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【体験談】コネ社会で8部から5部へ移籍|昇進を掴む秘訣とは(8261文字)

※「コネ」とはコネクションの略で、主に「人脈」と置き換えることもできるが、本記事においてはある理由により「コネ」という言葉を使用する。



なぜ社会はコネで回っているのか?

問いを持ったきっかけ

この問いは、僕がドイツサッカー界でステップアップを目指す上で「どうすれば上にいけるのか?」という純粋な問いと常に向き合う中で出てきたものである。

僕はこれまでドイツで8部、7部、5部とステップアップしてきたわけだが、その移籍を実現させてきた大半の理由がコネだ。故に「サッカー界においてコネがステップアップに重要な鍵を握っている」のではないかと思い始めるのも無理はない。

そして、これからさらにステップアップを目指す上で、さらにその門は狭くなり、コネの重要性が増すのは間違いなさそうだ。そんなこんなでこんな問いと向き合うようになった。



この問いに向き合う意味

コネは「人脈」などと言われることも多々あり、多くの社会人が共通認識している。実態は掴めないが、サッカー界にだけ蔓延るものではなく、実社会のどの業界にも存在するものだろう。

「社会がコネ“だけ”で回っている」わけではないが、「社会でコネは重要」と言っても否定し難いことから、社会において重要なことは間違いなさそうだ。社会がコネで回り、社会を生きる上でコネが重要なのであれば、それについて考えることは自分の人生に大きく役立つに違いない。

社会の仕組みや構造を理解することは、社会のからくりをハックし、人生をイージーモードにする力を秘める。資本主義社会における投資家、選挙の仕組みをハックして当選する政治家が多くの富を手にしているように。

だから、この問いと向き合うことが正しい努力であり、がむしゃらに頑張るよりも価値のある時間になるだろう。

そんな背景から僕が向き合ったこの問いとの軌跡が、同じようにサッカー界で共に上を目指すサッカー選手だけでなく、実社会で日々頑張っている方々に少しでも役に立つものになれば嬉しい。




社会がコネで回る理由

持つ者と持たざる者

社会のあらゆる人は「ポジションを与える側」と「与えられる側」のどちらかに分けられる。“ポジションを与える力があるか否か”と言った方がわかりやすいだろうか。

仕事であれば、採用する側と採用される側、役職を与える側と与えられる側。プロサッカーの世界であれば、オファーする側(クラブや監督)とオファーされる側(選手やコーチ)、アマチュアであれば(セレクションや練習会において)選ぶ側と選ばれる側(選手)に分けられる。

資本主義社会では「持つ物と持たざる者」と言ったりするが、持つ者から持たざる者にポジションが与えられる。こういった見えない力関係があり、与えたり与えられたりという関係で社会が機能している。

現代はテクノロジーが発展し、個人で稼ぐインフラが整備され、人々に様々な選択肢がもたらされたとはいえ、この力関係による社会の構造は基本的には変わっていない。

無論、持つ者が良い、持たざる者が悪いという話ではない。ただ持つ者と持たざる者がいるというだけだ。



コネは誰にとって優秀・有能なのか?

そもそもコネが機能しているのは、コネが優秀・有能だからだ。そうでなければこれまでの歴史の中で確実に淘汰されているはずである。

2022年になった現代もなおコネが機能しているということは、コネがそれなりに優秀・有能でメリットが多いからではないだろうか。

では、コネは誰にとってメリットがあるから機能しているのか?

答えはもちろん「ポジションを与える側にメリットがあるから」だ。

社会はいつも力を持つ者が社会のルールを決める。持つ者にとって生きやすい社会に、持つ者がさらに富める社会に、持つ者にとって都合の良い社会になっていく。

もちろん、それだけではその他大勢の持たざる者が反発する。そうなると持つ者は大損をこくので、あからさまに有利なルールは作らず、バランスよく難しい言葉を使ったりしながら、気づかれないように上手にルールを作っていく。

そうして少しずつ「持つ者に都合のよい」社会が出来上がっていく。コネもそうして出来上がったもののうちの一つだろう。

では、コネはそんな彼らにとってどんな点で有能な(都合がいい)のだろうか?



