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人間は考えすぎて、感覚が鈍っている。
解剖学者・哲学者の養老孟司さんがよく言葉にしている言葉。
人間は何をするにも考えてから行動しすぎて、何を感じているかを忘れているという。義務教育の段階で、ちょっとした違和感も教育でこうであると脳に教え込んで脳を作り上げてしまう。
その例として養老さんは、2x=6 x=3のような何故数字の中にアルファベットのような文字が入ることがイコールになるのかに違和感を感じるという。
もうこのような言葉を発していると、読み手は“何を言ってるんだ?”と思うかもしれないが、普通だと思っている感覚が教育に洗脳されている。
このようなことがはびこっているのが社会の中にはたくさんあって、違和感を感じていることが省かれたりいじめの原因になる。
そして感じることが薄れているせいで、感覚よりも思考が強くなってしまって精神疾患に陥る人が増えていると私は思っている。
思考が強くなりすぎて「体調が悪いのは、周りも同じ」「弱音を吐いたら迷惑をかけるし、社会人としてだめ」などこんな考え方が前面に出て、体が感じている感覚を蔑ろにしている。
人間は感覚という神経が発達しているのに、それを無視したせいでロボットのように動く人がたくさんいる。これが人類の行き着いた先なのだろうか?
こんなただ動くだけの物体が量産されていくなら、人間は必要ない。貧しさはお金以外にも、人間の感覚をも蝕んでしまうとは。
だから平気で相手を傷つけたり、陥れてしまったりする。昔の人間のようにユーモアのある感覚を使って生活が出来ないかと、切実に願っている。
ユーモアを育てるために自然のある場所に出かけて、体で感じる感覚を養ってみよう。