過去の自分を否定したくないから今も頑張る
おはようございます。
先日松井愛莉と池田エライザの写真集を引っ張り出してきた時にふと「大学受験の時に視界に何も入れないために家の一番角に机移動させて、そこに松井愛莉の写真一枚貼ってがんばってたなぁ」ということを思いだしました。
こういう状態です。勝利の女神です。
ちなみに政経が得意で、数学は壊滅的だったので私文選びました。
一番勉強がはかどるのは台所です。
写真集久しぶりに見返してみて、受験の頃の思い出もよみがえってきて、そのまま高校の部活とかも思い出して。「よくあんだけ頑張ってたな」と率直に思いました。山口の田舎だったので他にやることなかったというのが一番要因としては大きいんですけどね。高校3年間は部活/勉強/パワプロくんしかやってませんでした。
【過去の自分を否定したくない】
大学でも色々やって、それで今に至るわけですが改めて「過去のマツダがあれだけ頑張っていたからには今のマツダも頑張らないといかんな」と思ったわけです。
過去は過去で、今は今だと思いますが「今頑張れなかったら、今逃げたら過去の自分のやってきたことってその程度だったのか…」て思ってしまうんですよね。13歳~22歳のマツダを肯定したいから今頑張るって感じです。※12歳までは特になにも頑張ってなかったので特段肯定しなくていです笑
一貫性持たせたいみたいなこだわりはあります。
【未来の自分にも誇りを感じていて欲しい】
今頑張る理由としては過去だけじゃなくて未来にも拠り所があります。2020年のマツダが2015年冬のマツダを振り返って「頑張ってたな、ええやん」って思うように例えば2025年のマツダに2020年のマツダを振り返った時に「ええやん」って感じていて欲しいという思いがあります。
結局は過去よりも今の自分に誇りが持てていればそれで良いと思うんですけど人生のどこを切り取っても誇りを持てている状態にしたいなという願望があります。
金太郎飴のどこをカットしても同じ顔が出てくるみたいな。
意味不明な例え失礼しました。
【おわりに】
僕はやる/やらない、頑張る/頑張らないの基準が全部内側にあるので結局変に「人のため~」「価値貢献~」とか考えるよりも「自分の為になっている」「自分がやらんといかんと感じているから」という燃料で動くのが一番スムーズやなと思います。あとは実際やっていることにどう紐付けて意味付けできるかだけですね。
「それ、過去のマツダが観たらどう思う?」
「それ、未来のマツダが振り返った時にどう思う」
あらためて、この2軸の挟撃作戦でもって必死に意識を支えて頑張っていこうと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?