町工場の人材確保の難しさ(前編)
毎回毎回、記事を書く毎にいいね数の減少に歯止めがかからないmuracoの村上です。とはいえ、muracoの販売店の方々からは「もうちょっと更新頻度を上げてね」と言われることもあるので、めげずに書き続けます。
当社では今年の4月1日に新入社員を4名とパートさんを2名採用しました。内訳としては、muraco事業部販売室に2名。広報室に1名。製造事業部製造課に1名、パートさん2名です。今回の採用は当社の歴史の中でも、とても実りのある採用の1つだったなと感じています。
そんな当社ですが、過去の採用活動は混迷を極めておりました。採用のノウハウも全くない私が考える、良い人材を獲得する為の考え方を偉そうにお話ししたいと思います。そうです。今当社にいる社員は全員良い人材です。
今回は写真も少ないので読みにくいかもしれません。すいません。
面接に来てくれない (採用暗黒時代)
僕がこの会社に入社した当時、工場の加工ラインは、父と社員2人の計3人でまわしていました。そこに僕が入り、会社として初めて営業的な役割もやり始めていたので、増えていく受注に対応すべく、機械オペレーターか、営業か従業員を増やしたいと思うようになりました。
しかし会社規模がとても小さく、これといった特徴もない町工場として、高い広告費を払って採用をかけることもできないので、地元のハローワークに募集を出しました。職安の担当の方と「どんな人が欲しいか」「会社にはどんな人が合いそうか」「これからどういう会社運営をしていくか」などすり合わせをしました。私なりに真剣に考え、ウソのない範囲で精一杯会社の魅力を伝え募集要件を作成しました。しかし求人情報公開後もなかなか応募がない状況が続きました。それでもようやく1名の応募があり、面接を設定しました。
面接当日、道路を挟んだ向かい側の駐車場に1台の車が駐車場に停まりました。私は工場入り口付近の機械で作業をしていたのですが、その車の窓越しに、男性が会社の社屋の外観と工場内を覗き込み、そのまま少しして走り去っていきました。
結局その日、面接を予約してくれた男性は来社しませんでした。その車の運転手が面接予約をした男性だったかはわかりません。でも結局その1人以降、応募はありませんでした。
そのように応募→来ないの繰り返しがしばらく続いていきました。今思い返すと、まさに採用暗黒時代でした
でも、我々のような小さな工場では良く聞く話で、「若い子が入らない」、「入ってくれたけど続かない」、「せっかく入ってくれたのにあまり使えない」などは“あるある”で、だいたい同じような規模の会社であれば、どの社長と話してもだいたい同じような答えが返ってきます。
とはいえ、何かを変えなければ、状況は変わらないと思っていました。
キレイな社屋の建築 (イメージ戦略)
「面接に来ない」事件の経験から、会社の外観はとても大切だなと感じました。確かに自分が従業員だったとして、毎日通う会社が古くて薄暗い場所より、明るく綺麗な場所の方が当然いいはずです。
ちょうどその頃、手狭になってきた日高工場を移転する話が進んでいたので、その際に、社屋はいかにも工場の感じはやめようと思い、近隣の工場とは違う雰囲気で、従業員が毎朝出勤した時に少しでも誇らしく思える建屋にしようと思いました。元々建築やデザインの世界が好きだったので、誰か建築家に建屋の設計をお願いしたい気持ちもあったのですが、当時は資金もコネもなかったので、できる範囲でシュッとした外観になるように工務店さんと相談しながら建築プランを作りました。ちなみにこの時期にはmuraco事業の立ち上げに向けて様々な準備を行なっておりました。
高額な募集広告 (低い定着率)
事業所の移転は無事完了し、新しい建屋となりました。従業員一同、今までとは180度違う、新しく広々とした工場内で業務スタートとなりました。そして新しい設備も入り、人材も増やしたいと考え、狭山市移転後に初めて大手求人サイトに求人広告を出してみました。
30万程度の予算で某大手の求人サイトに出稿しました。アピールしたかったのは以下の4つのポイントでした。