コネが機能する4つの理由

コネが機能する理由は大きく4つある。

・採用におけるコストがかからない
・採用における失敗確率を下げることができる
・第三者による監視の目が圧力になる
・採用される側にもメリットはある


・採用におけるコストがかからない

採用にはとにかくコストがかかる。一緒に働けるかどうかを選ぶというのは容易なことではない上に、時間も人件費も労力もかかる。

10名の募集枠に1000名の応募者が集った場合に、1000名のひとりひとりと面談したりして見極めるにはかなりのコストがかかる。

だから、大企業は書類審査において、卒業した大学などの経歴を元に1000名から50名ほどに絞り、その上で面談や面接を行ったりする。こうすることで、採用におけるコストを減らすことができる。(学歴社会というのはこういった背景で生まれた。)

これに対し、コネによる採用はこういったコストをほとんど支払っていない。第三者を介して繋がったコネであれ、直接繋がったコネであれ、コネを介した場合の採用コストは、1人を見極めれば良く、それもすでに紹介者によってある程度の見極めが終わった状態の1人を判断すれば良いので、極限に少なくて済む。


・採用における失敗確率を下げることができる

人を見極めるという点においての理想は、対象となる人の情報をすべて知ることである。全く見ず知らずの人を見極めるよりも、ある程度知っていて情報のある人を見極める方が失敗確率を下げることができるからだ。

しかし、対象となる人の情報をすべて知るにはその人の生誕から24時間365日を共に生活する必要があるし、現実的にすべてを知ることはできない。

そこで「できる限り情報を集めたい」という思いに加えて、「できるだけ情報収集にコストをかけたくない」という両方の思いを同時に叶えてくれるのがコネだ。

Aさんのことを知りたければ、Aさんの親や親友、アルバイト先の店長や学校の先生に聞けば、だいたいのことはわかる。Aさんのことをよく知っている、かつ、自分が信用を置いている人から「この子はよく働く良い子です」とAさんを紹介されたのであれば、ぐっと採用しやすい。何も知らない1000名の1人を採用するよりも圧倒的に失敗確率が少ないからだ。


・第三者による監視の目が圧力になる

例えば、採用者(Aさん)と就職希望者(Bさん)のが双方の知人(Cさん)を介して合意に至ったとすると、採用後にそれぞれに暗黙の圧力が働く。

Bさんの評価が低ければ、紹介したCさんはAさんに咎められ、CさんはAさんからの信用を失う。そうならないために、CさんはBさんを目にかけて相談に乗ったりしながらサポートをしたりするかもしれない。BさんがCさんとの人間関係を保つためには評価を上げる必要があり、仕事をさらに頑張らなければならない。

昨今では転職エージェントと呼ばれる人たちがCさんにあたり、彼らはAさんの会社からマージン(紹介料)を受け取ることで成り立っており、純粋な人間関係だけでなく、利害関係による人間関係もある。

こうして、三角関係にお互いがそれぞれに影響を及ぼしているため、そうでない場合に比べて上手く機能する確率が高まりやすい。


・採用される側にもメリットはある

自分のことをよく知っている人のコネで就職が決まると、「実際働いてみたら自分が思った職場と違った」というミスマッチが起こりにくくなる。

サッカーで言うならば、試合に出れると思って入ったチームが予想以上にレベル高くて3年間試合に出れなかったというようなことだ。このように入ってみて後から気づくよりも、先に見分けられる人が見切ってあげる方が優しい場合もある。



要するに、コネによる採用は、コストをかけずに70点以上を取るための方法であり、とても有能で理にかなっているものなのだ。

病院の院長の息子が病院を継ぐ世襲制は最もわかりやすい例だ。加えて、「Jリーガーになれるかどうかは、高校や大学のサッカー監督がJリーグクラブの関係者と繋がっているかによる」という考え方も納得ができる。

そして、それは採用する側にだけでなく、採用される側にもメリットは少なからずあることを頭の片隅に置いておきたい。





コネによる昇進はなぜ妬まれるのか?

