プログラム 今堀拓也作曲個展vol. 2
コンサートの内容はこちら
プログラムノート
ロサ・カエルレア 主催コンサート vol. 2
今堀拓也 作曲個展 vol. 2
Takuya Imahori Portrait Concert vol. 2
出演
梶原 一紘(フルート) Kazuhiro Kajihara (Flute)
松岡 麻衣子(ヴァイオリン/ヴィオラ) Maiko Matsuoka (Violin / Viola)
安田 結衣子(ピアノ) Yuiko Yasuda (Piano)
2025 1. 29. (水) 18:30 開場 19:00 開演
杉並公会堂 小ホール
後援:JSSA先端芸術音楽創作学会
主催:ロサ・カエルレア
録画:後藤天
浄書協力:岩花幸歩
制作協力:石塚潤一
ご挨拶
本日は「今堀拓也 作曲個展 vol. 2」にお越しいただき、誠にありがとうございます。
前回2023年10月1日に行われた第1回より1年4ヶ月弱ぶりの開催となりました。この間には昨2024年3月から5月のブラジル滞在を経て、11月27日に行われた「オーケストラ・プロジェクト2024」演奏会にて私の『交響曲第1番』が、大井剛史さん指揮、東京フィルハーモニー交響楽団により初演され、作曲家としての大きな目標を達成することができました。
それを踏まえて今回の個展第2回では、ブラジル滞在とその間の交響曲の作曲作業を通して得られた知見と経験をより深く見つめ直した形での新作初演を中心に据え、若き日の旧作と、自分の宗教的内面に大きな影響を与えたモーリス・デュリュフレの作品をお届けします。
本日演奏してくださる奏者の皆様、ご来場下さった皆様、配信をご覧下さる皆様、普段よりご支援をいただいている皆様に、心より感謝いたします。
ロサ・カエルレア 代表 今堀拓也
曲目 Programme
今堀拓也 : トリオ (フルート、ヴァイオリン、ピアノのための) (2013) 10分
Takuya Imahori: Trio (per flauto, violino e pianoforte) (2013)
今堀拓也 : フルート・ヴァイオリン・ピアノのための幻想ソナタ (1998/2025 全曲版初演) 20分
Takuya Imahori: Sonate fantastique pour flûte, violon et piano (1998/2025 première mondiale pour l’entier)
I
II
III
(休憩)
モーリス・デュリュフレ : フルート・ヴィオラ・ピアノのための前奏曲・レシタティフと変奏曲 op. 3 (1928) 12分
Maurice Duruflé: Prélude, récitatif et variations pour flûte, alto et piano op. 3 (1928)
今堀拓也 : イタパリカ狂詩曲(フルート、ヴィオラ、ピアノのための) (2025 世界初演) 25分
Takuya Imahori: Rapsodia itaparicana per flauto, viola e pianoforte (2025 prima assoluta)
I.a 枝の主日の行列 Processione delle Palme
I.b 十字架の道行き Via Crucis
II カンドンブレ Candomblé
曲目解説
文:今堀拓也
トリオ (2013)
曲は最初に提示されるモチーフが繰り返されながら少しずつ変容し交互に出現しつつ、どこからどこまでが提示部で展開部という明確な区切りを持たずに、いくつかの特徴的なモチーフが徐々に変容し展開していく構成である。曲が進むにつれて、精神的高揚感を煽りながらクライマックスを築く。一旦そのクライマックスに達してもそこですぐ冷めるのではなく、第2、第3の高揚の波が押し寄せる。
元々は2012年にあったmmm…というオンライン初演発表の企画のために草稿を書いていたが、長すぎるということでこの曲はお蔵入りになって、その企画には同じ編成でピアノの内部奏法やヴァイオリンのサブハーモニクス奏法(通常より低い音域が出る)を用いた全く別の短い曲を
書いた。
翌年オーストリアのミュルツツーシュラークという田舎村で行われたインターナショナルサマーアカデミーという作曲講習会(講師イザベル・ムンドリー)に出したが、それでもまだ長すぎるということでだいぶ削った挙句に初演された。その結果演奏者3人(指揮科講師による指揮付き)には演奏賞が出たが、作曲作品としては「最初の方で何をやりたいのかよくわからなかった」という講評をもらった。削ったのだから当たり前だ。モチーフとその展開という古典的ソナタ形式からの伝統を意識しながら作曲したので、当初通りの楽譜でなければその展開の過程を追うことは無理である。が、かえって削る前の楽譜が冗長に思えたので、結局その削った状態のまま良しとして現在に至る。
