非日常な電車【2】
※この物語はフィクションかもしれないしそうではないかもしれない。
今の僕に父はいない。16歳までは存在していたが、僕が反抗したのをきっかけに自分の頭の世界から自分が生きる世界から存在を消してしまった。
人はいつ死ぬのか、それは人から忘れられたときだ、とよく言う。であるならば僕にとって父は年に1度か2度思い出すかださないかくらいな存在なのでギリギリ死んではいないものの植物人間のような状態でかろうじて生きていると言えるだろうか、体や魂は世界のどこかで生きているものの、僕の生きる世界で父は息を潜めながら暮らしている。というか僕が肩身の狭い思いで勝手に存在させているのかもしれない。
そうなったのは16歳で思春期の人格形成され成長する真っ只中の時期に、僕の社会不適合者な部分が成長してしまい、小学生の頃から耐えてきた父に対しての鬱憤が破裂してしまったからだ。社会にも父にも僕は適応できなかった。
人生で初めて父に反抗した僕は、それ以来2度と口を聞かないと自分に固く誓ったのだが、それから8年が経つも今だにその約束を守っている。歯磨きを欠かしたことは何度もあるし、自分との約束を守れないことは日常茶飯事な僕だが奇しくもこんな約束は今だに覚えていて、それを貫こうと努力しているわけではないものの振り返ると8年もの間一途に自分との約束を守っている自分がいて、今だに自分との約束を守っているランキングの記録を更新し続けている。いいのだが悪いのだか。
そんな父が死ぬ。
という謎の物語が頭を乗っ取り、制御不能な物語は頭の中で勝手に進んでいく。お葬式が開かれ、僕は黒いネクタイに黒いスーツを着、僕の横には家族が悲しそうな姿で立っていて、奇しくも僕は長男であることから喪主を務めなければならない。
小学生の頃に曽祖父の葬式に行った経験が十数年経った今も鮮明に残っているのは、いつも優しいじいちゃんが長男として喪主を務め上げ、そのときなにを言っていたかは覚えていないが皆の前でスピーチをしていた光景が印象的だったからだ。あとその後のご飯が美味しかったのもある。
スーツを着たじいちゃんは何やら筆のようなもので書かれた原稿を取り出し、それを読むように普段使わない堅苦しい言葉遣いで挨拶を述べていた。
そんな記憶に重ねて自分が父の葬式で挨拶する姿も容易に想像ができ、違和感なく僕の挨拶が始まる。
「僕は8年前から父と一切口を聞いておりません。」
大学中退で教養のない僕は、挨拶などお構いなしに震える声を振り絞るようにしてカミングアウトを始めた。電車に乗る僕の唇は震えている。
続く。
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