このようにコネによる採用は有能であるにも関わらず、コネによる昇進が日本では妬まれる傾向がある。そして、コネによる昇進は不公平であると考えられている気がしてならない。

ドイツで僕が生活している限りでは、コネに対して悪い印象を抱いているドイツ人は少ないように感じる。というより、「当たり前のもの」と言わんばかりに社会ってそういうものだよねと思っているのだと思う。あくまで僕の個人的な感想だが。

これについてもどう捉えるかで今後の生き方が180度変わるので、適切な考え方をもっておきたい。



頑張ることが美徳とされる日本

ひとえに、「正当な努力における昇進ではない」「頑張った上での成果じゃない」とみなされるからだろう。日本では、努力する(頑張る)ことが美徳とされ、それによる昇進であれば周りの皆が納得する。

一方で、経営者が法律の抜け穴を使ってビジネスするように、社会の仕組みを理解して賢く儲けていたりする人は妬みの対象になる。コネによる昇進というのは、まさにこのような例と同じ棚に並べられてしまうため、妬みの対象になる。



「コネを認める=自己の頑張りを否定する」という構造

また、多くの人がただ努力している(頑張っている)という現状があり、上記のような頑張らずに結果を出している(ように見える)人を認めることは、すなわち自己を否定することと同義となりかねない。だから、自己防衛として妬み、批判をし、認めないというポジションをとるのだ。

しかし、社会の各業界で活躍している人たちは往々にして賢い。努力の方向性を見極めることに頭を使っており、ただがむしゃらに頑張っているわけではないのだ。

 努力には、「どれだけ」がんばるか以外に、「何を」がんばるか、「どう」がんばるか、という方向性があるということだ。(中略)がんばることは重要で、日々を積み重ねることも重要なのだけれど、たとえばもう陸上では勝てる可能性がない人が陸上の努力を積み重ねていることもある。
 積み重ねと違って、「何をがんばるか」という選ぶ努力には、冷静に自分を見てだめなものはだめと切り捨てる作業がいる。
為末大『諦める力』(プレジデント社、2013年)



コネを作りにいくことも立派な努力

コネによる昇進を妬み、それを否定する立場に構えてしまっているのであれば、今すぐにやめることを推奨する。それが自分を追い詰めているということに気づかねばならない。コネによる昇進を否定する立場をとってしまうと、自分がコネにより昇進するという選択肢を持たずして社会を渡り歩かねばならなくなるからだ。

社会がコネで回るという構造をしている以上、これを否定して生きるのは、ゲームでハードモードをわざわざプレイするようなものだ。社会がコネで回るということを理解して、上手に利用して生き抜いていくのが最適な生存戦略であり、「コネを作りにいくことも立派な努力」という考えが必要である。

(ちなみに、本記事で「コネ」という言葉をあえて使ってきたのは、「コネ」という言葉に慣れ、悪い印象を抱かなくなるようになってほしかったからだ。)

では、そのコネはどのように作っていけばいいのだろうか。





昇進につながるコネの作り方

※参考文献:独立研究家・山口周『仕事選びのアートとサイエンス』(光文社、2019年)



キャリアの8割は偶然

 スタンフォード大学の教育学・心理学の教授であるジョン・クランボルツは米国のビジネスマン数百人を対象に調査を行い、キャリア形成のきっかけは。80%が「偶然」であるということを明らかにしました。
 彼はこの調査結果をもとに、キャリアは偶発的に生成される以上、中長期的なゴールを設定して頑張るのはナンセンスであり、努力はむしろ「いい偶然」を招き寄せるための計画と習慣にこそ向けられるべきだと主張し、(中略)「いい偶然」は単に待っているだけでは起こらず、招きよせるための日々の習慣が重要である、と指摘しています。
山口周『仕事選びのアートとサイエンス』(光文社、2019年)