この曲にオーケストレーションを施してジュネーヴ音楽院の修了作品とすることを、担当教授のミカエル・ジャレルに申し出たがその案は却下された。既に他者の教える講習会で出来上がった曲をいじるのは、自分が教えながら曲を作り上げるという教育プロセスと相反するのがその理由だが、それには納得がいかなかったものの、私も当時35歳で既に教職に一度ついてから学生に戻った身であり、言うことに従って別の曲を書いた。
日本初演は、2023年に[さる団体]による作曲コンクールに出品して入選したので演奏されたが、私以外の2曲は現役大学生の書いた調性音楽の学習フーガと学習ソナタで、私より20歳以上若い審査員2人が入れた点数と聴衆の点数の合計で審査され、審査員点では3作中最上位だったものの、聴衆点で本作は50点中3点しかもらえず、ボロクソな点数で最下位とされた。(私自身の持ち点は学習フーガに入れておいた。)演奏は悪くなかったことは付言しておくが、初演の方が良かったので私のウェブサイトではオーストリアの録音のみ公開している。
世に出すたびに自分にとって不当に思われる評価で否定されることを繰り返してきた不運な曲だが、自分としては小室内楽編成の自作の中でも特に出来栄えに自信を持っている作品であるので、改めて今回自分の主催する個展に出し、三たび世に問うことにした。
なお同じ自信により、ウニフェルザール社の電子出版の審査に通った際、オーケストラ諸作品と一緒に早々に公開販売した。今回の再演に際して譜表サイズを大きくしたので、販売楽譜もそちらに差し替えた。
フルート・ヴァイオリン・ピアノのための幻想ソナタ (1998/2025 全曲版初演)
第1楽章は第3主題までを据え拡張されたソナタ形式を採る。第2楽章は大雑把に三部形式を成しながら散文的に描かれており、第3楽章はロンドの体裁を取るがより自由な構成を持っている。
この曲の第1楽章のみを部分初演したのは1998年6月で、私は1978年11月生まれであるので、まだハタチになっておらず、19歳の時の作品である。教会旋法を意識した和声、対位法的に声部が絡み合う書法など、いわゆる近代フランス音楽作品をそのままなぞった作品である。その最初の規範はドビュッシーであり、またラヴェルをも少なからず参照している。第2主題でピアノが2オクターヴのユニゾンになるのは、当時聴いたファリャの『スペインの庭の夜』の影響だろう。しかし同時に当時の私が最も強く意識したのはデュリュフレである。これは後で『フルート・ヴィオラ・ピアノのための前奏曲、レシタティフと変奏曲』の項で詳しく述べる。
作曲当時の学内演奏会で第1楽章のみ初演し、ピアノは自分で弾いた。(当時の録音を聴くと最後に興奮してテンポが急激に上がっており、穴があったら入りたい気分になる。)第2楽章と第3楽章は今回が初演となる。当時は音になっていないので今回はじめて聴くのだが、楽譜で見るだけでも楽章が進むにつれて通常のディアトニック旋法からの脱却と、複調性や複旋法を意識しており、あまりにも今の視点で問題あると判断した部分は今回修正を施した。全て臨時記号の付け替えに留まる。当時の私にとっての規範がドビュッシー、ラヴェル、デュリュフレ、イベール、プーランクから、ケックラン、ルーセル、ミヨー、オネゲル、そしてメシアンへと移って行ったことがはっきりと読み取れる。デュリュフレも『オルガンのための組曲』ではメシアンばりの複旋法が頻出し、その影響もあるだろう。また吉松隆の影響も少なからずあったと思われる。ピアノ協奏曲『メモ・フローラ』の初演を聴いたのはこの後だったかもしれないが、『朱鷺に寄せる哀歌』や『プレイアデス舞曲集』にはすでに接していたはずである。伊福部昭も言うように、兎角二十歳前後は見聞きするもの全てに強く影響を受ける年頃であったと今にして思う。
もともと私はヤマハ音楽教室に幼稚園から通っていたが、小学校高学年から先生が変わり、段々つまらなくなって中学で辞めたのが、そもそも私が音楽大学へ進むという選択肢を高校生の時に考えなかった一番の理由である。その小学校高学年の時に半ば無理やり読まされたのが、
石桁真礼生の「楽式論」である。小学生には難解すぎる文体で書かれているが、ソナタ形式のなんたるかはその本で覚え、その時から意識して作曲していると言える。
そういう理由もあって、本曲の構造はフランスよりもむしろドイツ語圏作曲家の交響曲の形式を参照している。その主たるところはブラームスや、あるいはシューベルト、シューマン、そしてドヴォルジャーク(チェコの作曲家)の『新世界交響曲』から来ているが、同時にブルックナーへの憧れの比重が少しずつ高まっていった時期であることも楽譜から思い起こされる。マーラーは当時まだ苦手意識を抱えており、それほどの参照には至っていない。
