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プリンス・コード04 ”Hello,Uptown&Welcome” 

1987年5月8日。

プリンスはスウェーデンの首都・ストックホルムから『サイン・☮・ザ・タイムズ・ツアー』スタートします。

 当時のプリンスはヨーロッパでの人気が急速に高まっていった時期で、同年3月30日に発売された2枚組アルバム『サイン・☮・ザ・タイムズ』はスイスで1位、オランダで2位、ノルウェーで3位、上位にランクイン。

 映画『パープル・レイン』の印象も強いアメリカでは「ロックスター」「ヒットメーカー」と認識されていましたが、1986年の『パレード・ツアー』がone-offではない初のヨーロッパツアーとなったプリンスは、新しい領域を開拓する「アーティスト」として支持を拡大していました。

 『パレード・ツアー』までのバックバンド、ザ・レヴォリューションを解散したプリンスは、ジャズ、ファンク、ソウルに長けたメンバーで新しいバンド編成で『サイン・☮・ザ・タイムズ・ツアー』に挑みます。

 あらゆるジャンルにまたがるプリンスの楽曲群を完璧なまでに「プリンス印のサウンド」に変換するバンドの圧倒的演奏能力。1曲、1曲全く違う顔を見せる一切の無駄のないパフォーマンス。音楽、ダンス、演劇の境界のないステージング・・・。

 ツアーごとにコンセプトを変えてくるプリンスですから「どのツアーがベスト」なんてことは安易には言えないのですが、『サイン・☮・ザ・タイムズ・ツアー』は29歳のプリンスが天才ぶりを縦横無尽に発揮したツアーである、とは言えるのではないでしょうか?

 同ツアーの盛り上がりは凄まじく、ヨーロッパ各地で軒並みソールドアウトになります。

 しかし不運なことに、1987年のこの時期、ヨーロッパ全土は悪天候に見舞われます。大気汚染による「酸性雨」が大きな社会問題となっていた時期で、野外スタジアムがメイン会場となっていたプリンスも、ツアーの終盤の日程のキャンセルを余儀なくされました。


しかーし。

逆境を創造に変えてしまうのが、プリンスという人の面白さ。

なんと彼は「ライヴの映画化」を決定します。ステージに大掛かりな映画撮影機材をセッティングし、3つのカメラを同時に回して膨大なフィルム量でオランダのロッテルダム公演、およびベルギーのアントワープ公演を記録します。

それからミネアポリスに戻り、ペイズリーパーク・スタジオでライヴを再び撮影。これに曲間の寸劇と、パリで撮影されたシングル"U Got The Look”のミュージック・ビデオを組み合わせて、映画『サイン・☮・ザ・タイムズ』を完成させます。

 監督はプリンス自身が務めていますので、「この場面ではこのように視てほしい」「このシーンの見どころはこのアングル」などのプリンスの意図と、実際のカメラワークがかなりのレベルで一致していると思われ、プリンスの数ある映像作品の中でもトップクラスの完成度を誇る作品です。

映画『サイン・☮・ザ・タイムズ』は1987年の11月20日にアメリカで公開され「MTVベストステージパフォーマンス賞」「ミネソタ音楽賞」などを受賞します。1989年2月25日には日本でも劇場公開されており、同年同月にプリンスが『LOVESEXYツアー』で2度目の来日を果たした際に、以下の2種類の告知が配布されました。


映画『サイン・☮・ザ・タイムズ』
1曲目が始まるイントロで、プリンスは”Uptown”

そして1曲めがおわり2曲めへのブリッジでも

”Hello Uptown, & Welcome!” (ハロー、アップタウン。ようこそ!)


と呼びかけます。どちらも映画上、ライヴの進行上、スルーしても何の問題もない部分でありますが・・・。プリンスをずっと聴き倒してきた人たちにとって、”Uptown”は引っかかるフレーズでもあるのです。

「アップタウン?」
「今、アップタウンって言った??」

思わず僕もそのように反応してしまいました。

なぜならプリンスは1980年に”Uptown”という楽曲を発表しているからです。

As soon as we got there good times were rolling
White, Black, Puerto Rican, everybody just a-freakin'
Good times were rolling

オレたちがそこに着くと、いい時間が流れだした。
ホワイトも、ブラックも、プエルトリカンも、
みんなとても楽しんだ。


プリンスは歌っています。

人種や出身に関係ない場所、心を自由にできる場所、自分たちがやりたいことをやれる場所、プリンス自身が行ってみたい場所、それがアップタウンなのだ、と。

自身の理想を"Uptown"という街に込めたわけです。

と、ここで、あらためて”Uptown”の公式映像をみてみると・・・・・。

この映像、ステージからのカメラでオーディエンスが映るシーンがとても多いのです。そして映り込む人種、性別、ファッション、属性がバラバラなんですね。

まさにプリンスの考えるUptownそのもの。

ここでひとつの疑問が浮かんできます。

Q:1980年当時からプリンスの支持層も多様性に満ちていたのでしょうか?


こたえは「NO」です。バンドメンバーによると、1980年頃のプリンスのファンはほとんどがブラックであり、ライヴ会場にホワイトのオーディエンスがやってくるようになったのは、1982年に「リトル・レッド・コルベット」がヒットしてからだった、と。

 実際、チャートアクションを見ても、"Uptown"はソウルで5位、ダンスチャートでも5位をマークしているのに、総合チャートでは100位以内にも入っていません。また”Uptown”の映像はロサンゼルスにある「Stage9」というスタジオで撮影されていますので、オーディエンスはエキストラである可能性は高いと思います。

 これらのことから"Uptown"の映像は「プリンスの理想の映像化」であり、同時に「未来予想映像」であることがわかります。実際、プリンスはキャリアの中で「作品の中に未来を創造し、現実を追いかけさせる」そのようなアファメーションを何度も何度も見せてくれますが、”Uptown”はその先駆けじゃないかな、と。

"Uptown"という起点から、その後のプリンスの孤軍奮闘に想いを馳せると、映画『サイン・☮・ザ・タイムズ』は、遂にプリンスの音楽が文化や人種を超越したことを、数年の歳月を経てステージが”Uptown”になったことを、ミネアポリスで生まれたプリンスのファンクが海を超えてヨーロッパを揺らす様子を刻印した映画に思えてくるのです。

プリンスは公演地を呼ぶのではなく、

”Uptown”
”Hello Uptown, & Welcome!” (ハロー、アップタウン。ようこそ!)

というシンプルなフレーズで、
わかる人にだけに暗に知らせてくれています。


「ほら、理想が現実になったよ」、と。


やってみせてくれるヒーロー、それがプリンスです。


PS1: プリンスについての記録。

PS2: プリンス・コード Partymind channel


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