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視る‐06 顔認識と表情筋群

 東京ドームに集まった人の群れの中で同級生を見つけるとか、旅先でたまたまお世話になった先輩に出くわすとか、どう考えても偶然としか思えないような超低確率な出来事を経験することがあります。

 これは人間が得意な「顔認識」のなせる技です。

 私たちは5人の顔写真、5枚の中から、自分の家族の1枚の顔写真は瞬時に、そして容易に判断し選ぶことができます。では5人の膝の写真から、自分の家族の1枚の膝写真を選ぶのはどうでしょうか? おそらく顔の時よりも時間がかかる、もしくは間違ってしまうこともあるでしょう。

 スマホやデジカメに顔検知のシステムがあるように、私たちの脳は顔を認識しようとする性質があります。脳の側頭連合野という「顔を認識するエリア」があり、そこでは「顔」を認識します。つまり私たちの脳は「顔」と「モノ」を分けて記憶するというわけです。

顔も膝も人間の一部なのですが、おそらく脳は「顔=人間」、「膝=身体の一部」という処理をしているのでしょう。


 たとえば果物のオレンジは「モノ」ですが、表面に油性マジックで「顔」を描くと、急に人間っぽく感じてしまう、なんてことがあります。箱の中のたくさんのオレンジの中に、数個だけ顔を描いたオレンジがあったら、その数個を優先的に視てしまうでしょう。

また自動車のデザインを正面から視たときに、両方のライトが眼、バンパーが口、といった感じで、「顔のように」認識してしまうこともあるでしょう。建造物から、壁の模様に至るまで、「いったん顔に見えだすと、顔にしか視えなくなる」ということが起きます。これらの現象は顔を認識するエリアが活性化して、モノであっても顔として認識したと考えられます。


 ではなぜ顔認識のシステムが発達したのでしょうか? 

 ひとつには「顔」で敵味方を判断してきたからだと考えられています。たまたま出くわした相手が、ライオンや毒ヘビなら「逃げる」、食料となる小動物や果実なら「近づく」など、その後の行動はある程度決まってくるわけですが、人間が相手の場合「見極め」が重要になるからです。

 敵に近づけば危険の、味方に近づくと生存の可能性が上がるからです。そういった背景もあり、人間は脳で顔認識システムを高度に発達させたのでしょう。

 そして人間は顔の表情から感情を読み取ります。脳には「他人の動きを視たとき、自分は動いていないのにあたかも動いたように活性化するミラーニューロン」がありますが、私たちは他人の表情を視覚で捉え、自身のミラーニューロンを活性化させて、他人の感情を理解すると考えられています。

 笑っている、怒っている、すましている、無視している、悲しんでいる、ふざけている、など、そのときの状態を表情から読み取るのです。ですから私たちはつい顔を視ようとしますし、表情から感情を理解しようとするのです。
 
 人間の表情をつくるのは表情筋群です。表情筋群とは表情に関わる筋肉の総称です。ビックリした時に眉を引き上げる前頭筋、眉間にしわを寄せる鼻根筋、口の開閉に関わる口輪筋、口角を引き上げる大頬骨筋、口角を外側に引き、えくぼをつくる笑筋など、大小様々な筋があります。これらの筋肉は脳神経のひとつ、顔面神経によって支配されています。
 
脳神経とは、脳から直接筋肉を支配している神経のことで、頚から下のほとんどの骨格筋が「脳から脊髄を経由して、各筋肉を支配している」のに対して、脳神経は脊髄を経由しないダイレクトの支配なのです。

 表情筋群は、顔面神経からの直接支配の上、距離的にも短いため脳の状態を反映しやすいのです。ですから、つい感情が表情に出てしまいがちです。

 

ちなみに、子供は親の表情から感情を読み取るスペシャリストです。いくら「怒ってない」と言葉を重ねても、感情はお見通しだったりします。「子供を侮るな。次世代を下に見るな。彼らは我らの最終進化形にして、最先端を生きる後輩だ」海底から常に上を視ていた三葉虫先輩は言いました。(言ってません)

 表情筋群のコントロールはなかなか大変ではありますが、その成否がパフォーマンスに大きく関わってくるのも事実です。そして一流のパフォーマーたちは、顔の視せ方(視せない方法も含む)、そして表情のコントロールが巧みです。

「倒すか、倒されるか」のギリギリの攻防の中、顔認識と表情筋群コントロールに長けた2人のボクサーを紹介したいと思います。

 ひとりは悪魔王子と呼ばれた伝説のボクサー、ナジーム・ハメド。超個性的なファイトスタイル、当たれば倒せる体当たりパンチの脅威のKO率(プロ戦績37戦36勝31KO、1敗)、そして試合中の表情の使い方など、あらゆるジャンルのパフォーマーにご覧いただきたい刺激的なボクサーです。


 ナジーム・ハメドは試合中、すました顔をしたり、睨みつけたり、ニヤリと笑みを浮かべたり、ナメて見下したり、相手ボクサーに対して、豊かな表情の変化をみせます。相手選手は、ナジーム・ハメドの動きや技を観察する以前に、顔認識システムが働き、つい視覚的にも彼の表情の変化を追ってしまい術中にハマってしまいます。「表情を視ないように」と意識したとしても、その意識自体が既に負荷になっているような状況です。

 もうひとりは、逆のパターンともいえる鉄人、マイク・タイソン。マイク・タイソンは、ピーカブーと呼ばれる構えをとります。相手選手から視ると、グローブで顔半分が隠れています。相手の脳は、どんな顔なのかを認識できないまま、試合が進んでしまうわけです。


 マイク・タイソンは、相手の射程距離近くになると、サッと重力方向に身体を落とし、その反作用を利用してジャンプと共にパンチを繰り出します。相手の目線から視ると、顔がよく視えないマイク・タイソンが、視界から突然消えることになります。

 その次の瞬間、突然大きく視界に入ってきたマイク・タイソンの像に圧倒され、豪快なフックやアッパーをまともに喰らって倒されます。人間は顔が視界に入れば、思わず顔を視てしまいます。避けなければならないのはパンチなのですが……。

 表情豊かに顔を見せながら相手をワールドに引き込むナジーム・ハメドと、顔に関する情報をミニマムに抑えてポーカーフェイスで精密機械のように戦うマイク・タイソン。

表現スタイルとしては全く異なりますが、しんどい局面で笑顔をつくるのも、どんな場面でも表情を変えないのも、どちらのレジェンドも「表情筋群のコントロール」という意味では共通しています。
(『可能性にアクセスするパフォーマンス医学』より)

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