タイトルを単なるソナタではなく幻想ソナタとしたのは(ベートーヴェンの『月光ソナタ』がそう書いてあるように)ソナタ形式の規範からずれた構造を採っているからであるが、これは今考えると、むしろ標準的なソナタ形式を拡張した構造であるとも言える。第2主題のあとですぐに展開部に入らずに別の要素、つまり第3主題を提示し、一般にソナタ形式においてクライマックスを築くはずの展開部最後のオルゲルプンクトを明確に持たずにディミヌエンドで再現部に入り、その再現部で主題が3,2,1と回帰していくのは、ドヴォルジャークの『新世界交響曲』もそうであるが、むしろ当時関心を寄せ始めたブルックナーの『交響曲第7番』第4楽章の形式概念と共通する。このソナタ形式を規範としつつそれを拡張した構造は、昨年作曲し初演された私の『交響曲第1番』に至るまで、常に自分の作曲作品の骨格として意識していることである。
浄書にご協力いただいた岩花幸歩さんに感謝します。
モーリス・デュリュフレ
フルート・ヴィオラ・ピアノのための前奏曲、レシタティフと変奏曲 op. 3 (1928)
曲は3部構成で連続して演奏される。第1部のプレリュードでは、まずピアノの序奏でCisの低音が保続されながら複調性的な和音の提示が行われる。次いでヴィオラとピアノの二重奏となり第1主題が提示され、また序奏の回顧を経て、今度はフルートとピアノの二重奏で第2主題が提示される。すぐにヴィオラが第1主題で対旋律として絡み、鮮やかな転調を経て第1のクライマックスを築く。CisとGの増4度離れた長和音アルペジオによるピアノのカデンツァを挟み(この和音は
ラヴェル『水の戯れ』のクライマックスに同様のFisとCによるカデンツァが現れることをすぐに思い起こさせる。あるいは後年にメシアン『幼子イエスにそそぐ20のまなざし』第15曲『幼子
イエスの口付け』でもCisとGで同様のアルペジオが現れる)、曲は第2部のレシタティフ(レチタティーヴォ、語り歌い)に移行する。
レシタティフにおいてもやはりプレリュードと同じモチーフが回顧されるが、ここではプレリュードとは異なる第2部であるというよりもむしろ、プレリュードの続きとして定量リズムから外れた一つのヴァリエーションであると捉えられる。しかし同時にレシタティフに見られる問いと答えという性格も併せ持つ。ベートーヴェンの『交響曲第9番』第4楽章冒頭のチェロのレチタティーヴォのような、それまでの各楽章の回想と否定と似たような回顧がなされるが、しかしベートーヴェンのような力強い語りではなく、むしろその逆でフルートによる憂鬱な時間が流れる。尤もレシタティフの最後はヴィオラにより力強く歌われ、それに導かれて第3部のヴァリエーションが始まる。
ヴァリエーションのテーマの提示は、8分音符で時々同音の繰り返しを伴う主要句、4分音符の終結句、および最後の2分音符による伸ばしを持つ4つのフレーズからなるメロディであり、これはグレゴリオ聖歌のスタイルを想起させる。Fisを基調とするエオリア旋法(自然短音階と同じ
構成音)で始まったのち、同じFisのドリア旋法(エオリアよりも第6音が半音高く、この場合はDがDisになる)に移旋する。いずれも響きはルネサンス音楽以前の安定したものである。ピアノの和声的伴奏を伴うが、これは宗教画における聖人の後光のような効果を持つ背景音であり、主役はあくまでこの聖歌的単旋律である。冒頭の複調性的な和音とは対照的な透徹した響きである。
そのあと5つのヴァリエーションが続く。第1変奏は3連符と2連符の重ね合わせ(スーパーポジション)による同時進行がドビュッシーの『アラベスク第1番』を思わせる。第2変奏は同じく3連符のスタッカート主体の開始句と、2連符のレガート主体の対位句による2つのテンポ感覚が交互に並置される(ジュクスタポジション)。フルートの短いレシタティフを挟んで第3変奏の教会的なコラールが続き、第4変奏は素早く疾走し、そして第5変奏は最も長いセクションで全体のフィナーレとなる。プレリュードの主題の回顧、そしてヴァリエーション冒頭のグレゴリオ聖歌風の提示部も回顧しつつ力強くクライマックスを形成し、最後の最後にもう一度FisとCの増4度長和音を一瞬挟んで、華やかに曲は終わる。