つまり、コネも含め「いい偶然」を引き寄せる習慣をいかに作るかが鍵のようだ。



コネの本質

コネは「人脈の広さ」と「信用の深さ」の掛け算で成り立っており、それぞれ両方を“程良く”伸ばしていくことがキャリアの転機につながる。と、独立研究家の山口周さんは自信の著書で述べている。

どちらの要素も「程よく」がポイントで、人脈を広げるようと異業種交流会に何度も行くだけではキャリアの転機に繋がらないし、狭いネットワークで濃い関係性を築きすぎても、関係が近過ぎて逆効果になる。

 クランボルツは、キャリアの転機につながる縁は、親戚や友人等の親しい間柄ではなく、むしろそれほど親しくない関係の人からもたらされることが多い、と指摘しています。(中略)ひたすら知人を増やしても「信用」がなければ、「いい偶然」を呼び寄せられない。カギになるのは「親友未満、知人以上」という第二階層の人脈です。
山口周『仕事選びのアートとサイエンス』(光文社、2019年)

親友未満、知人以上の関係性をいかに作ることができるかが重要であり、これこそがコネの本質だとしている。



結論「結局いい縁はいい奴に集まる」

 仕事のいい縁を呼び込むためには「何でもない毎日をていねいに生きる」ということに結局はつながります。 
 いま、あなたの周りにいて、あなたの仕事を見ている人たち、この人たちがまさに人脈ピラミッドの第二階層を将来、構成する人たちなのです。そして、この人たちとあなたの毎日の仕事の積み重ねが、いわばキャリアのバランスシートに、その営みが健全であれば優良な資産として、不健全であれば不良資産として積み上げられることになるわけです。
山口周『仕事選びのアートとサイエンス』(光文社、2019年)

つまり、今現在の自分の周りにいる人(サッカーで言えば、チームメイトや監督、スタッフなど)が今後コネとして機能する可能性が高い人たちなのだ。そして、彼らが自分を昇進させるために動いてくれるか否かは、自分次第なのである。

 結局、この第二階層人脈の問題は、誰と一緒に仕事をしたいか、誰であれば安心して紹介できるか、といった問いに関わる問題ですから、あなた自身が「大丈夫」と思えるような人物像を思い浮かべて、あなた自身をその人物に近づけていくということしかありません。
 結論としては、健全で前向きな世界観を持ち、毎日をていねいに生きていいこう、ということになるかと思います。何気ない毎日の仕事の中、あるいは生活の中で、皆さんの周りにいる人と、どれだけヘルシーなやりとりができたかが、「いい偶然」を生み出す畑の土壌の質を決めるのです。
山口周『仕事選びのアートとサイエンス』(光文社、2019年)

と、自分が「この人なら紹介できるな」「紹介したいな」と思えるような人物像を思い浮かべ、その人物像になれるように努力するのがコネ作りの鍵だ。

さらに、本書の結論としては、

結局いい縁はいい奴に集まる
山口周『仕事選びのアートとサイエンス』(光文社、2019年)

となっている。

サッカー選手としてはもちろん「能力」というのが非常に重要なのは言うまでもないが、加えて「人間性」において「いい奴であるか」というのも同じくらい重要だ。



移籍に繋がるコネを作った実体験

実際に僕が7部でプレーしていたとき、チームメイトが4部の監督を繋げてくれようとしたり、友達が5部の監督を繋げてくれたりした。おかげで2度目の渡独の際に直接監督とやりとりをし、7部から5部へ移籍することができた。

