釈明と独り言(ベーシック・インカムとか)
昨日のnoteを見た人が、私の個人的意見について、あるいは誤解を覚えかねないと思ったので、一つ表明しておきたい。
私は、現行憲法の偽善を非難したが、それゆえに現政権の憲法改正を支持するという意向では、決してない。
こちらを肯定するために、あちらを否定する方法論としての批判ではなく、単純に、建設的な思考の形成過程における必要に素直に応じたための批判である。
今日の天気は曇り後晴れだった。
さて、どう生きようか。
何か物事を自分の進めたい方向に向かわせるとき、どうすればいいか。
私なら、まずそれ(アイデア)が多数の共感を得て、もっともらしい最善の案に"見える"ようにあらゆる工夫をするだろう。
つまり、それ以外の選択肢を徹底的に排除する。
他に選択肢がなくて、しかも唯一提示された選択が、その時の状況的に一見非常に合理的で、多数にとって利益になると信じられれば、アイデアは好意的に迎え入れられて、あっという間に普及させられるから。
みんなしてあるゴールに向かうとき、それがあたかも道中のいろいろな偶然を配慮した上で立ち上がったものだと、よく錯覚されるけれど、ゴールは初めから設定されていることが普通。
短期的な周期での結果を重視するよう訓練され方向付けられた社会では、長期的な視点を持ちづらくなるのは当然。
大衆を視野狭窄の状態に維持するのは支配にとって最も重要なことなのだから。
だから、その一点に関して、平凡な人々が想像もつかないような、大胆で長期的な虚偽の反復が重ねられていることは疑う余地もない。
ある支配集団の権力維持という絶対のアイデアから出発すれば、様々な水面下の動きが窺える。
最も危険なのは、権力が親しみを込めて近寄ってくるとき。
それは彼らの目的が最終調整段階に入ったことの証左であり、最大の偽善の微笑みに違いない。
誰もが有名人のスキャンダルの裏で、不都合な申し合わせが行われていることには気づいているのに、ウイルスという巨大な隠れ蓑の裏でどれだけ大きな事柄が動いているかには無知のようである。
いや、気づいている人も非常に多いが、結局気づき方がまずい。
政治が信じがたい愚行を繰り返し、人々が政治に呆れ、関心を示さなくなる。
その間に情報統制のシステムは整い、あらゆる問題のでっち上げに成功した。
その後、ある世界規模の障害を通じて、人々が再び政治への関心を取り戻し、一致団結し、自らの主権を訴えるとき、これはまさに支配側の計画に過ぎない。
大衆が常に祝福されているというアイデアを維持することは、支配にとって、最もコスパがよく、手数の省ける状態だからだ。
当たり前だ。
政治は、より多数の人間にとって理想とされる共同幻想の提供が使命であり、その権力に浸る一部の人間が堕落し、腐敗が進むところに、より巨体な人間の問題が潜んでいる。
資本主義の計画的な崩壊は、資本主義の勝利者たちをそのままポスト資本主義の先導者へと移行させる。
民主主義に絶望するスーパーエリートたちは、現在の「国家」という価値体系を刷新するだろう(民主主義に失望しているのは、ある点で私も同様だが)。
そうして訪れる社会は、地球表面上のごくごく一部の特区とされる場所に「小さな政府」を完成させると思われる。
それはスマート・シティと言い換えることもできる。
世界人口の数パーセントが半永久的な理想郷を建築したあとは、残りの人口は、その循環システム維持のための血液の管に過ぎない。
超々格差社会の誕生である。
その奴隷的人口さえ、システムの移行が進めば不要になるから多くは死滅させられる。
非常に合理的に、アミューズメントの一部として演出されながら。
このような将来は、多くの人々にとってディストピアに見えるが、実際はそうでもないだろう。
残念ながら、本心から絶望や生きにくさを感じること自体、下位の人間には与えられない。
未来は大衆にとって、より生きやすいように感じられるし、実際それら未来の群衆にとっては、非常に恵まれた世界に映るはずだ。
例えばベーシック・インカム。
もう目の前に迫ったアイデアだが、今日の戦争(パンデミックはそう呼び変えても何ら問題ない)により、早急に正当化される現実的条件が整えられている。
これは、現行の政府が、すべての自国民に無条件に一定額を給付する社会保障の発展的な政策である。
そして、これを進めるために、労働からの解放や、富の再分配など、口当たりの良い言葉がまことしやかに言われているが、そんなわけはない。
少し考えれば分かるはずである。
自分の基本的な生活費用を誰かがすべて負担してくれたとき、
一体どういうことが起こるのか。
人々の労働生産価値は薄れ、働く気概はなくなる。
ベーシックインカムさえ食い潰した愚か者は、その後にいかなる保障も待ち受けてはいない。
そして無条件で配布されるそれらは、しかしベーシックインカムに頼らざるを得ない人々と、ベーシックインカムを拒否できる特権階級とに完全に二分される。
さて、誰が得をするのか?