モーリス・デュリュフレは1902年生まれのフランスの作曲家である。少年時代はルーアン大聖堂の聖歌隊に入り、音楽と宗教教育を受けた。パリ音楽院和声科ジャン・ギャロン門下では、6歳年下の14歳で入学したオリヴィエ・メシアンと同級生となり、続く作曲科ポール・デュカス門下でもその交友は続いた。メシアンもデュリュフレもカトリック教徒として敬虔な宗教音楽を書いたが、メシアンが前衛現代音楽の歴史的大家となったのと対照的に、デュリュフレは保守的な作曲態度を維持し、戦後は作品発表をわずかしか行わなかった。作品数は14曲しかなく、ほとんどはオルガン曲である。代表作である『レクイエム』は、グレゴリオ聖歌のレクイエムの旋律そのままに、近代フランス音楽の和声とオーケストレーションで装飾した作品である。作曲以外ではサンテティエンヌ・デュ・モン教会でのオルガニストとしての演奏と、パリ音楽院和声科での教育が、その主たる音楽活動であった。またプーランクの『オルガン協奏曲』を初演し、音色決定の助言をした。アメリカやソ連へのオルガン演奏の海外公演ツアーも行った。
晩年交通事故に遭い演奏活動ができなくなるという非業の最期を迎えた。しかし事故後に唯一書かれた短い聖歌『我らの父(主の祈り)』は、今ではフランス中の教会で広く歌われている。
先に挙げた『幻想ソナタ』作曲当時の私は、そのデュリュフレの『レクイエム』を高校生の時に聴き、それからまたCD1枚分に収まるオルガン作品全集、『グレゴリオ聖歌による4つのモテット』と『我らの父(主の祈り)』、ミサ『クム・ユビロ』なども聴いて、教会旋法を再発見しながらもドビュッシーとは異なり深く宗教観に根差したデュリュフレの作曲態度を、当時の私にとっては強く意識していた。そうして寡作ながらもデュリュフレの他の作品を探すうちにたどり着いたのが、デュリュフレがパリ音楽院でデュカスに学んでいた時期に書かれた『フルート・ヴィオラ・ピアノのための前奏曲、レシタティフと変奏曲』である。無論まずドビュッシー晩年の作品『フルート・ヴィオラ・ハープのためのソナタ』があって、それをドビュッシーの親友であった デュカスの門下生であるデュリュフレが参照したことは大いに想像できよう。癌によって死を覚悟しつつ作曲したドビュッシーの透徹した響きはむしろ典雅とすら言えるものだが、デュリュフレのそれはドビュッシーと異なり、これは和声法が教会旋法で成り立っていると言うことだけでは説明できず、特定のグレゴリオ聖歌を参照したわけではないがその韻律と、その背後にある宗教性を強く思わせる。この点において同時代の他の作曲家(例えばイベール、オーリック、トマジ、ソーゲ、ボザ、あるいはのちのフランセ、ダマーズなど)の世俗的なポスト・ドビュッシー様式の典型的なフランス近代様式室内楽のありきたりな佳作とは一線を画する、グレゴリオ聖歌の時代から続く伝統的宗教音楽に根ざした確固たる基盤と聖性を感じさせる。
2013年に私がスイスのジュネーヴ音楽院にいた時のオーケストレーション科の試験では、この曲を選んでオーケストレーションしたが、指揮者が最初の練習段階から最終変奏をカットする 心算でろくに練習せず、最終変奏は本番では演奏されなかったのは実に腹立たしい(練習時点での不満足な演奏を繋ぎ合わせた録音は存在する)。なおこの手の学内試験ではリゲティなど著作権の有効な作曲家の編曲も良く行われることであり、ヨーロッパ各国の著作権法でも教育的使用での編曲は認められているが、今回出版社のデュランに問い合わせたところデュリュフレは著作権継承者が不明であるため編曲の許可は出版社でも出すことができず、出版されている形態と異なる編成での一般の演奏会における公開演奏は認められないとのことであった。なので当初『レクイエム』の『ピエ・イエズ』をトリオ編成にして今回のアンコールに演奏する計画であったが、その案は没となった。
少し時間が戻るが、私が2005年から翌2006年にかけてフランス国立音響音楽研究所IRCAMの作曲科研究員をしていた頃、当初はパリ10区に住んでいたが、パリ左岸中心部にあたる5区に引っ越した2006年春頃を機に、その新居の近くでパンテオン隣の、それまで既に何度かは訪れていたサンテティエンヌ・デュ・モン教会を間近に見ることとなった。それはデュリュフレがその生涯の最後まで50年以上オルガニストを務めた教会であると認識していたが、ある日曜のミサに出て(むろん洗礼を受ける前なので傍観しているだけである)、その終了後に教会の外に出て会衆と握手していた神父の前に歩み出て「キリスト教徒になりたいのでカトリックの洗礼を受けたい」と申し出た。今思うとよくそのような事を言ったと思う。そのステファヌ神父(フランス語で サンテティエンヌつまり聖エチエンヌは聖ステファヌの別称でもある)は私に月一度カテキスム(要理教育)に来るよう招き、それで当初は2年間カテキスムを受けるはずだったのだが、足掛け2年ということで1年と数ヶ月後の翌2007年の復活祭で、私はカトリックの洗礼を受けた。以来、私にとってモーリス・デュリュフレという作曲家は単にその作品が好きであるというだけでなく、私がカトリック教徒になるきっかけを作った、私の信仰において最重要の位置を占める作曲家となった。
