12日目 「映え」について思うこと…?
映える商品 映える店内 映える外観
それらを映し出す
高画質のカメラ スマホ PC テレビのディスプレイ
そしてさらに加工技術…(?)
たぶんこの十数年から現在に至るまでの間に大型のテナント
の建て替えが行われていました。
新しく建設されたものも多くあると思います。
そのとき、正直個人的には、
すごい素敵だけどなぜこのデザイン…??
最新で最先端の流行も含め取り入れられた
デザインのようだけど…
個人の好みとして、
たぶん自然でナチュラルな温かみのあるような
テイストが心地よいからなのかもしれませんが、
とてもクールでスタイリッシュで無機質な感じが
するような建物にはあまり安心感を感じられず、
最初は真新しくて感動していましたが、
そういう建物が多くて、しっくりこず、
あまり落ち着くことができていません…
(裏を返せば、現在の最新のデザインに魅力や
ときめきを感じて心地よい人が沢山いらっしゃる
のであろうと感じます…。
そしてその人たちは以前の建物にはあまり
魅力や親近感は感じられず違和感があった方々
もいたのだろうと思います…。)
結局は、ただいいわるいではなく、
個人の趣向や好みの問題なのだなと思いました。
自分に合わないのであれば、
自分で心地よさを見つけ出すしかない…
最新がいつも自分の好みや心地よさと一致するわけではない
最先端の技術をもって流行りのモノであっても
自分にとっては違和感があって、
どうしても調和しないと感じてしまう部分が生じてしまう。
自分の内側と向き合ってフィーリングを大事にして、
自分に合うものを減っている中でも探して選んでいくしかない。
合わないなら離れる…選ばずにいること…
違和感の中に身をおいていても自分が安心できないだけだから…
やはり、
自分の内側の感覚を大事にして
感じとっていることを大切にすること、ですね。
あとは、
少し「映え」というものに気をつけたいなと…
いわゆる「映えるモノ」も自分に合うとは限らない
そして実物ともやはり違いがある。別物であることも多い。
「映えるかどうか」で作られたモノや場所もあると思う。
「映える撮影」に適したモノや場所は、
実際に人が手にしたり、見たり、身を置いたときに、
心地よいかどうかも、少し疑わしいところ…
「映え」という目的の要素が含まれている部分に、
違和感を感じることはないだろうかと思ってしまう…
スマホやテレビもどんどん高機能・高画質になっていて
日々その液晶画面を見て過ごしている人は多いはず…
そのディスプレイの高彩度に目が慣れてしまっているのだと思う。
スマホの画面を見ているかのような商品やお店を目にする。
なぜかそこに不自然さを感じてしまう…
なにか、ただの不平・不満を言っているだけになってしまいました…笑。
まぁ、でも人それぞれですね。
そんな街で生き生きして幸せで楽しそうに見える人も沢山いらっしゃる。
その人たちにとっては最高の時代なのですよね。素敵なことですね。
好きなら近づけばいいし、あんまりなら避ければいいだけの話ですね。
まぁ、でもカメラど素人の自分が、
食べ物でも、植物でも、建物でも、
なんとなくシャッターを切っても、
普通にイケてる風な写真が撮れてしまったりするから…
少し目の前の実物とは違うな…
ちょっとあまりに綺麗に映りすぎているな…
なんかそんな風に思っていたり。
単純に綺麗にとれている写真を喜べばいいだけの話ですが。。
ただあまりその写真通りを期待したりイメージしすぎてしまうと
実物とのギャップを感じてしまうかもしれない…
あまりに美しく意図せずとも撮られているものは多いと思うから…
直接自分の目でみたり聞いたり触れたり…
そんな体験通して自分の感覚で感じる心の反応…
それが一番確実ですよね…
とくに事前情報や先入観なく…
余計にめんどくさい、ややこしいことを言ってしまっている気もしますが…
最終的にやはり思うのは、
結局は自分の感じ方が正解でいいのだなということですかね…
好きなものは好きだし。
理由はなくても好きになれないものはどうしてもあると思うし…
その自分の感覚を軸にして持てるかどうか。信頼できるかどうか。
自分にとっての正解を基準にしていられるかどうか。
外側に惑わされたり、影響されすぎず、いられるかどうか…
またいつにもまして、当てもなく、だらだら書きましたが…
あまり思ってもいなかった方向の内容となりました…笑
こういう日があってもいいし、
意外と普段そこまで深く言葉にしていないことを
書き出すことができたこと。
表層に出して来られたことが、大事だったのかなと思う。
無意識のところにある部分を書くことができたこと。
こういうジャーナリング的な効果の大きな1つであるのだなと
思いました。
今日もありがとうございました。