃないですかー(笑)」

「負けたらオレのせいにするだろ?そうはさせねーぞ(笑)」

こういうときのために使うのだ、ドヤ顔は。とまあ、そんな感じで、4人中1人は途中で負けてしまったけど、3人が決勝に上がり、1人が軽量級優勝、1人が中量級優勝、もうひとりが中量級準優勝、という(勝つために練習してきたとはいえ)予想以上の結果になった。

いちばん最初に負けた仲間は、試合中

「いいなぁ、決勝上がりたかったー」

とガチで羨ましがりながら、僕ら3人のサポートに徹してくれたのだが(ありがとう)、彼はその後メキメキと強くなり全日本常連選手になった。


僕は、つい目の前のことに囚われていまう。真剣勝負の対戦相手、ということになれば「まさに目の前のこと」でもあるんだけど、「それ以上の何か」に向かうことで相対化できることを学んだ。20代のうちに経験できたことは、僕の中では貴重な財産だ。

あれからずいぶん時間が経ったはずだけど、あのときの感覚は昨日のことのように僕の中にある。そしていまは、

「オレが折れたら、お前らも心が折れるだろ?そうはさせねーぞ。」

と、あの時のセリフをまた周りに言ってみたくて、いろいろやってるような気がするんだ。

・僕が負けても、勝ってほしい。




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