上記で述べられていた「今の環境で一生懸命頑張ることがコネに繋がる」というのを身をもって体感した経験だった。


加えて、「飲みにいく」というのも僕が実際にやってみて、非常に効果的だなと感じたものなので、紹介しておきたい。

ドイツで過ごした経験しかないので一概には言えないが、ヨーロッパ在住の友達に聞いても、ヨーロッパの人たちの最大の娯楽は「飲みニケーション」にあると言っても過言ではない。

日本でも会食で仕事が決まったり、大きなお金が動いたりする。ドイツでは、そのためにいくというよりは、それ自体が目的で、お喋りがとにかく大好きな人たちばかりだ。ここでの立ち振る舞いでコミュニケーション能力や人間性が見極められ、親しくなるとその場でキャリアが動く話が進んだりする。

僕はドイツ語が話せない頃から、地元のバーで長い時間をドイツ人と過ごし、そのおかげで今もいろんな面で助けてもらいながら生活している。「自分から言語を取ったら何が残るのか」という日本では考えない問いに向き合うことができるし、バーの中に身を置くことで自然と磨かれる「人間性」や「社会性」がサッカー選手としての自分にもたらす影響は計り知れない。

「飲みニケーション」は日本で比にならないくらい絶大な効果を及ぼすので、ぜひ積極的に、定期的に何度もいくことをお勧めする。



DMでクラブに営業する選手

現代はSNSが発展し、クラブともDMで直接やりとりを行うことができるようになった。プレービデオがポートフォリオとして機能し、それを送ることで移籍が実際に決まった選手もいて、便利な時代にはうってつけの方法かもしれない。

ただ、ここには「人間性」や「社会性」といったサッカー選手の良し悪しを見極めるのに超重要な要素が介在していない。

これは言うなれば、家を借りる時に大家さんにDMで「自分の経済力を証明する書類」だけを送って家を借りたいと言っているようなものだ。大家さん側からしてみれば、その人がどんな人物か(うるさくしないか、家のものを壊さないかなど)が重要であるという大家さん側からの視点を持てていないことになる。

(以前僕もドイツで家を探している際に、日本からドイツ語で大家さんに向けて自己紹介動画を送ったことがある。あいにく契約には至らなかったものの、高評価だったようで、その動画がそのまま次の移籍先のチームのSNSグループに載せられ、チームに早く馴染むことに成功した。)

サッカーにおいて、下部リーグのカテゴリーではこういたSNSでの営業活動は機能するだろうが、上のカテゴリーに行こうとすればするほど難しくなるのは明らかだ。上手いだけの選手はいくらでもいるが、上手いだけで活躍できるわけではないのがサッカーなのだ。僕も含めてこのあたりを勘違いしている日本人サッカー選手は多いと感じる。

もちろん、赤の他人から送られてきたプレービデオを見られる可能性は少なくともあるし、それがきっかけで話が進むことはあるので、その努力は否定されるべきものではないが。




最後に

この問いに向き合ったことで、今の環境でいかに振る舞うかが大切なのかを知ることができた。

コネがあっても能力がなければステップアップできないというのは当たり前だが、コネが作れないのも自分の実力だなと少し思えるようになったのは、大きな収穫だった。

僕は2023年の夏までにプロ契約をできなければ、サッカー選手として上を目指すことを諦めると決めていて、プロになれるのかなれないのかを見極めるために僕はドイツに来たのだ。だから、言い訳になるような要素はできるだけ排除できるに越したことはない。

社会の構造を知ることはそのためのアプローチの一つになる。

構造は僕たちに意地悪をしたいわけではなく、僕たちに関係なく既にそこにあったのですから。僕たちは、それをただ知らなかった、あるいは調子が良いうちは知ろうとしなかった。風向きが怪しくなってからその問題を指摘するのは、ナンセンスです。
井筒陸也『敗北のスポーツ学』(footballista、2022年)

あとから言い訳しないように、このように勉強したり問いと向き合っていく次第だ。そして、誰かの何かのヒントに繋がれば。

ではまた。


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