であるからして、本演奏会を企画し始めた当初の2023年末ごろの段階では、このデュリュフレの作品を中心に置きつつ、それへのオマージュとして、私の信仰告白でありまたその堅信を考慮に入れて(カトリックでは洗礼の次の段階で堅信というイニシエーションを経るが、成人後に洗礼を受けた私の場合は洗礼と堅信を同時に済ませたため、本来の精神的な意味合いにおいてより信仰を深めるという段階に至っているとは言い難い)、自分の心の中での改めての堅信として同じ編成で何らかの新曲を書くという計画であった。
しかしながらその考えは大きく変わった。その理由は、この次に述べる。
イタパリカ狂詩曲 (2025, 初演)
私は2024年3月中旬より5月上旬までの約2ヶ月間、ブラジルのバイーア州イタパリカ島にある芸術レジデンス・サカタール研究所に滞在した。バイーアとは湾の意味で、アマゾン川とは別のパラグアス川という大きな川の河口の湾にイタパリカ島がある。島の大きさは約150平方キロで、小豆島と同じくらいである。湾の内部は常に静かで波がほとんど立たない。500年前にポルトガル人がブラジルに入植した時、この湾を拠点として大航海時代の巨大帆船を係留した。そして最初は現地人を捕まえて奴隷として捕鯨やサトウキビ畑で働かせたが、現地人資源が枯渇すると、今度はアフリカから黒人奴隷を大量に連れてきて労働力とした。この歴史ゆえ、現在でもバイーア州はブラジルの中でも特に黒人の人口率が高く9割以上を占める。
私は当地のレジデンスで『交響曲第1番』を書き上げたが(2024年11月に初演された)、集中して作曲に取り組む一方で、島の中を散策したり時々は他のレジデントたちと湾の対岸の大きな街サルヴァドールへ美術館巡りや音楽会へ行った。その中で得た録画や見聞きした記憶を元に、本曲は構成されている。
本曲は2部にわかれ、間をおかず連続して演奏される。第1部では現地のカトリック教会の聖週間にあたる枝の主日と十字架の道行きの2つの行列の様子を描く。第2部ではキリスト教とは別のカンドンブレという宗教の儀式を描いている。これは彼らの先祖の黒人奴隷がカトリックに強制改宗させられながらも隠し伝えたアフリカ由来の土着宗教である。
レジデンス・サカタールでの滞在中に交響曲第1番の合間の短い時間で作曲したピアノのための『イタパリカ奇想曲 Capriccio itaparicano』は、イタパリカ島で触れた自然風景、カンドンブレ、ショーロ(サンバやボサノヴァの元となった世俗的室内楽)を解像度の荒いスケッチで書き飛ばしたものだが、今回は私が現地で撮った録画・録音を元に、聞こえてくる音そのままに採譜したものである。それゆえ、出てくる音はごく単純なものばかりで、ヨーロッパの現代音楽の演奏会にかけられるような音楽作品一般に見られる美学とは全く異なる。これはヨーロッパ的な芸術性によって理知的な構築をすることをよしとする「作曲」に対するアンチテーゼとして、それとは全く異なる文化の音風景をスケッチした作品であり、私の新たな作曲態度の表明でもある。今後私はこの日本という非ヨーロッパ文化圏にありながら現在は欧米偏重主義が蔓延する国において、
西洋音楽を学んできたゆえにヨーロッパ偏重主義であった自分の考えを覆した作曲家として、今後は生きていくことになるであろう。上述のように自ら選んでカトリックに改宗した「バタ臭い」自分にとって(それでいて亡母は仏教の浄土宗の寺の墓に入っており、年に数度は寺参りと墓参りをする)、支配者であるカトリックに強制的に従う一方でアフリカの土着宗教を現在のブラジルに伝えるカンドンブレの有様を見て、自らの根本的な信仰について再考せざるを得ない局面へと辿り着いたのである。これは前述の堅信とは真逆の思考である。
既に7割できてブラジルへ持っていって書き上げた交響曲第1番では、その態度を表明するには十分な心境の変化を表現する時間が足りず、ブラジルの影響は南米打楽器の追加という装飾的なものにとどまり、当初の予定通り書き上げた。しかし今後に書く交響曲第2番では、上述のことが生かされるであろう。今回の本曲『イタパリカ狂詩曲 Rapsodia itaparicana』はそれを踏まえたはじめての作曲作品であるといえ、また交響曲第2番への布石であるとも言える。
本曲の第1部では、現地の枝の主日と十字架の道行きの行列で歌われたカトリック教会の聖歌を描く。それも訓練された合唱によるグレゴリオ聖歌などとは程遠く、民俗的で朴訥としていながらも南国の雰囲気は確かに持っており、調子の半分狂ったセミアコースティック・エレキギターの伴奏で歌われていた。(*注1)
