見出し画像

右も左もない世界

幼少の頃、僕は左利きだった。

文字は左で書く、お箸は左で使う、ボールは左で投げる、力は左が強い。そんな感じがやりやすかった。その時代、左利きはギッチョと呼ばれていて。

「へー、ギッチョなんだー」とよく言われたものだ。

ちなみにギッチョの語源を調べてみると、

毬杖(ぎっちょう)という平安時代に生まれた遊びからきている、という説が見つかった。いまでいうホッケーみたいな球技らしい。左利きのが毬杖を左手にもったところから、左ぎっちょう、左ぎっちょ、ぎっちょ、になったという話が出てきた。


ほうほう、おもしろいじゃないか!歴史あるんだぜ、僕の左。

いまでこそ左利きは創造的だとか、芸術性に富むとか、スポーツで有利とか、いろいろとプラスの面もわかってきてるけど、僕が小さなころは、小学校のクラスの中でも、いや、学年の中で、左利きは120人いて、僕も含めて3人程度。

当時は「マイノリティー」そのものだった。

さいわい僕は、左利きが原因で嫌な想いをした、ということはなかったけど(ふたえさく、の珍名字でいじられることのほうが多かった笑)

ぎっちょ、って、音の感じがあんまり好きじゃなかったし、

「へー、ギッチョなんだー」といわれるときも、「珍獣見つけましたー、みんなみてー」的な雰囲気もそんなに好きではなかった。

あと、文房具やグッズなどの問題があって、ハサミなんかは右利き用につくられていたから、われわれマイノリティーは使いにくい。

ちなみに右利き用のギターをひっくり返して持ち、弦を逆に張って演奏したジミ・ヘンドリックス。

左利きをずっと通してるポール・マッカートニー。ビートルズでの演奏は「見た目にもV」になる。

既成概念をぶっ壊すアーティストたち、カッコいいなぁ!


強引に話は戻って、そんな感じで左利きで過ごしていた小学校1年のある日のこと。

ふと、なぜか「そうだ、右で書いてみよう」と思い立った。

そしたら案外書けたのだ。

絵は得意だったけど、基本的に書字が苦手で。左も綺麗な字からはほど遠いクオリティ。それが逆にプラスに作用したのだろう、右の文字は40点、左が28点、みたいな感じだったから、ギャップを感じずにすんだのだ。(苦手には苦手の道がある、らしい)

それからは、左利きから右利きする作業が始まった。
「おおお、できた」が少しずつ増えていく。

ふと気がつけば、それまで左でやっていたことが、右でもできるようになっていた。書字は右で。習字も右で。野球では「左投げ、両打ち」がやりやすかった。(あ、野球も下手だったからギャップを感じずにすんだのか!?)

左しかできなかったことが、
右でもできるようになった。

そう、僕はいわゆる両利きになった。

高校時代にはノートを書くとき、右のページは右で、左のページは左で書くようになった。

手術の際、セッシ(ピンセット)とメスをサッと左右入れ替えながらやってたので、他のドクターたちのように「歩いて反対側まで回り込む」作業をやらずに済んだ。(きっと感染リスクは軽減されたはずだ)

カラテの試合では左手を前に構えるオーソドックス、逆のサウスポー、を場面によってスイッチする戦いができた。ある大会で、準決勝までオーソドックスは。決勝の相手がサウスポーだったので、僕はわざとサウスポーで構えて試合を始めたことがあった。相手選手は「え???」って感じで嫌な顔した、それを僕は見逃さなかった。

最近はありがたいことに書籍やDVDにサインを求められることもある。

その時は「両方で書くから見ててくださいね!」とお伝えしてからサインをすると、ちょっとした芸みたいで面白がってもらえることがある。

右は社会の要請だった。左はDNAの要請だった。

右利き=マジョリティ
左利き=マイノリティ
両利き=もっとマイノリティ

どんどん分母が少ない方にいったのに、
世界がグワンと拡大したのだ。

右の世界/左の世界。
右も左もある世界。
右も左もない世界。

自分が変わると、世界の見え方も変わってきた。

少しでもPositiveになるように、
今日も明日も、右手、左手、上手、下手を使い倒す!

・不得意側の向上の方法も書いています



いいなと思ったら応援しよう!