1:新しい社屋
2:手に職がつけられる仕事
3:経験者にはとても高い基本給
4:未経験でもそこそこ高い基本給
でも1と2は求人広告では良くあるアピール内容で、実はあまり差別化になっている感覚はありませんでした。最も差別化できたのは、3と4でした。他よりも高く出せば応募してくれるだろうと思っていましたし、同時にもし低く設定して応募がなかった場合に求人広告費用が無駄になってしまうのが怖かったというのも裏ではありました。
そして募集を始めると想定よりも多くの方々に応募いただくことができました。新しい社屋だったので、面接を設定した応募者の方々は全員ご来社いただくことができました。1キレイな社屋の建築のポイントは成功だったと思います。とはいえ一番インパクトがあったのは3、4の“高い基本給”だったと思っています。
それから2年間ほどの間で3回ほど求人広告を出稿し、計5名が入社してきましたが、残念ながらそのうちの3名は既に退職してしまいました。正直いうと、高い求人広告費の割に定着率が極端に悪いなと思っています。
一方で縁故採用も
一方で、縁故採用も進めていました。日高工場時代から合計して5名、縁故採用しました。しかしながら、上記の5名の縁故採用の内、いまだに定着して働いてくれているのは2名です。この2名には辞めずにいられる理由を聞いてみました。インタビューのやりとりは後半で(流れ的に)。
従業員が辞める理由
社員が会社を辞めるのには様々な理由があると思います。今までは退職を願い出た社員を引き止めることもありました(今では絶対にしませんが)。当時は新しく求人広告を出すのに費用も掛かるし、従業員一人に依存する仕事も多い状況だったので、退職を願い出た従業員に対して「なんとか考え直して欲しい」とか言っていました。それでも僕には辞める気持ちになっている人間を踏みとどまらせるような能力もないので、みんな辞めていきました。
muracoを事業としてスタートさせた後に辞めていった社員は、恐らく5名だったと記憶しています。僕としては新しい売上の軸を作りながら、前向きに事業運営をしているつもりでしたし、新しいチャレンジをする会社はすごく刺激的で楽しい場所だと思っているので、辞めていった人たちの本当の理由は計りかねますが、推察するに、辞めていった人のほとんどは、人間関係とお金だと思います。
ウマが合わない人がいる人、昇給が少なくて辞めていく人、ボーナスが貰えなくて辞めていく人・・・。
人に依存している人
人に依存している人は、依存している相手に影響を受けてしまいます。その人が辞めたら、その人が異動になったら、その人と合わなくなったら・・・。となります。
報酬に依存している人
3:経験者にはとても高い基本給。4:未経験でもそこそこ高い基本給。あたりに引き寄せられて来た人は、給与の増減(減らしたことなんてないので「少ない!」ということでしょう)に影響を受けてしまいます。
もちろん、会社に所属して働くということは、ほとんどの場合、組織に所属して、労働をして、その対価を給与という形で得る。というのが基本になるので、人間関係、報酬は非常に大切です。でもそれだけでは、なかなか定着するのも難しいのかなと感じるようになりました。
何に依存して働くか
人に依存せず、報酬にも依存せず、別の依存できるなにかを見つけられた人だけが長く続き、その事が会社の業績に貢献することに繋がり、その結果昇給や賞与を得るサイクルに入っていけるのだと感じます。
とはいえ、そういう人がずっとこの会社でチャレンジし続けたいと感じる事業運営や組織でなければならないというのは大前提であるなとも感じています。恐らくこの最後の企業姿勢が最も重要な部分なんだと僕は信じています。
この詳細を書きたいのですが、間延びしてきたので、奥義「後半に続く」を行使させていただきます。後半では、muraco事業の開始前から継続して勤務してくれている2名にインタビューをしてみました。
是非引き続き読んでほしいです。では。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?