ロバに乗ってイェルサレムに入城するナザレのイエス(今日キリストと呼ばれる人物)を、民衆がナツメヤシの葉を掲げながら「ダビデの子、イスラエルの王にホサナ(救いあれ)」と叫んで歓迎したのが枝の主日であり、この日のミサでは聖週間のすべての出来事が語られる。すなわち聖木曜日の最後の晩餐を終えてオリーヴの山で夜中に祈っていたイエスを、裏切ったイスカリオテのユダと兵隊が捕らえに来る。そもそもなぜ捕らえられたかというと、エジプトやバビロニアによる支配に対する民族団結のための宗教であったユダヤ教を、先駆者である洗礼者ヨハネを経てナザレのイエスは、民族に関係なくすべての人々が自分の犯した罪を認めて神と和解することによって救済されるという普遍的な宗教形態へと改変させた。カトリックとは普遍の意味である。しかしユダヤ教会の祭司長(という名の腹黒い奴として聖書では描かれている)とイスラエルを支配していたローマ帝国にとっては不都合なので、無実の罪をなすりつけて捕らえた。イエスはローマ帝国から派遣されたイスラエル総督ポンティオ・ピラトの下で裁判にかけられる。過越の祭りでは一人を恩赦することになっていたが、ユダヤ教会側は根回ししてバラバ・イエス(父の子という意味で、イエスとはその当時一般的な人名である)という名の強盗ないし暴動殺人の罪人を用意した。大阪弁訳マタイによる福音書では「偽イエスのおっさん」と書かれ、バラバの役割の本質を表している。祭司長たちにそそのかされた民衆は救世主イエスを指すつもりで「バラバ(父の子)を許せ!」と叫び、メシア(ヘブライ語で救世主を表し、後世に新約聖書がギリシャ語で書かれた際にその単語をギリシャ語訳したのがキリストである)と呼ばれたイエスには「十字架につけよ!」と叫んだ。結果ナザレのイエスは死刑を言い渡され、十字架を自ら背負ってゴルゴダの丘まで歩き、そこでその十字架に体のうち即死しない部分である手足、腹、首、肺を釘で打ち付けられて数時間野晒しにされた挙句に内出血し、現在で言う午後3時ごろに衰弱死した。しかし3日目(金曜日を1日目と数えるので日曜日、当時のユダヤ社会および現在のキリスト教会暦では日没から次の日と数えるので土曜日の夕方以降、24時間と2,3時間後)に復活したと、キリスト教徒は信じている。
これが十字架の道行きで、聖金曜日に行われるもう一つの行列である。「十字架につけよ!」と叫ぶ場面は枝の主日のミサで再現され、ミサの会衆が一斉に叫ぶ。今回は私もポルトガル語で叫んだ。
本曲ではイエス・キリストが磔刑死して黄泉に下る場面と復活して天に登る場面のピアノパートのみ、OpenMusicでフラクタル風のアルゴリズムにより作曲している。これだけはまだ西欧偏重主義の作曲態度が残っているとも言える。
本曲第2部は別の宗教であるカンドンブレを素材としており、このパートはさらに単純さを極める。ピアノはf, as, es’, e’’の4音しか用いず、ひたすら単純な繰り返しに尽きる。上のe’’はアゴゴ(2つのベルを持つ金属打楽器だが、そのうちの片方しか用いない)、下の3つはアタバキatabaqueというコンガに似た太鼓を表し、その皮の音程を採譜したものである。コンガはバスBass奏法と言って(スペイン語のバホBajoという言い方も用いる)鼓面中央を掌の付け根で叩くことで低い音も出せるが、カンドンブレにおけるアタバキでは偶発的にはともかく、そのような音を意図的に出そうとしているようには見られない。時々子供が自分もやりたいとせがんで大人と入れ替わると、それまでの規則的なリズムパターンも崩れてめちゃくちゃに叩く。そのような観測的ズレについての若干の補正は含まれるが、基本的には録音に忠実に採譜した。
このリズムと音程になんらかの変化をつけていく「入れ知恵」も当初は考えたが、そのようなヨーロッパの作曲技法は徹底的に否定するのが今回のこの曲に通底する美学であるので、敢えて音高は4つのみ、リズムも一つのセクションごとに一つのリズムパターンを単純に繰り返すのみとした。メロディラインも単純で、あるペンタトニックの旋律を反復しながら韻律の変化によって、メロディの長さが前後する。またペンタトニックの構成音が時々(いわゆる移調・移旋により)変化するのも規則的ではなく、おそらく単純に歌い手の音痴により上ずったりだだ下がったり、集団の中で音程がバラバラになることによって、その様相を変えていく。
歌われる言語はブラジルの公用語であるポルトガル語ではなく、彼らの先祖アフリカ人が奴隷としてポルトガル人に連れてこられた、その出身地である西アフリカ由来の主にヨルバ語族(語族とは一つの言語ではなく複数の言語集団を指す)、それを一部で補完するバントゥー語族、グベ語族という合計3つの語族と、その末端の多種多様な言語が混ざり合い生み出された呪術的言語である。現時点で私は彼らが何を言っているかさっぱりわからず、オリシャという単語がシャーマンを表していることだけが辛うじてわかる。これはラテン語の世俗化とイタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語といったそれぞれの近代言語が形成されるにつれてローマ・カトリックの用いるラテン語祈祷文が庶民には部分的にしか理解できない宗教用語になったこと、あるいはインド古代サンスクリット語の仏教経典が中国や朝鮮半島を経由して日本に伝わったことでその経文が元のサンスクリット語とは似ても似つかぬ日本独特の祈祷言語になったことと共通すると言えよう。