やはり既得権益である。
ベーシック・インカムの導入を、さも正義面で推し進めているのは誰か。
もちろんベゾズやイーロン・マスク、マーク・ザッカーバーグら20世紀のキャピタリズム・ヒーローたちである。
彼らがなぜ自分たちの富を分け与えると主張するのか。
それは紛れもなく、そのことによって自分たちの権力がより長期的に持続可能になるからだ。
現代社会を牽引する先進の世界的企業は、僅かな雇用しか生まない。
つまり、自分たちが抱え込む人員(養うべき人々)を減らし、巨額の利益を少数で分配することにより億万長者になっている。
その結果として、アメリカをはじめとして、それらのスーパー企業が、毎年半端じゃない数の失業者を出す要因になっている。
しかし、失業者が増え続ければ、彼らの製品を買い、彼らのサービスを利用する人間も必然的に減ることになる。
では、どうすればよいのか。
人々が、彼らのビジネスに関わるためのお金を、政府があげちゃえばいいのだ。
ベーシック・インカムが開始されれば、もはや"勝ち組"以外の労働(ビジネス)は無意味であり、給付を受ける人々は、その給付金を彼らのために使い、生活していく。
完全に平等かつ不平等のエコシステムの完成だ。
そのような社会では、どういうことが起きているのか。
様々なことが想像できる。
私が最も懸念するのは、戦争と災害が娯楽性の高いビジネスになることだ。
今でもそれは人間の行える最大のビジネスに違いないが、これからは、よりエンターテイメントに寄った日常のビジネスになるはずである。
なぜなら人口のほとんどは無意味であることが、大々的に宣伝、証明されたあとの世界だからである。
では、どうしてこのような一般的に悲劇的と思われるアイデアが、特権階級たちを巣食うかと言えば、彼らを取り巻く思想はトランス・ヒューマニズムとシミュレーション仮説を前提としたAI悲観論である。
神に近づこうとする者たちにとって、無知な群衆が何の役に立つだろうか。
人類の今後において唯一の不確定な要素は、このAIだ。
その指数関数的成長は遥かに人類の知性を見下ろす可能性を含んでいる。
つまり、彼らが恐れるのは、その進化自体は歯止めをかけることができないAI開発を、自分たちの意に沿う形で実現できない場合ではないだろうか。
このコントロールに向けての一連の計画が、今、水面下で着々と進んでいる。
現在の価値観が急速に解体、再構築されていく。
その過程で、良いことも悪いことも起こる。
これまでの人類史上、最大のリターンのための最大のリスクがとられる。
現状からは悲観的なシナリオばかりがちらつくが、あるいは、より善い方向に進まないとも言い切れない。
自分たちが今まで当たり前のように信じてきた疑いがたい常識が、すべて覆りはじめたとき、その変化にさえ盲目的に流されていくのか、それとも自覚して生きていくのか。
そこだけは、考える生物の威厳として、最後の最後まで侵しがたく確保され得るかもしれない。