一般的にカンドンブレの儀式は2部に分かれる。儀式の第1部ではら会衆のうち女性が輪になって踊り、男性が歌ったり太鼓を叩く。そのうちに輪の中の女性の一人や数人がトランス状態となり、倒れて担がれたりして退場する。
休憩を挟んで儀式の第2部では、その退場した女性や他の女性たちが顔にすだれをつけて出てきて、また輪になって踊る。このすだれで顔を隠した人々がオリシャで、死者の霊が乗り移っているらしい。そのうちに「その日のゲストである神(私の見た日では虹の女神)」、「人間の王」、「神々の王」の3人の登場人物がメインとなって踊る。支配者ポルトガル人により強制改宗されたキリスト教では神は唯一のものという一神教が建前なので、多神教を表す神々という言葉は矛盾するものであるが、キリスト教に隠れながら共存していたカンドンブレでは、オリシャすなわちシャーマンという建前を用いることで、キリスト教の教義と矛盾しないように配慮している。
ゲストの虹の女神が会衆の一人一人とハグすると太鼓のリズムは極端に早くなる。次は神々の王の踊りとなり、手を力強く振り回して踊る。人間の王はマラカス一対を持っており、ずっと目を閉じていて盲目を表している(演じているのは視覚健常者である)。終盤で目を閉じたままマラカスを振り鳴らし、素早く回転しながら会場を駆け回った挙句に退場する。最後にサンバによくある付点リズムで太鼓を叩き、最後の音を叩くと同時に女性の会衆二人が待ち構えていて白い布を太鼓にサッと素早くかけて、儀式は終了となる。
本曲では、私の取材した2つのカンドンブレのグループのうち、2回目に取材した儀式の第2部を録画したものから、できるだけ忠実に採譜した。ごく一部に1つ目のグループに取材した素材や、録画に含まれなかった場面で私の記憶も補完として用いられている。
儀式の録画は全てを連続して撮ったわけではなく断片的にいくつかに分かれており、また儀式の終了部分は録画に含まれなかったので(撮影していた携帯電話の電池が切れたため)、本曲では私の記憶を元に構成している。儀式全体は各部2時間ずつ4時間にわたるものであるが、これらのうち第2部を中心に印象的な部分のみを約20分にまとめた。あまりにも単純な繰り返しは端折って採譜していることをお断りしておく。
また、カンドンブレの太鼓奏者Luís Oliveiraに数回アタバキのレッスンを受けた。彼により知り得た知識は本曲をまとめる際に極めて有効であった。彼はイタパリカ島の伝統のリズムをいくつか提示したが、それらはカンドンブレの録画においても確かに頻出している。6拍あるいは12拍といった3の倍数でまとまっており、それゆえ本曲では主に6/4として記譜している。そのリズムは正確な拍子として刻まれるものではなく、常にグルーヴ(ずれ)がかかっており、そのずれはLuís個人だけでなくカンドンブレの他の奏者たちにも多く見られることであった。
今後については、カンドンブレの研究書籍を英語、ポルトガル語、フランス語、イタリア語でそれぞれ手に入れたので、順次それらを読んでいくつもりである。ウィキペディア英語版と、英語書籍のごく簡単な紹介本は読んだので、それにより得られた知識は本曲に反映されている。より詳細な知識をそれら書籍から得た際は、近い将来の交響曲第2番の作曲に生かされるであろう。
第1部で用いられるテクスト
(各楽器によって演奏されるが、テクストが言葉や歌で発せられるわけではない)
Hosanna e hosanna. Rei, rei, rei!
ホサナ、ホサナ。王、王、王!
Ave Maria, cheia de graça, O Senhor é con vosso. Bendita sois vós entre as mulheres, e bendito é o Fruto do vosso ventre, Jesus. Santa Maria Mãe de Deus, rogai por nós os pecadores, agora e na ora de nossa morte. Amém
アヴェマリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。主はあなたを祝福し、ご胎内の御子イエスも祝福されています。神の母聖マリア、私たち罪びとのために、今も、死を迎える時もお祈りください。アーメン
Crucifica O!
十字架につけよ!
A morrer crucificado teu Jesus é condenado. Por teus crimes, pecador
十字架に処せと、汝のイエスは死刑宣告された。汝の罪によって、罪人よ
Décima segunda Estação, Jesus morre na Cruz
第12架 イエスは十字架上で死す
Nós Vos adoramos e Vos bendizemos, Senhor Jesus
私たちの崇め祝福する主イエス
Porque pela vossa santa cruz remistes o mundo.
汝の十字架は世界を解放するため
Dando um forte grito, Jesus exclamou. Pai, nas Tuas mãos entrego o Meu espirito. Dito isto, expirou.
イエスは大声をあげて叫んだ。父よ、私の魂を御手に委ねます。そう言って息を引き取った。
Ave Maria (repetir)
アヴェマリア(繰り返し)
プロフィール
梶原 一紘
東京藝術大学音楽学部附属高校、東京藝術大学を卒業後渡仏。フランス・クレテイユ地方音楽院を満場一致最優秀の成績にて修了後、パリ・エコールノルマル音楽院にて研鑽を積む。マグナムトリオのメンバーとして世界各国で演奏、日本各地のオーケストラへの客演、現代音楽での初演、ソリストとしてリサイタルやオーケストラとの共演、 NHK大河ドラマをはじめさまざまなレコーディングへの参加など活動は多岐にわたる。マグナムトリオ、Futur Noh、各メンバー。Todays Concert共同創設者。
松岡 麻衣子
桐朋学園大学音楽学部演奏学科卒業、同大学研究科修了。アンサンブルモデルン・アカデミー(フランクフルト)にて研鑽を積む。様々な現代音楽演奏団体で、世界各地の現代音楽祭やコンサートに出演。日本現代音楽協会主催・演奏コンクール「競楽XI」第2位。現代音楽を中心に演奏活動を行い、新作初演に多数携わる。成徳短大非常勤講師。Ensemble Toneseek、Phidias Trioとしても活動を行っている。
安田 結衣子
京都市立音楽(現京都市立京都堀川音楽)高等学校を経て、東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。同大学卒業時にアカンサス音楽賞受賞。パリ国立高等音楽院ピアノ伴奏科に審査員の満場一致で 入学、同音楽院を最優秀の成績で卒業。Klangspuren Schwaz音楽祭にインターナショナルアンサンブルモデルンアカデミー生として参加。第10回現代音楽演奏コンクール<競楽X>入選。現代音楽セミナー「秋吉台の夏」ピアニスト兼講師。作曲家としても委嘱作品多数。「王様のピアノ」シリーズ (全音楽譜出版社)に編曲作品掲載。現在はピアニスト・作曲家として活動する傍ら、東京藝術大学音楽学部、東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校などにて後進の指導にもあたっている。
今堀 拓也
玉川大学卒業、パリ・エコールノルマル音楽院修了、フランス国立音響音楽研究所IRCAM作曲 研究課程修了、スイス・ジュネーヴ高等音楽院修士課程修了、イタリア国立ローマ・アカデミア・サンタチェチーリア研究課程を最高位評価修了し外国人初の大統領表彰。2001年ガウデアムス賞(オランダ)。2019年バーゼル作曲コンクール(スイス)第3位。2020年KLANG!国際作曲コンクール(フランス)第1位。2024年ブラジルの芸術レジデンス・サカタールに招聘滞在。
今堀拓也 ウェブサイト
https://takuyaimahori.mystrikingly.com/
楽譜 ウニフェルザール社
Universal Edition - Takuya Imahori
https://www.universaledition.com/en/Contacts/Takuya-Imahori/
本日演奏した『トリオ』は、すでにウニフェルザール社のサイトで楽譜が販売されております。PDFおよび印刷された版を購入できます。また、オーケストラ曲『綺麗に咲く千の花とともに』、クラリネット協奏曲『鳥たちの対話』なども販売しております。『交響曲第1番』をはじめとする近作も、順次販売する予定です。
同サイト上では、販売されている楽譜のすべてのページを購入前より画面上で閲覧できます。
ぜひご覧の上、お買い求め下さい。
映画『ネズラ1964』
監督:横川寛人
音楽:今堀拓也
音楽プロデューサー:西耕一
演奏:オーケストラ・トリプティーク団員による室内楽、ヒーローコーラス
制作:スリーワイ
Amazon Prime Video にて期間限定配信中(他、Blu-ray販売中)
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0CK2V3PXR/ref=atv_dp_share_cu_r
本noteでの追記
(*注1)
教会内で宗教目的で歌われる歌Chantのことを、日本のカトリック教会では聖歌と訳し、日本のプロテスタント教会では讃美歌と訳す。ここでは聖歌の名称で統一した。